第44話 懺悔(1)

【1】

  ブリー州はラスカル王国の南端、ハウザー王国とは国境を隔てて北に位置する。そして州都ゴッダードはハウザー王国との貿易の中心地でもある。

 そして獣人属が多いハウザー王国とは同じ聖教会でも宗派が異なりラスカル王国とは仲が悪い。


 北方三国と言われるハッスル神聖国、ハスラー聖公国、ラスカル王国は教導派の教えが主流で、人属至上主義的な選民思想が強い。

 教導派の思想では貴族や高位聖職者などは民を導くために生まれ、その権利と義務を行使するべきものと定義されている。


 今の聖教会の総本山であるハッスル神聖国教皇は特にその傾向が顕著だ。そしてその教皇の最大の後ろ盾がハスラー聖公国の聖大公である。

 その両国に軍事的抑止力として都合良く使われているのが今のラスカル王国だ。


 それに対してハウザー王国は福音派と呼ばれる神の恩恵は万人に遍くもたらされると説く平等思想が主流ではあるが、こちらは聖書偏重の所謂原理主義的な考えが強い国でもある。

 聖書に記載のない品物や技術は悪であり、利便性の追求は怠惰を招く悪の誘いであり、美食や贅沢は暴食や強欲の罪の権化であるとの労働至上主義である。


 また大地は神から与えられたものである為その所有権は神に属し管理を国が代行するとの考えで土地の私有が認められていない。

 その為平等主義ではあるが経済的、技術的な制約事項も多く文化的には北方三国から立ち遅れている傾向が強い。


 ラスカル、ハウザー両国とも思想はどうあれ農村部の平民は貧困と圧政にあえいでいることは変わりない。まあどちらの国も平民に労働と搾取を強いる褒められた政治制度ではないという事だ。


 思想的には水と油のようなハウザー王国ではあるが経済面ではハスラー聖公国に依存することが多いため表立っての対立は避けたい事情がある。

 軍事力ではラスカル王国と拮抗する力を持つハウザー王国であるが技術、経済が足枷となっている。


 それはラスカル王国も同じで、砂糖や綿花をはじめ胡椒や茶葉やコーヒーなどは殆んどが農業国であるハウザー王国からの輸入である。

 またラスカル王国を経由してハッスルやハスラーに向かう商品の輸出入税も王国の収入としては計り知れない。


 そしてブリー州の州都ゴッダードの街はその恩恵にあずかって栄えている。

 それはハウザー王国でも同様で、国境付近の南部の地域は清貧派の影響が強く聖教会にも清貧派の修道士が居る。特に国境を行き来するハウザー商人は清貧派の教徒が多い。


 そのせいでブリー州やその周辺は獣人属と人属の確執も少ない地域である。そして定住する獣人属が多い地域でもある。

 そもそも土地を持てないハウザー人が農繁期にブリー州の農村に雇われることは多かった。また職人や商人の社会的身分が低いハウザー王国を嫌いゴッダードに定住する獣人属も少なからずいた。


 ただ教導派が権力を握っているラスカル王国の聖教会では、獣人属は異教徒扱いを受けて教育を受けられなかった為底辺層に甘んじなければならなかった。

 だから私のチョーク工房には多くの獣人属の子供たちが通っていた。

 それがチョーク工房が聖教会に移り聖教会教室が開かれて、種族や宗派に関係なく子供たちを受け入れたことで清貧派に改宗する獣人属が大幅に増えた。


 貧民だけではなくゴッダードで成功した獣人属の職人たちや国境を行き来するハウザー王国の商人たちさえも国を超えてゴッダードの聖教会の信者になる者が現れている。


 アバカス教室を始めてからは大人も参加できる為さらにその傾向に拍車がかかり、算術と読み書きを学びたい成人した獣人たちが多く混じるようになった。

 セイラカフェでのアバカス教室も参加者が増え、ショタコン腐女子以外にも若いお針子や職人の見習いたちが参加するようになった。

 回数も週二回に増え、ピエール修道士見習いとアニエス修道女見習いが交代で講師をしている。


 セイラカフェはおおむね健全な方向で機能し始めている。

 今問題はメイドカフェの方だろう。私の頑張りで不埒なロリコンどもは排除できたが、店内の客層が別の方向にシフトしている。


 まるで新世界の将棋倶楽部か場末の雀荘の様相を呈し始めているのだ。

 賭けリバーシをはかるヤカラは追い出しているのだが、追い出した客は他所で賭けを行う。そうなればもう私が打つ手はない。

 賭け事の手段を聖教会肝いりで作ったとなると教導派に付け入るスキを与えてしまう上、せっかく手助けしてくれたヘッケル司祭たちの顔に泥を塗る事に成る。


 …なんで聖教会の専売を貰おうと思っちゃったのかしら。


【2】

 今年もハウザー王国から隊商がやって来た。

 ラスカル王国の南東に国境を接するハウザー王国の商人は皆、南の国境に面するブリー州目指してやってくる。

 国境を抜けると街道も整備され獣人属に寛容な清貧派が多いこの地域は商売も順調に進められるからだ。


 ブリー州の西隣で広い州境を共有するレスター州やパルミジャーノ州も同様で、その為教導派と福音派の中間的な思想の清貧派の聖教会の勢力が強い地域でもあった。またブリー州の北西に接するロンバモンティエ州もその傾向が強い。

 その為ブリー州を抜けてさらに西に向かうハウザー商人も多いのだ。


 反して東の国境は峻厳な山脈が連なり、その先は教導派貴族が納めるパダーノ州をはじめとする東部諸州である。

 王都に向かう街道沿いの北部諸州やハスラー聖公国とも国境を接する東部諸州は教導派の牙城でもある。

 ハウザー商人は州境すら通してもらえないだろう。


 その為この時期はハウザー王国からの綿花の買い付けに、北部諸州や東部諸州の商人たちもゴッダードの街に集まって来るのだ。国内で唯一ゴッダードの街に立つ綿花市を目指して。


 セイラカフェには以前からハウザー王国の獣人属も出入りしていた。またゴッダードに住む獣人も居て常連客の中にも少なからず獣人は居る。大概はハウザーとの貿易関係者だ。

 しかし隊商が出入りするこの時期になって急激にその数が増えた。

 ピエール目当てのショタコン腐女子やリバーシ打のち遊び人では無く、本来の商談客たちである。


 セイラカフェは本来体験型のショールームの付随施設だったはずがいつの間にか主客転倒していたのだ。

 ラスカル王国の王都で噂に上がるようなライトスミスの商品群である。他国とは言え国境線を挟んだハウザー王国でも話題に上らないはずはない。

 何より現物を手にとって見れる。カフェではその現物を味わう事が出来る。商人が集まらないはずはない。


 商会員見習いのミゲルやカフェ店員のマイケルまで動員して頑張っているのだが、ライトスミス商会の職員だけでは手一杯でダンカンさんにも応援で入って貰っている。

 大口の商談も多いのでお母様も商会の商談室に詰めている時間の方が多い。


 ミカエラさん一家は家族四人とも三食カフェで食事をして寝に帰るだけの状態になっている。

(俺)的には完全なブラック職場であるが、ミカエラさん親子にとっては給与が保証され働けば働くほど報酬も上がり食事まで出される職場はどこにも代えがたい最高のホワイト職場なのだ。


 既製品の家具の商談は続々と成立している。税金を払ってもハウザー王国で家具を誂えるより安く買えるからだ。

 父ちゃんは組み立て前の状態で割安で輸出する事を考えたようで、化粧板を含む部品を卸して現地で組み立てる方式でハウザー王国のヴォルフ商会と代理店契約を結んだ。

 家具部品として輸出するので税金も安くなり一度の馬車に詰める量も多くなるのでハウザー商人にとって破格の条件である。


 マヨネーズも片道三日かかる王都より半日で国境を越えられるハウザー王国の方が近いので国境沿いの商人から次々と商談が入り始めている。

 黒板やチョークも昨年から綿花の競り市等で導入され、入札の表示や競り値の表記に使用されている事から興味を持たれて商談の声がかかり始めていたが、今年は大量の発注が入っている。


 ブリー州全域で聖教会のチョーク工房は拡充され量産体制に入りつつある。

 州内の救貧院は全てチョーク工房の支援施設になり、経済的に強固な基盤を築いた清貧派はブリー州の教導派を完全に駆逐してしまった。

 もともとの清貧派の本拠地であるレスター州も同様で、この流れは周辺のパルミジャーノ州やロンバモンティエ州にも波及しつつある。


 セイラカフェは連日ハウザー王国の商人が大量に押しかけ、熱気にあふれている。ラスカルの王都でも話題のフルーツサンドウィッチやマヨネーズをふんだんに使ったオープンサンドが食べられることも人気の一つだ。

 その上今年は新製品の算盤とリバーシの登場である。

 目端の利くものは早々に聖教会のアバカス教室に参加して手に入れる者もいる。

 何件か個人用の高級アバカスのオーダーも入っている。


 逆に獣人属が多く集まる事を嫌いラスカル王国の東部や北部の商人は殆んど現れない。ファナセイラやゴッダードブレッドなど庶民料理だと言ってハバリー亭に集まっている様だ。お陰で商人同士のもめ事も無く助かっている。


 そして一番の問題はリバーシだ。短時間で勝敗が決まりルールが簡単なリバーシはハウザー商人たちに完全にロックオンされている。

 今でもメイドカフェで常連客とハウザー商人が入り乱れてリバーシの熱戦が繰り広げられている。


ハウザー商人どもは帰ったらすぐにリバーシ盤を真似するだろう。特許権なんてないんだから文句も言えない。ましてや他国である。

うちの利権程度なら構わないが、ハウザー王国の商人たちと聖教会に溝が出来るのは避けたい。

事が起こる前に手を打たねばなるまい。

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