第139話 心肺蘇生

【1】

 メイドから連絡が来て直ぐにこちらに来るのかと思っていたが、まだゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士たちは上がってこない。

 あそこの治癒術士たちは獣人属が多いからまたあの王太后が邪魔をしているんだろう。

 本当に腹の立つミートボール婆だ。


「あの、セイラ様。セイラ・カンボゾーラ様。そろそろ何かおめしになられては?」

「今日は暑いからこの方が涼しくて良いわ。それより王妃殿下の汗を拭いてあげて。心拍の状態は?」

「はい大分落ち着いて来ました。少し早いですがこれなら大丈夫です」


「カタリナ、大変だけれど少しずつ生理食塩水を流して行ってちょうだい。大分嘔吐して水分が失われていると思うから、心拍が安定するまで続けましょう」

「ええ、これが私の仕事です。お任せください」

「水治癒術士の皆も早くこの食塩水の状態を憶えて再現してね。いつまでもカタリナ一人に任せる訳には行かないから」

「「「はい、セイラ様」」」


 部屋の中に緊張感は漂っているが、それでももう峠は越したと言う安心感はある。

「セイラ様、何か冷えたものでもお持ち致しましょうか? お疲れでしょう」

 王妃殿下付きのメイドがそう申し出てくれた。

「そうね。冷えたレモン水に蜂蜜を入れて頂こうかしら。さすがに今夜は甘いものが頂きたい気分よ」

 体力的にも気力的にもかなり消耗しているのだろう。

 酸味と甘味を体が欲している様だ。


「はいすぐにお持ち致します」

 メイドが下がって行く。

「セイラ様、せめて夜着だけでもおめしになられては」

「良いじゃない。この部屋は女性ばかりだし」

「それでも扉の向こうには騎士達も控えておられますし」

 あーあ、どこに行ってもメイドってみんな口うるさいよね。


 そういえばアドルフィーネとナデタは今どうなっているのだろう。

 しばらくはこの離宮内に拘束されるのは免れないだろうけれど今後の事も考えると頭が痛くなってくる。


 今回の犯行が王太后の独断なのか、何人かの貴族や王族が絡んでいるのか?

 さすがに命のやり取り迄想定していなかったが、この世界でなら当然暗殺など日常茶飯事だという事だ。

 前世などと比べるべくも無く命の重さなど紙より軽い世界だったのだ。


 そんな事を考えていると突然寝室前がが騒がしくなった。

 ドアを押し開いてサーヴァントが侵入してくる。

 すわ、襲撃かと身構えると続いてジョン王子が入って来た。


「セイラ・カンボゾーラ、其の方に頼みが…其の方なんという格好を…」


【2】

 ジョン王子が目を逸らしながら話を続ける。

「お婆様が、王太后殿下が身罷られた。それでゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士が其の方を呼んでくれと」

 一瞬何が起こったか理解が追い付かなかった。


「身罷った? 死んだ? いえ、心臓が止まったのね」

「ああそうだ。今ゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士が治癒を施している。其の方に直ぐに来てくれと」

「みんな! 後はお願い! 救急救命処置の様よ」

「「「「はい、お任せください」」」」


 その声を背中で聞きながら私は部屋を飛び出していた。

「セイラ様、お飲み物を…」

 さっきのメイドがドアの前でオロオロと立っている。

「ありがとう」

 私はグラスを掴むと走りながら一息で飲み干す。そして部屋を出て階段を一気に駆け下りた。


【3】

 私は又饗宴場に戻って来た。

「今の状況は? 手早く説明して」

 人を呼びつけて置いてみんな驚いたような視線を私に向ける。

 いくら私が王太后が憎くても心肺停止している者を見捨てるほど非情じゃない。


 もう生徒たちは退去したようで、部屋の中には王宮治癒術士たちと王太后の随員がセイラカフェ系の獣人属メイド達に取り押さえられている。

 そして床に仰向けに寝かされている王太后殿下は衣服を断ち切られ、その上に跨った修道女と左右に二人の修道女が付いて何かしている。


「あっ! フィディスちゃん…いえフィディス修道女」

「セイラ様! 心肺停止からまだ三百を数えて終えておりません。間に合うと思います!」

「心肺蘇生ご苦労様! フィディスちゃんはそのまま続けて頂戴。横の二人は心拍と呼吸をしっかりモニターして頂戴!」

「「はいセイラ様」」


「ふざけるな。死人を生き返らせようなどと神にでもなったつもりか! 不遜を通り越して聖教会に対する冒涜だわ!」

 王宮治癒術士団長が喚いている。

「背徳者!」

「異端者!」

 王宮治癒術士たちも罵り始めたがそんな事は知った事ではない。


 私は王太后に駆け寄るとフィディスちゃんが左手をあてている王太后の胸のすぐ下と肩の下に手をあてた。

「行くわよ!」

 一気に光魔法を流す。


 一瞬王太后の身体が跳ね上がった。

「未だです!」

 続いてもう一発!

「心拍戻りました!」


 私が何をやったか?

 人間除細動器、これからは動くAEDと呼んでおくれ。

 でもこれって一度に大量の魔力を使うから直ぐに倦怠感が襲ってくる。

 私はそのまま尻もちをつく形で王太后の足の間にへたり込んだ。


「心拍、呼吸とも元の状態の戻りました」

「フィディスちゃん、どちらも安定するまで続けて頂戴」

「ご苦労様です、セイラ様。それからちゃん付けはどうかご勘弁願います」

 フィディスちゃんが恥ずかし気にそういう。


「ゴメン、フィディス修道女だったね。昔から言い慣れてたからつい口をついて…ホント、ゴメン」

 ゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士たちから笑いが漏れた。

 みんなの表情にも安堵が見て取れる。


 和む私たちとは裏腹に王宮治癒術士たちや王妃殿下の使用人たちの間にはパニックが広がっていた。

「奇跡だ! 奇跡を起こされた!」

「あり得ぬ! こんな事有り得ぬぞ!」

「神の御業だ! 死者が復活あそばされた!」

「違う! この様な事神の摂理に反する! 聖教会の教えに反する異端だ!」

「しかし現実に目の前で起こっておるではないか!」

「何かの間違いじゃ、そうに違いない」

「やはり光魔法の聖女だったのだ! 神の降臨された聖女だ!」

「そんなはずはない! 光属性でも死者を蘇らせる事など出来るはずがない!」

「そうだ! 何かの欺瞞が有ったのだ!」

「しかし皆で心臓が止まっておった事も呼吸をしておらなかった事も確認したではないか。我一人ではないぞ! それこそ何人も何人も。団長も死んだと判断を下されたのだ!」


 王妃殿下のメイドやサーヴァントの中には私に向かって膝間づき聖印を切る者すら何人か居た。

 やめてくれ! 恥ずかしいを通り越して怖いから。


「あり得ぬ! こんな事は有ってはならぬ! 有って良いはずがないのだ!」

 王宮治癒術士団長は熱に浮かされた様に同じ事を口走っている。

「ならん! ならん! 教導派の教えにこんな事は書いていない。聖典によって死者を蘇らせたのは神だけだ! 有ってはならん、有ってはならんのだ!」


 いつの間にか部屋に入って来ていたジョン王子がヨロヨロと私のもとに歩み寄って来た。

「其の方の事だから、これにもきっと理由が有って合理的な説明も出来るのだろうな」

「ええ、当然じゃない」

「それでも礼を言わせてくれ。ありがとう、恩にきるぞ」

「良かったのこれで?」

「こんな方でも俺の祖母だ。助けてくれてありがとう」


 王妃殿下とは嫁と姑の関係でもジョン王子にとっては血を分けた母と祖母という事だ。その気持は解らない訳じゃない。

「良いわそれで。でもね、本当の功労者は私じゃないのよ。この理論を考え付いたのはジャンヌさんだから。ジャンヌさんが居なければこの奇跡は無し得なかったのよ」

「そうなのか! やはりさすがは聖女ジャンヌだな」

「そうね、どこかのガサツな子爵令嬢とは違うわね」

「いや、そんな事は言わん。理論は有っても光魔法が無くては成せぬ事なのだろう。其の方が居なければ顧みられなかった事だろう。それも含めて感謝する」

 いつもと違うジョン王子の言葉に面はゆい気持ちを感じながらもその言葉を受け取った。


「それとな、セイラ・カンボゾーラ。なぜそんな格好なのだ。いい加減服を着ろ」

 そう言って羽織っていたシュールコーを放り投げてよこした。

 …そうだった。下着のままだった。


「見んなー! バカ野郎!」

 叫んだ声が反響して更にばつの悪い思いをする事になってしまった。

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