第65話 内鍵

【1】

 執務室を辞して帰って行くライトスミス商会の一行の後ろで扉がしまる。

 バトリー大司祭は立ち上がり、微笑みながら見送っていた。

 しばらく扉を見ていた大司祭は、ドッカとソファーに座りその背もたれに体を預けると満面の笑みを浮かべた。

 契約書類を取るとページを繰り、サインを見つめる。

「なんとも可愛らしい事。これからも私の役に立って貰いたいものですね、ドミンゴ」


「はい、大司祭猊下。契約の内容は聖導師以上の者には全て通達せねばなりませんので、明日にでも全員を呼び集めて会議を招集致します」

「それまでに、早急に城下の細工師や彫金師を呼び集めて作業にかからせなさい。誰か気付いていそうな者はいないかしら。司祭長達より先に職人を抑えることが肝要よ」

「多分まだ司祭長達の間では気付いたものはいないと思いますが、それでもオーダー品の注文取りで動き出しているものは多くいます」


「8×8盤のオーダー品で目くらましをしている間にどれだけ抑えられるかでしょうねえ」

「出来れば6×6盤の権利は全て押さえてしまいたいもので御座いますな」

「ええ、10×10盤は大きいので高級品の市場を抑えられればそれで良いわ」

 そう言うと大司祭はゆっくりとティーカップに口をつけた。


「そうそう、今日あの娘が持ってきたお菓子もとても美味しかったわねえ。冷めると味が落ちるので出来ればここで作らせたいのだけれど…。あのグリンダとかいう娘もここに置かせることはできないかしら」

「さすがに、他国民ですしセイラカフェの責任者でもありますから難しいでしょう。それでしたらあの店で修行したメイドをお雇いになれば」

「ごめんだわ。獣人属のそれも貧民など」

 ダリア・バトリー大司祭は吐き捨てるように言った。


【2】

 時間は二日前に遡る。


 ドミンゴ司祭と本音で語り合った翌日から、私たちは動き出した。

 ヴォルフ氏、カルネイロ氏、コルデー氏、ドミンゴ司祭、グリンダと私の6人で情報を収集し知恵を絞りあった。


 まず聖教会に提示する契約の販売価格設定について、ゴッダードでの同等品の価格を上回らない事。

 提示する理由は、メリージャでの販売価格がゴッダードの輸入品より高ければ売れないから。


 オーダー品は商人連合との交渉で設定されるためこちらも無秩序なつり上げを抑制できるだろう。それにオーダー品の方が価格を吊り上げられる余地が有ることから、猛禽たちの視線をこちらに向かせる事が可能だ。

 この上限設定とオーダー品の販売で、聖教会工房への無秩序な生産の強制も抑止できるだろう。


 コルデー氏の提案で、オーダー品の受注を司祭たち個人が受ける事が出来るようにした。そうすれば司祭たちの聖教会工房への圧力は更に下がるであろう。

 それでもまだまだエサが足りない。

 検討の結果、起死回生の一手を思いついた。


「こいつは嬢ちゃんに頑張ってもらわなけりゃあならねえな」

「ヴォルフ様、それはあまりでは御座いませんか。お嬢様にご負担は…」

「良いのよ、グリンダ。本当に私が適任だと思う。私以外だと警戒されてしまうわ」

「根回しはわしがしっかりとしておく。事の算段はコルデー殿に頼むとして、カルネイロ殿、司祭連中には色々と吹き込んでやって欲しい。ヴォルフ殿は少し黙っておれ、セイラ殿には人形に徹して貰うのが一番じゃからな」


「私はセイラ様が侮られるのも我慢なりませんが、かと言ってこの様な場に居られるのも嫌です」

 リオニーが辛そうに言う言葉にアドルフィーネとナデテ頷いた。

「ありがとう三人とも。でもこれは私の役目なの。商会長としてのね」


「それならばわたくし達も連れて行ってくださいまし、何かあればいつでも盾に成って…」

「アドルフィーネ、何を勇ましい事言っているの。喧嘩をしに行くんじゃないのよ。それに徒手格闘をあなた達の教えたのは誰だったかしら」

「そうでした。セイラ様でした。でもナデテは体術ならもうどのメイドにも負けませんよ」


「お嬢さん、メイドが徒手格闘ってどういう意味だ。うちの娘にも教えるのか?」

「コルデー様、護身術はメイドの嗜みですわ。体術ならナデテ、リオニーはカトラリーでもモップや家具でさえも武器にできる格闘術を、そしてわたくしは火魔法と風魔法を合わせて使えます」

「なあ嬢ちゃん、メイドにそんな修業が必要なのか?」

「エッ、そうじゃないんですか? 主人を守るためには執事やメイドに最低限の護身術は必要では? 戦闘メイドとか言うんじゃなかったんですか」

「いや、そんな事は聞いたことがねえぞ。武闘派の執事なら聞いた事が有るがメイドに戦闘力はいらねえんじゃねえか? まああるに越したことはねえかもな」

「…!」

 島崎と坂本のバカ野郎。お前ら(俺)に何を教えていたんだ。真に受けて大恥をかいただろうが。 


「それじゃあ、俺は第一城郭の貴族や富豪連中の息のかかった小物細工師や彫刻工房を煽ってみようか」

「大司祭との面会は明後日だ。わしが其の方らを迎え入れる」

「ミゲル殿はまだ帰られぬようなので、馬車はわたくしの店から差し回しましょう」

「リオニー達三人はおみやげのファナセイラを腕によりをかけて準備して頂戴ね」

 さあ、後は本番を上手く乗り切れるかだ。


【3】

 大司祭の執務室を出てから、コルデー氏はずっと俯き加減で歩いていた。

 燭台の灯に照らされた長い回廊を抜けても、歩きながら口の中でブツブツと呟いていた。

 そして差し向けられた馬車に乗り込んだとたんに堪え切れなくなったのだろう、声に出して笑いだした。


「クックックック、ハハハ。お嬢さん、あんた良く笑わずに堪えられたなあ」

「お嬢様がこの程度の腹芸が出来ないお方だと思われたのなら心外で御座いますわ。ゴッダードでは聖教会や貴族を相手に商談をされているのですから」

 グリンダの言い方もどうかと思う。

 それでは私が悪徳商人のようではないか。


「何よりドミンゴのあの悪辣司祭ぶりは…。あの人の役者ぶりは相当なもんだよ。俺は笑いを堪えるのが精一杯だった」

「でもコルデーさん、あなたの大嫌いなバトリー大司祭に利益を供与する事に成ってしまいました。すべて納得できたわけでも無いのでしょう?」

 私の質問にコルデー氏は自嘲気味に微笑んだ。


「ああ、この俺が憎んできたバトリー大公の娘に金蔓を渡す羽目になるとはな。まあ少々残念だが、聖教会工房も聖教会教室も目的通りすべて手に入ったしな」

「分室の刻印の権利まで手に入るとは想定以上の成果でしたね。ドミンゴ司祭がどんな誘導であそこまで漕ぎ着けたのかは知りませんが感謝していますよ」

「第三城郭の住民も少しは潤う事に成るし、何より多くの子供が死なずに済む。これから第三城郭は変わって行くぞ」

 コルデー氏は希望に満ちた顔で笑う。


「なによりもお嬢様の一番望んでおられた、各聖教会の大聖堂からの独立の一歩が打てたことが嬉しゅうございます」

 私はグリンダの言葉に驚いて彼女の顔を見返した。

「何故それを…」

「何故と申されましても、そのように思えましたもので。トマス修道士様やガブリエラ修道女様にも、それからドミンゴ司祭が連れてこられたテモテ修道士様にも協力をお願いしてオーダー品の受注に首を突っ込んで煙たがられるようにお願い致しました。そすれば大聖堂から弾き出されてしまうでしょうから」


「それであの大司祭様は一般品の刻印を捨ててまでオーダー品を囲い込もうとしたのか。あんたが裏で動いていたんだな」

「わたくしはあくまでお願いしただけで御座います。お嬢様がお望みの様だったので」

「あーあ、やっぱりそうだったのね。私一人じゃあ本当に何もできないわ。コルデーさんやドミンゴ司祭に動いて貰ったけれどそれでも抜けていたところをグリンダにカバーして貰った様ね。つくづく思うわ、私って小っちゃいなぁって」

「お嬢さん、あんたが小さいなら俺なんか粟粒だぜ」

「でもお嬢様の智謀で上位聖職者たちは自ら鳥籠の扉を閉めてくれましたわ」

「それを言うなら、グリンダの働きで内側から鍵迄かけてくれたのよ。それはあなたの成果だわ」


「コルデーさん、これでもあの大司祭様にも十分に利益を得られるだけの余地は残してまいりましたよ。私たちがこのまま口を噤めば問題が表面化するまでには何年もかかる事に成ると思いますよ」

「ああ、それをどのタイミングで広めるかは俺達しだいって事か」

「そのタイミングはハウザー王国の皆さんにお任せいたしますわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る