第21話 選択教科試験(幾何)

【1】

 部屋に入ると全員の視線がこちらに向いた。居たのは二十数人。その中に女子は居ない。全員が男子だった。

「おい、部屋を間違っているぞ。ここは幾何の試験室だ。算術は隣の試験室だ」

 誰かが私に向かって告げる。

 部屋の中を見回すと部屋の中央に十数人が一人の少年を取り囲んで集まっている。私に声を掛けたのはその中のひとりだ。


「ここが幾何の試験室なら間違いでは無いわ」

 中央の一団以外は部屋の周辺の離れた位置にバラバラに座っている。

 私はその中間あたりの前方の席に向かうと、そう言って開いている席についてポシェットを机の上に置いた。


「おいおい、幾何が何なのか分かっているのか? 子供の積み木じゃあ無いんだぞ」

 中央にいた男子生徒が何人か取り囲んで私を揶揄しだした。

「代数が出来ても嫁には行けんぞ。俺ならそんな女は願い下げだがな、ハハハ」

 まあ所詮十五の子供のやる事だ。悪ガキっぽくてかわいい物だと聞き流していたがしつこくされると鬱陶しくなってくる。

「私に構う暇が有るなら数式の一つでも復習すれば如何かしら」


 その言葉にムッと来たようで、私を取り囲んでいた男子たちが鼻白んで言った。

「おい、女に指図されなくても数式くらい記憶している」

「お前こそ何ほどの事が出来ると言うんだ。付け焼刃で点数を稼げるほど甘い学問じゃあないんだ」

「フッ、それなら私に成績で負けないように頑張る事ね」


 部屋の真ん中で机がバンと音をして叩かれた。試験室内の全員がそちらを振り返る。

 試験室で尊大にふんぞり返っていた少年が机を叩いた音だった。

「平民の女ごときが思い上がるなよ。女の分際で分をわきまえた方が良いぞ」

 金髪・碧眼のその少年が私に向かって言った。


「そう言う事は試験が終わってから仰るべきですわ。私より成績が悪ければ大恥をかく事になりますわよ」

「不遜な言い回しは気を付けた方が良いぞ。ここには平民の女ごときに後れを取るような男はいない」

 彼のその言葉に室内の男子たちが賛同の声を上げる。

「そうだ! その通りだ」

「女ごときに後れを取る物か!」

「そうだ、殿下の言う通りだ!」


「座標や三角関数の解法に身分も性別も関係ないでしょう。平民でも優れた数学者は過去にもたくさんおられると思うのですが。それにどうでも良い事ですが私は子爵家の子女だと言う事だけ申し上げておきます」

「子爵家? 其の方など予科では見たことが無いぞ偽りを申すと後々困るのはお前だぞ」

「別に平民と思われようが試験には関係ない事ですね。私は最下位に成りたくないんで試験勉強を致します。もう無駄話はご容赦ください」

 そう告げてソロバンをポシェットから取り出して机の上に置いた。計算尺が完成していればなあ。


「座標?…などと意味の分からぬ事をほざいている女に後れを取るものか、バカバカしい」

 尊大な男子が吐き捨てる様に言った。

 …座標を知らない? 解析幾何は知らないのか? ベクトルは? 微積分は? 遅れているのはどっちだよ。

「ねえ、君はニワンゴ師を知っているのかい? それとも他にも研究者が居るのかい?」

 修道士らしき少年が私に声を掛けて来た。

「あなたはニワンゴ師を御存じなのですか? 面識が有るならぜひ紹介して欲しい」

「俺ももっとニワンゴ様の理論を知りたいんだが」

「…‥うん」

 私が答えるよりも先に別の少年の一団が立ち上がりこちらに向かいつつ声を掛けてくる。

 部屋の反対の隅からも二人の少年が立ち上がってこちらに歩いてくる。

「僕たちはニワンゴ師に薫陶を受けましたよ」

「あっ…ええっと、セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様お久しぶりで御座います。…それでニワンゴ師のお話ですが…」


 私を囲んで平民たちの一団グループが出来てしまった。

 クオーネでニワンゴの教室に参加していた少年が二名。そう言えば成人式で顔を見た記憶が有る。

 ゴッダードの父ちゃんの工房で機械設計や開発に携わっていた子が三名もいた。

 そして初めに声を掛けてきた修道士服の少年は西部の聖教会で幾何を学んでいたが、最新の解析幾何の研究結果を知りわずかな資料からニワンゴ達の存在を聞きつけたようだ。

 そしていつの間にか私の席の周りで試験勉強はそっちのけで解析幾何談議で盛り上がってしまった。


「平民ども! 場所をわきまえろ。そこの女も偉そうに言ってつまらん結果を招いて泣くなよ」

「そうだ! 試験場だぞここは」

「殿下の仰る通り静かに自習でもしていろ」

「殿下のお耳汚しだ! 静かにしろ」

 中央の尊大な少年とその周りの一団…貴族グループから怒鳴り声が響いた。

 私の廻り御少年たちは急に口を噤み私の周りの席に座った。

 …何なんだあの偉そうな男は。

 電化、電化って、ソーラパネルでもつけていろ、て言うんだよ。まったく。


【2】

 しばらくすると講師が四人入って来た。

 全員に紙束とインク壺とペンが配られる。

「静粛して聞くように。これから試験問題が三回読み上げられる。間違えぬ様に聞き取り書き写すように。そして課題の図番は正面に掲示される。席から見えにくい者は今のうちに席を前に移れ。今以降の席の移動は禁止だ。退出は自由だが、一度退出すると入出は認めん。三角関数表とアバカスや計算機の使用は許可する」


 大きな板に図形が描かれた物が五枚掲げられた。黒板を使えよ全く。北部はこんな所も遅れてやがる。

「学問に身分や性別の優劣は有りません。特に数学は導かれる結果だけが全てで、その解法こそが迷いの無い真理なのです。…ですから、結果を出しましょう。この試験で」

 私は小声で周辺のみんなに告げる。


 私の言葉に皆頷くと彼らは皆、机の上に三角関数表・コンパス・定規・ソロバンを置いた。

 部屋を見渡すと平民の子たちは皆、貴族の子弟も1/3は机の上にソロバンを置いている。

 わずかな期間に急速に普及したものだ。

「ねえ、新型アバカスを使う子は多いの?」

「ええ、算術系の学問をする平民が南部を中心に増えて、聖教会教室上がりの子供は皆これを使うので一気に増えました。清貧派聖教会お墨付きですしね」

「そこ! 私語は慎むように」

 叱られてしまった。


 そうして試験が始まった。

 始めはペンの音が部屋中に響き渡り、しばらくするとソロバンを弾く音がそれに混じり出した。

 試験内容は面積計算、累乗、ピタゴラスの定理、円周率が3以上である事の証明、三角関数と範囲が広い。

 ただし生徒の習得度を測る事が目的なので解らなければ解く必要はないのだが、上位のクラスを狙うなら、なにより理系のおっさんを舐めて貰っては困る。

 高校程度の数学問題でつまづくわけには行かないのだ。狙うは満点ナンバーワン意外に無いのである。


 時間まで席を立つ者はいなかった。ただ多くの生徒が私の様子を窺っているのは判る。

 私が席を立たないので退出できないのだ。私より点数が低いと言う事が貴族男子の沽券に係わるとでも思っているのだろう。

 私はケアレスミスを防ぐため何度も見直して時間一杯を使ったため誰一人退出するものが居なかった。


「セイラ様。いかがで御座いました、試験の出来は?」

「ニワンゴ司祭に学んでいれば解けない問題ではないはずよ。あなた方は如何でしたの」

「ええ、バッチリですよ」

「お願いします。ニワンゴ師を紹介してください。出来ればクオーネの研究所に行きたい」

「今はニワンゴ司祭は私のカンボゾーラ子爵領で筆頭司祭を務められているのですよ。私が紹介しますからお手紙を出しては如何ですか」

「お願い致しますセイラ様。私の友人にもニワンゴ師に指導を求める者が多くおりまして…」

 うまく行けばニワンゴの下で数学者の一大派閥が気付けそうである。


「なにやら、盛り上がっている様だが所詮女や平民の遊びであろう。いい気になるなよ。試験結果を見て後悔するな」

「そうだ殿下に盾突くなど以ての外だ」

「殿下に対して身分をわきまえる事だな」

 そう言って貴族連中の一団が出て行った。


「セイラ様が仰られた通り数学は結果が全て。電化にも負ける事は有りませんよ」

「さすがセイラ様。殿下に対しても一歩も引かない気概に感動致しました」

 さっきから電化電化って…?!

 殿下!?

 あいつジョン・ラップランドだったんだ。

 第二王子に喧嘩売っちまったよう!

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