第22話 選択教科試験(数学・音楽・天文)
【1】
「貴様! エマなんとか! なぜこんな所に居るのだ!」
取り巻きを連れた貴族の少年がエマを指さして怒鳴った。
「当然、あなたから色々と毟り取って搾取する為の決まっていますわ。試験が終われば一局いかがかしら。それとも試験成績に賭けますか?」
「あらエマさん。久しぶりかしら。何でしたらその試験の賭け、私が見届け人になってあげても良いかしら」
「それは宜しいですわねえ。イアン様、ヨアンナ姫様が見届け人ならば間違い御座いませんわ」
「貴様はバカか! この俺に挑んでも俺の勝ちか引き分けしかないぞ。俺は全問正解するからな」
イアン・フラミンゴがエマを睨みつける。
「ねえ、エマさん。あのお二人はヨアンナ・ゴルゴンゾーラ公爵令嬢様とフラミンゴ伯爵令息様よねえ。貴女一体何者なの」
アヴァロン州出身のケイとステラがエマに話しかけてくる。
「この方はライトスミス商会の役員でセイラ・ライトスミス様の右腕。ウワバミのエマ様よ。気を許せば有り金全部呑み込まれてしまうのよ」
「フランさん、そんなこと言われると照れてしまうわ」
「おい、褒められていないぞ」
「そんな事より賭けの勝敗が大事かしら。それならば同点になった場合は先に教室を出た方が勝ちにしてはいかがかしら」
「よし、俺はそれで構わんぞ。銀貨で五十枚賭けよう」
「私もそれで構わないわ。銀貨で五十枚…? 金貨一枚賭けても構いませんわ」
「大した自信だなあ。なら俺も金貨一枚だ。貴様ごときに負ける訳が無いだろう」
そして試験が開始された。新型アバカスを弾く音が部屋中に響く。
教室内の大半は新型アバカスを使っている。
エマは一通り問題を終わって、周りを見渡す。イアンは既にペンを置いて答案を見直し始めていた。
エマは大きな音を立てて新型アバカスを横に除けると、インク壺の蓋を閉じ始めた。
それに気付いたイアンは急いで答案用紙を講師に手渡して、新型アバカスを手に持って席を立った。
驚いた表情のエマに一瞥をくれるとニヤリと笑って部屋を出て行った。
エマは暫くそれを見てから横に除けた新型アバカスをまた手に取り検算を始める。イヤミな笑みを受けべながら。
【2】
「いやー、君上手いねえ。リュートかい、僕がチェンバロを弾くから今度一緒に合奏しないかい」
「ジョバンニ様御冗談はやめて下さいまし。私のような下級貴族に合奏のお相手など務まりません」
「そうですわ。ジョバンニ様リュートならクラウディアが奏でられますから、わたくしの歌と併せて三人で聖教会堂でカノンを演奏いたしましょう」
「それが宜しいですわ。ユリシアならフルートも吹けますし」
マリオンに絡むジョバンニをマンスール伯爵令嬢とショーム伯爵令嬢が牽制する。
「ジョバンニ、カノンってなんだ。旨いのか?」
へたくそなリコーダー演奏を終えたイヴァンが口を挟む。
「お前は何なんだ。そのへたくそな笛は。草笛の方がお似合いだぞ」
「違いない。まあ騎士に音楽なんぞ必要ないからな」
「イヴァン様は口を挟まないで下さいまし…子爵家の分際で…」
「なんだ。女にとやかく言われる筋合いはないぞ」
四人が揉めている間にマリオンはそっとその場を離れた。
「モルビエ子爵令嬢様、最近はいつもレ・クリュ男爵家令嬢様とご一緒ね」
「それと成り上がりの子爵令嬢とどこかの男爵令嬢も従えて入らっしゃるようね」
ロレインに絡むコンテ男爵令嬢とミモレット子爵令嬢の姿を認めたマリオンは側に寄って行く。
「ロレイン、歌は上手く歌えたのかな」
「あらレ・クリュ男爵家令嬢様。貧しい領地なのによく楽器など習えたものですね」
ロレインでは無くミモレット子爵令嬢が口を開く。
「母上がリュート奏者でね」
マリオンはその嫌みに取り合わず聞き流す事にした。
「それで何を歌ったの?」
「それが、南部で流行りの聖霊歌ですって…カンタータ? よく楽譜があった物ですわね。そんな歌に」
「まあ、あの曲の素晴らしさがお判りにならないなんて嘆かわしい。北部のご令嬢は遅れていらっしゃるんじゃありませんの」
話に割り込んで来る少女たちにミモレット子爵令嬢が気色ばむ。
「あなた方誰?」
「申し遅れましたわ。アヴァロン州サレール子爵領のレーネ・サレールと申します」
「私はサムソー子爵家のセルマよ。アヴァロン州では皆この曲やグレンフォード聖霊歌隊の曲を讃えているわ。音楽では王都もだいぶ遅れているようね」
「そんな聞いた事の無い歌などを試験で唄うなんて」
コンテ男爵令嬢が忌々しげに呟く。
「あら、南部や西部の娘達は皆其の新しい聖霊歌を唄っているわ。ジャンヌ様の聖霊歌をね」
「…!! ジャンヌっ様の聖霊歌? 闇の聖女を讃えているの?」
「違うわよ。ジャンヌ様がお作りになっているの。すべての曲を」
「そういう事なのだわ。今すべての流れは南からゴッダードから来ているのだわ」
そこには腕を組んで皆を見下ろすファナ・ロックフォールが、南部一帯の貴族や平民の子女を従えてふんぞり返っていた。
【3】
口論の発端は地図の三角測量の話しだった。ヨハン・シュトレーゼが自慢げに角度と高ささえわかればどんなに遠くても距離が測れると話す言葉に、一人の少年がぼそりと言った。
「大地は丸いんだから長距離なら誤差出てしまうよ~」
「お前はバカか! 大地が丸い訳なかろう」
「大地は玉で、太陽の周りを回っているのは計算上常識だよ~」
「そんな事あるものか! 天文の常識も弁えぬ奴が口を開くな!」
「数理の証明も無く常識を封殺するのは如何なものでしょうか」
ヨハンのその言葉に反論を唱えたのがジャンヌであった。
「その考えは異端だ! 大地が丸いなど聖教典のどこにも書いていない」
ヨハン・シュトレーゼが捲くし立てた。
それに対してジャンヌは冷静に答えを返す。
「…だから何なのでしょう? それならば大地についても星々の運行についても聖教典には何も書いておりません」
「だから異端だというのだ」
「理由になっておりません。書いていないなら異端も何も無い。それを根拠に合っているとも間違っているとも言えません」
「そっ…それは、詭弁だ…です。…ジャンヌ・スティルトン…様」
ヨハンの陰に隠れるようにアレックス・ライオル準男爵がジャンヌを睨みつけている。
「アレックスの言う通りだ。今までの測量の教本でもそのような見解は出ていない」
「かつて南の海を旅した民は水平線の彼方から来る船は帆から順に現れると言いました。それは水平線の向こうが円弧を描いている証拠となると」
「そんな…南の国などケダモノの末裔の国では無いか! 闇の聖女ともあろうお人がケダモノの説く摂理を信じるなど…異端も甚だしいと…思います…」
「その話は水滴が円弧を描く事で説明が出来る。獣人属の理屈などに頼らずともな」
アレックスの言葉を補足する様にヨハンがさも理論家であるという顔でジャンヌに答える。
「ならば地平線も同じことが言えますか? 地平線の向こうの山並みも山頂から順に現れる。なら地平も円弧を描いているのでは? 大地は海も含めてすべて丸く弧を描いていると言えるのでは?」
「それこそ詭弁だ。遠すぎて麓が霞んで見えないだけかもしれん」
ジャンヌはそれこそ詭弁だろうと思いながらもあえて反論せず言葉をつづけた。
「ならば火魔法の直進性で距離計測を試みたエリアス・カーシュの論文の計測値のズレはどう説明します」
「あれは定数だとカーシュも書いている。実験した本人がだ」
「定数とはいったい何が根拠なのでしょうかね? でも大地が球体ならば説明がつく。数字は嘘はつきません。綺麗に当てはまるのですよ」
「当てはまるからどうだというんだ。偶然の一致も有るし、恣意的に数字を歪めた結果かもしれない。それだけを採って事実と言い張る事は出来ないぞ」
「その通りだ。ヨハン様のいう通り己が都合の良いように数字を歪めたに違いない。そんな異端の者が出した数式など信用できない」
ヨハンの尻馬に乗ってアレックスが更にジャンヌを責める。
アレックスはライオル伯爵家が廃嫡されて、長男ロアルドは修道院に入れられた。ライオル家は準男爵にまで落とされて次男のマルカムが騎士として爵位を継ぐ事に成った。
その原因となったカマンベール子爵家とカンボゾーラ子爵家、そしてジャンヌ・スティルトンに恨みを募らせているのだ。
「今はそうかもしれません。しかしゴッダードやクオーネそしてハウザー王国のヴェローニャと言う新しい街でも研究が進められています。大地が丸い事も月が大地を巡る事もこの大地が太陽を巡っている事も証明がなされようとしているのです」
ジャンヌが熱に浮かされてように話す言葉を聞きながらアレックスは忌々しそうに吐き捨てる。
「それこそ異端だ。ハウザー王国のケダモノたちの理論を振りかざすなど。ライオル家は間違っていなかった。清貧派は異端の集まりじゃないか!」
議論の発端になっていた少年はいつの間にか姿を消し、アレックスは憎悪に満ちた暗い瞳をジャンヌに向けるのだった。
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