第64話 鳥籠の鍵

【1】

 ドミンゴ司祭に伴われ私は大聖堂の回廊を歩いている。私の後ろにはコルデー氏とグリンダがついて来ている。

 メリージャ大聖堂は古いが由緒ある建造物で、ゴッダードの聖堂など比べ物にならない。巨大で重厚な石造りの建造物はそれだけで威圧感が有る。

 薄暗い堂内にはすべての柱に燭台が設けられて火が灯されている。柱に施されて彫刻は浸み込んだ油の煤で黒く光っている。


 三千年前にはハウザー王国とラスカル王国の南部やその周辺国を含む巨大な帝国が有り、その中心地がメリージャの第一城郭であったそうだ。

 その後帝国は分裂し、北方の人族のハスラー神聖国の権威を背景にラスカル王国が南部に拡大し、ハウザー王国は周辺国を従えてメリージャを手中に収めた。

 その歴史の名残が第二城郭、第三城郭として残っている。


(俺)の感覚では歴史の重みに感動しているのだが、ハウザー王国の聖教会は由緒来歴には関心が無いようで、大聖堂の彫刻やレリーフも破損するままに放置され老朽化が目立つ。


 聖堂の奥にバトリー大司祭の大きな執務室が木の扉が見えた。来客を告げる先触れの声が響く。

 扉がゆっくりと押し開かれ、私たちは扉の前に跪き信徒の礼を取る。


 扉の奥からくぐもった声が響いて来た。

「良く参られた。面を上げよ」

 頭を上げると執務室の光景は聖堂と打って変わって贅を極めた造りになっている。両翼の壁には四季の楽しみをモチーフにしたのであろう、天使や男女が森や草原で遊び戯れる図柄の絨毯がタペストリーのように掛けられている。


 床の上には全面に毛足の長い柔らかな無地の絨毯が敷き詰められ、その上に更に毛皮が敷き詰められている。

 その奥の豪華なソファーに座って微笑む真っ白な司祭服の女性の冷たい瞳が私を見下ろしていた。


【2】

「お初にお目にかかります、バトリー大司祭猊下。この度メリージャにて商会を立ち上げる事に成りましたセイラ・ライトスミスと申します」

 そう口上を述べると深く一礼する。

「あなたのご両親からも丁重なご挨拶を頂きました。緊張しなくても良いのですよ」

「こちらに控えておりますのは、法律顧問のコルデーとメイド頭のグリンダと申します。良しなにお引き立てのほど宜しくお願い致します」


「上手に口上が述べられましたね。さあこちらにお座りなさい。私とお話を致しましょう」

 微笑みを浮かべ私を誘う大司祭の視線は獲物を狙う猛禽の眼だ。

 私はオズオズと迎えの席に座る。


「大司祭猊下、僭越では御座いますが先に今回の用件を済ませたくお時間を頂戴したいのですが」

 私は驚いた顔でコルデー氏の顔を見上げて言う。

「ああ、あのコルデーさん。今はちょっと…」

「まあ、本当に僭越ですね」

 大司祭は横目でコルデー氏を一瞥すると続けて言った。

「お嬢さんが困惑なさっているわ。…仕方ない方ね、お話を伺いましょう」


「恐悦に御座います。それでは…」

 コルデー氏は待っていたとばかりに、契約書類を提示し説明を始めた。

 ひとしきり取引条件の説明が続く。

「ドミンゴ、どう思いますか?」

「はい、大司祭猊下。既製品の8×8盤についてはまあ仕方が無いとして、8×8のオーダー品に関しては大司祭猊下をはじめ司祭長や他の司祭達にも付き合いというものが御座います。出来るならばオーダーの要望は聖教会を通して頂きたいですなあ」

「そうですねえ。聖教会が刻印を打つ限りその責任も聖教会に在ります。不埒な方にオーダー品が渡ったとあれば聖教会の威信にかかわりますからね」

「現にラスカル王国では賭博に使おうと企んだものまで現れたとか。ハスラーでも聖教会が指導できるように是非お願いしたいですな」

 ドミンゴ司祭が畳みかけてくる。


 コルデー氏は苦々しそうに唇を噛む頷いた。

「解りました。オーダー品の販売についても聖教会にご報告をする様に致しましょう。ただ価格の設定については商人連合が決めさせて頂きたい」

「まあ宜しい。8×8盤のオーダー品についてはその方針で構いませんが、聖教会を通して注文が来た際は制作工房も指定させていただく。オーダーを受けた時に先方の提示価格も承りますので販売の時はそこも汲んで頂きたい」

「ちょっと待ってください。それは余りに…」

「聖教会に来たオーダーなら客先の意向をくむのが商人では無いのかね」

「それならば商人連合と話し合いの上と言う事で、販売時は必ず商人連合を通して頂きたい」

「間に入った司祭の立場も…」

「ドミンゴ司祭、そう強く言わなくとも。セイラさんが見ておられるのですよ。コルデー殿の案で宜しいでしょう。これで納得していただけるでしょう。ねえ」


 コルデー氏は俯いてこぶしを握り締めながら首肯した。

 バトリー大司祭が満面の笑みで語り出す。

「さあこれで、8×8盤の製作、販売については良い取引が出来ました。賭博の罪悪については下々の者に聖教会の分室や村々の聖教会で教えを施しましょう。村々の聖教会にも分室のように工房を設けて刻印の業務も代行させましょう。もちろん分室でも刻印作業を代行させて構いませんとも。各村の聖教会にも在住の修道士だけでなく聖導師か聖導女を駐在させて聖務を司るように致しましょう。ああこれも皆、天なる解放者様のお導きで御座いますね」


「さあセイラさん。難しい話は終わりましたわ。何かおみやげをご持参いただいたのでしょう? 一人で食べるのは寂しいわ。一緒に落ちに致しましょう」

 そう言ってグリンダを見つめる。

 グリンダは持て来た大きなバスケットを掲げると


「持参いたしましたファナセイラで御座います。もし宜しければコンロをお借り出来ないでしょうか。それならば以前お持ちしたファナセイラに加えて、また趣向の変わった甘味をご提供致す事が出来ます」

「まあそれは嬉しい事。奥に給湯室が有ります。そこをお使いなさい」


 グリンダは大司祭のメイド代わりと思しき修道女に連れられて奥の給湯室に消えた。

「さあ、ドミンゴ司祭。コルデー顧問と契約書の修正をお願い致しますわ」

「コルデー殿、参ろうか。8×8盤の契約については先ほど大司祭猊下の申されたことが聖教会の結論だ。その方らが望んでいた教室も工房も設置できるようになったのだ。喜び給え」

 コルデー氏は苦虫を噛み潰したような顔で返事をしない。

「なあコルデー殿。不本意な契約内容も有っただろうが、分室での刻印まで認められたのだ。商会の儲けとしてはどうかわからんが、セイラお嬢さんの目的は達成できたのではないかね」


 私と大司祭は皿にのせて出されたフレンチトーストのフルーツサンドと修道女が入れてくれたお茶が饗された。


「この茶葉とても香りが高く美味しゅうございますね」

「そうでしょうとも。やはり良家の子女だけ有って舌は確かなのですね。これはハウザー王国の東の果ての山岳地帯で取れる良質の茶葉の一番摘みを加工した物なのですよ。この最果ての街では味も分らない者ばかりで辟易していたのですよ」

 私は大司祭のお茶のうんちくを有り難く賜りながら書類の完成を待った。


「セイラ殿契約書類が完成いたしました。ご確認の上商会長のサインをお願い致しまする」

 ドミンゴ司祭がニヤリと笑って書類を差し出す。

 コルデー氏はあまり意に沿わぬ内容であったのか憮然とした顔でソッポを向いていた。

 大司祭がまず書類を受け取り斜め読みで雑に目を通すと、さらさらとサインをして私に手渡してきた。

「わからない言葉が有れば私にお聞きなさい」


 私は手に持った書類束に目を通して行く、原本の書類は出発前に私たちで用意した原稿なので問題ない。

 訂正箇所が先ほどの交渉の内容と齟齬が無いか目で追って行く。

 販売について、作成工房について、オーダー品について交渉結果に沿っていると班田出来る。

 刻印業務の代行も農村での聖教会教室と工房の設置も、分室への刻印の権限の委譲も記載されている。


 そして最後に締めくくりの一文。

×の製造・販売に関しては以上の契約内容を遵守し、諸天の精霊と解放者の御名の下に誓約されし事をここに記す』

 私はその一分の下、バトリー大司祭のサインの隣にセイラ・ライトスミスとサインを入れた。


「さあこれで難しいお話は全部終了。お茶の続きを致しましょう」

 その大司祭の言葉に合わせた様にグリンダが盆を掲げて入ってきた。

 蕩けるほどにタップリと卵とミルクのシロップに浸して焼き上げたフレンチトーストにタップリの生クリームが乗っている。

 銀のナイフとフォークが副えられて湯気の立つデザートがテーブルに並んだ。

 大仕事を終えて私は甘いフレンチトーストに舌鼓を打った。

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