第66話 外鍵

【1】

 私たちは気疲れのする仕事をやり終えて、やっとセイラカフェにかえってきた。

 カルネイロ氏が差し回してくれた馬車の御者に礼を言って、グリンダが幾ばくかの銀貨を握らせて送り返した。

 昼前のこの時間はいつもなら客が増えてくる頃なのに今日は思ったよりも入りが少なそうだ。


 見習いの子たち三人が忙しく立ち回っている中、その原因が店の中央でドンヨリとした空気をまき散らしていたのだ。

 更にその周りに三人のメイド店員達までも一緒に成ってドンヨリの中に包み込まれていた。


「ああ、私はあの大司祭がどんな女だったか知っていながらセイラ様を行かせてしまったのです。自分の愚かさが情けない」

「そうなのですよ、私はセイラ様がなんとおっしゃられても止めるべきでしたわ」

「旦那様、セイラ様がおかわいそうですぅ」

「お前たちの気持ち話良く解る。情けないのはそれにさえ気付かずに一人でここの残して言ったこの俺だよ。お前たちは何も悪くない」

「「「旦那様ー」」」


 ああ、私の周りはこんな人ばかりだ。みんな少々過保護過ぎないか。

 父ちゃんが率先して店の雰囲気を悪くしてどうするんだ。

 それに乗っかって一緒に泣いているリオニー達も、気持ちは有り難いがもっとプロ意識を持ってもらわないと。

 そう、グリンダみたいに…、ってグリンダが怒ってる。それはそれは深く物凄く怒っていらっしゃる。


「リオニー! アドルフィーナ! ナデテ! 何をしているのですか!」

 その声に気付いた四人は一斉に立ち上がると直立不動の姿勢を取った。

 …そう、四人とも。

「メイドは何が有っても主人に辛い顔を見せてはいけないと教えたはずです。まして、仕事を後輩に任せて揃って泣いているなど言語道断です」

「「「ハイ、メイド長」」」

「それから、旦那様! お嬢様が精一杯頑張っていらっしゃるのに、御父上の旦那様がそのようなご様子では困ります! 過剰な心配はお嬢様のお仕事の迷惑で御座います。店にいらしたのなら邪魔せず皿の一つでも洗ってください」

「ハイ! グリンダメイド長」

 グリンダ、よく言ってくれた。


 ◇◇◇◇


 父ちゃんはカウンターの中で皿を洗いながら聞いて来た。

「で、その見習いっ子の後ろに居る男は誰だ?」

 コルデー氏はシャルロットちゃんの後ろで皿運びを手伝っている。

「ああ、紹介するよ。この人はチャールズ・コルデー。私が雇った法律顧問。それでこちらが私の父で、ライトスミス商会の筆頭経営者のオスカー・ライトスミス。商会の出資元であるライトスミス木工工房の工房長で、ゴッダード商工会の筆頭理事よ」


 元伯爵家の嫡子と商工会の筆頭理事の顔合わせにしてはずいぶんと締まらない。

「で、なんで父ちゃんがメリージャに来ているんだよ。工房の仕事は良いのかよ」

「ミゲルが持って帰ってきた手紙の返事が来たんだよ。それでついでに一緒に来たんだ。ミゲルが心配してたんでな」

「それで仕事をほっぽって…。…ありがとう父ちゃん。でも商工会や店の方は大丈夫なの?」

「そいつは、レイラが居るから任せてきた」

「…本当にもう。まあお母様なら大丈夫だろうけどね」


「それで、首尾はどうだったんだ」

「まあ上手く行ったよ。店が終わったらみんな集まるんで、その時報告するよ。だからそれ迄に契約書に目を通しておいてよ」

 そう言って父ちゃんに書類束を手渡した。


【2】

 ヴォルフ氏とカルネイロ氏は閉店前にやってきて、コルデー氏と父ちゃんの4人で調子ずいてワインを開け始めた。

 二本目を開けさせない様にメイド店員たちに監視させながら閉店の準備にかかる。


 お客たちはワインを片手に居座っている四人を尻目に、不満そうにしながらも帰って行った。

 どうしようもないおっさん四人組だが、日の高いうちから飲むアルコールは格別である。その気持ち分かるよ(俺)は。


 グリンダたちに片付けを頼んで、私も新しいワイン瓶とミルクのコップを持ってテーブルに加わる。

「すごい成果じゃないか。ブリー州とほぼ同じ条件で契約できたようだな」

 父ちゃんも満足気だ。

「村の聖教会や第三城郭の分室を大聖堂と切り離して独立させる事が出来たのでハウザー王国内では画期的ですよ」

 コルデー氏も頷く。


「だがよう。何で8×8盤に限定した契約書なんだ? 何か意味があるのか?」

「まあちょっとね」

「わからんなあ。10×10はまだしも6×6盤は売れんだろう」

「まあね。バレればそうなるだろうね」


「それじゃあ、隠してるのか? 何のために···、ああ大司祭対策か」

「だから、向こうが気付くまでは放っておこうと思っております。私ども商人組合は関わらないように通達しておりますから」

「大司祭や司祭長連中に関わると工房の儲けは削られる上、割高の価格設定で売らされる。そんな事になりゃあ聖教会工房がたち行かなくなる。大聖堂と切り離せて口を挟めなく出来てホッとしたぜ」

「しかし見ものだな。6×6盤は後手必勝だってバレたときの大司祭の顔が」


「まあ当分は気付きますまい。大司祭様は第一城郭中の馴染みの細工師や指物師に声を掛けて回っていらっしゃる。端から高級品で利ザヤを稼ぐことしか考えておられぬ。一般品が出ないなら後手必勝に気付くものは当分先になるでしょうな」

 扉を開けて入ってきたドミンゴ司祭が言い放った。


「ああ、今日の功労者様がいらっしゃった」

 コルデー氏は上機嫌でドミンゴ司祭を迎え入れた。

「本当に聖教会分室に刻印の権利まで付与して貰えるとは破格の条件でしたな」

「工房に来るガキどもは任せてくれ。俺たちがきっちりと仕事を教えてやる。洗礼式から二年で使える様に仕込んでやる。それ以上を望むなら、十二で一端の職人に仕上げて見せる」

「商人連合でも商才の有る十歳を迎えた子供達を教育できる受け皿を考えるべきでしょうなあ。ゴッダードのマヨネーズ売りは本当に良い受け皿だと思いますよ。働いて商売のノウハウも学べる。あの手法を使って何か考えてみましょう」

 これは私としても鼻が高いアイディアだったと思っている。

 個人での買取と販売で帳簿の付け方や売買の最低限のノウハウを学べるOJTの良い手段だと思っている。


【3】

 店が片付いたのと併せてコルデー氏はシャルロットたちと帰って行った。ヴォルフ氏とカルネイロ氏もしばらく話していたが日暮れ前には帰路についた。

 私は一緒に辞する旨を告げるドミンゴ司祭を少し話があると押し留めた。


「まず一つ目はこれからのサンペドロ州の聖教会についてです。今日からサンペドロ州は上位聖職者と下位聖職者としてハッキリと派閥が分かれたと思いますが如何でしょう」

「その通りじゃな。大聖堂派と教会派とでも言おうか。完全に二分されただろうな。上位聖職者は意に介してはいないかもしれんが、下位聖職者は自覚しておる。そして下層民はもとより中間層以上の平民を含めた支持を得られるのも下位聖職者の派閥になるだろう」


「その時あなたは下位聖職者の派閥のトップとして君臨すると…」

「嫌な言い方はやめて貰いたい。上位聖職者からは裏切り者と罵倒される未来が見えるがな。そもそも村々の聖教会を大聖堂の頸木から解き放つのはわしの悲願だ。これだけはやり遂げる」

「しかし係争が表面化すれば後ろ盾の無い下位聖職者は不利でしょう」

「だからラスカル王国の聖教会に後ろ盾になって貰いたい。今回の件もそう思ってゴッダードの清貧派に声を掛けたのだ」


「その為にわざわざラスカルの王都まで出向いて枢機卿に繋ぎ迄取ったのですか?」

「っ!」

 私の言葉にドミンゴ司祭は息を飲んだ。

「何故それを」

「否定はなさらないのですね」

「其方に噓や偽りが通らぬのは理解しておる。そう言う限りは確証が有ると言う事もな」


「以前私の所に清貧派の司祭様が王都の教導派のペスカトーレ枢機卿と面会したとの情報が入りまして。調べて貰っていたのですよ」

「それだけの事で?」

「他国のドミンゴ司祭はご存じないかもしれませんが、清貧派にとってペスカトーレ枢機卿は憎んで余りある程に嫌われているお方でして。関わりを持つこと自体がもう重大な裏切りなのです」

「それは人選を誤ったな。それでいつそれがわしだと気付いたのかな?」


「面会したと言われる日にちがドミンゴ司祭が見えられた日にちと近かったもので、色々と調べて貰ったのですよ。その回答が今日届きまして、こうしてお話させてもらっている次第です」

「侮っていたわけでも無いんだがなあ。しかし一言弁明させてもらおう」


「ペスカトーレ枢機卿に面会したのはわしだが、関係を望んだのはわしでは無いよ」

「それではどなたが?」

「バトリー大司祭さ」

「っ!」

 今度はこちらが息を飲む事態になった。


「あの女の言動を聞けば見当がつくであろう。獣人属が嫌いで人属至上主義。おまけに平民は人とすら思っておらん。その上あの物欲だ。ハッスル神聖国の教導派大司祭そのままの女であろうよ」

「それじゃあ、あの大司祭の名代で?」

「ああ、親書を手渡すのがわしの役目だった。封蝋が有ったので親書の中までは解らんが、何が書いてあったかは容易に想像がつく。二度だ。王都には二月と五月に出向いておる其方の調べと齟齬が有るかな?」

「いえ、有っております」


「もし封蝋が偽造できるなら、この次からはゴッダードの聖教会に持って行っても良いぞ。如何かな?」

「それは助かります。ボードレール大司祭様に、早急に連絡を入れて対応していただきましょう」

「そうして頂ければわしも助かる。これで猛禽共が鳥籠から外に飛び出せぬ様に外鍵をかける事が出来ると言うものだ」


 やはりドミンゴ司祭は最後の最後まで腹の内の読めない男だった。この先どこまで信用できるかは疑問であるが、有能で役に立つことも間違いない。

 ハスラー王国での聖教会教室と工房の運営はシッカリと立ち上げて根付かせてくれそうだ。

 今後起こるであろうハスラー王国との紛争に楔を打つ事が出来たのか、それとも油を注ぐことになるのか不安は残るが、事業は順調に動き出した。

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