第63話 籠の中の猛禽

【1】

 思った以上にドミンゴ司祭は領地村落の聖教会に対して真摯に取り組んでいるようだ。

 実はコルデー氏にドミンゴ司祭の聖教会の評判を調べて貰っていた。思ったより評判の良い司祭であった。

 聖務は欠かさず本人が赴き、代行を立てることは滅多にない。更に過分な喜捨は要求しない。

 司祭が差し入れを持ってくるので、村人は聖務の終了後司祭たちと食事をするのを楽しみにしているほどだ。


 カルネイロ氏の情報によれば、大聖堂での評判は因業で策士。能力はあるが、政敵は平気で陥れる。メリージャの有力商人達にもコネが有り、大司祭のご機嫌を上手く伺って取り入り私腹を肥やしている。

 特に枢機卿家出身の司祭や司祭長連中には蛇蝎の如く嫌われている。司祭たちにもあまり賛同者は居ない。農村出身の獣人属聖導師が彼の派閥だそうだ。


 まるで違う二つの顔を持つドミンゴ司祭を私は掴みかねていた。


 情報を持ち帰って検討する事でその日は解散となった。

 メイド店員三人が見送りに出る中、リオニーにドミンゴ司祭に渡すようメモを持たせた。

 ”明日個人的に話がしたい”そのメモをそっと司祭に渡して貰った。


【2】

 翌日の夜、ドミンゴ司祭が一人でやって来た。

 何人か聖導師を連れてくるかと思っていたので意外だった。

「もう考えるのはやめだ。いらぬ詮索をして墓穴を掘ってしまったからな」

 ドミンゴ司祭は自嘲気味にそう言うとコーヒーを飲んだ。

 何かしら肩の力が抜けたように見えて以前より好感が持てた。


「わしは元々農家の出でな。裕福では無かったがどうにか不自由なく暮らせる程度には土地も持っていた。それが領主が代替わりした途端に税が増えて、挙句の果てにメリージャの商人連中に食い荒らされて何もかも持って行かれた」

 ドミンゴ司祭は目を落として、誰に語るでもなく話し出した。


「家族は離散したが、両親から読み書きの教育を受けていたおかげでわしは修道士になる事が出来た。必死に這い上がって農民出ながら司祭にまでなる事が出来た。赴任した村の聖教会は、わしが育った村と変わらない惨状だったよ。周辺の村落を食い物にしているメリージャの街もそこに巣食う貴族も聖職者も気に入らん。少しでも毟り取って農村を潤わせたい。その為なら泥を啜って汚名を被ってもかまわん」

 その手段がどうであれこの司祭様は自領の農村の為に頑張ってきたのだろう。


「それで、大司祭様の説得は難しですか?」

「あの女は高位貴族の典型みたいなものだ。領民や市民の窮状など歯牙にもかけない。そもそもバトリーの直系だぞ。農奴や農民は人だとすら思っておらん」

「…バトリー家の直系?」

 コルデー氏が反応した。


「ああ、前大公の娘だ。殺戮公エドモン・バトリーの次女だよ」

 そう言えばカロラインさんはバトリー大公に売られたと言っていたな。

「まさか…、なぜそんな奴が聖職者なんかに」

 コルデー氏がかすれた声で呟いた。


「その方、バトリー家の話しを知っているようだな」

「詳しくは言えないが、あの大公とは因縁が有る。領内の農奴の子供を殺し尽くしてハウザー領で農奴の誘拐を企てた事が原因で国が滅んだんじゃないのか。その直系が大司祭?」


「親の所業を悔いた訳ではないぞ。大公の血を一番濃く受け継いだ娘だ、あの大司祭は。二十三人だ。国が滅んで子爵家になっても変わらずにあの女が殺した農奴の数だ。たまらずに他領に脱走した農奴の訴えで、捕まって聖教会で悔い改めろと放り込まれたのが此処だよ」

 余りの馬鹿げた話に私の意識はついて行かない。

「二十三人も殺して、大司祭として贅沢を極めていて何が罰なんですか!」


 コルデー氏は怒りで顔を主に染めながらも私に言う。

「お嬢さん、貴族は腐っているって言ったでしょう。これがこの国の貴族の感覚なんだ」

「分からない、理解できない。何故そんな事がまかり通るのか」

「サンペドロ州やこの周辺の州では、農奴殺しは犯罪なのでな。あの大司祭も大人しくせねば幽閉される事が解っているからな」

「それ以外では犯罪ですらないと…?」

「これ以上は言わんよ。大司祭が農奴を殺した理由も、バトリー大公がやってきた所業も聞くに堪えんからな」


「…私はそんな大司祭をのさばらせる為に媚びを売らねばいけないのでしょうか」

 つくづくあの真っ直ぐなラスカル王国の清貧派の聖職者たちが恋しくなってきた。

「余り勧められんが、わしは農民を守る為の義務だと思ってやっておる。嫌なら逃げれば良い、子供のそなたを誰も責めはせん」

「嫌な言い方をなさいますね。そんなこと出来るわけ無いでしょう」

「不本意ですがお嬢様、私も司祭様のお言葉には賛成致します。お嬢様が泥をかぶる必要はございません。ましてや毒をあおるような真似は看過できません」

「その通りだお嬢さん。俺なら過去の身分や経験も有るからあんたの代わりは務められる。あんたを守る事が娘の為になると思えば毒杯でも飲み込めるさ」


 見掛けは子供でも(俺)は、彼ら三人よりずっと年上だ。若造にここまで言われて甘えるなど出来る訳もない。

「すみません。つまらぬ弱音を吐いてしまいました。私がやり掛けた事です。皆さんのご助力が頂ければ臆することも有りません」

「お嬢さま、いけません」

「グリンダ、長い付き合いでしょ。あなた方にこうまで言われて私がどうするか判らないあなたでも無いでしょう」


「お嬢さまは腹を括られた様だな。ならばこれからの対策を考えるとするか」

 ドミンゴ司祭はニヤリと笑って私を見た。

「あんた、お嬢さんを煽ったな」

「心外じゃな。若い身で権力欲の泥沼に引き入れたくないのも事実だ」

「お心遣いは有り難く受け止めさせてもらいます。さて、鳥籠の中の猛禽はエサを与えている限りは、籠を破って飛び出る事はしないと考えて宜しいでしょうか」


「ああ、だがその猛禽は貪欲だ。豆粒の一つたりとも籠の外にこぼしたく無い程にな」

「前の分室の時のように農村出身の聖職者を遠ざけると言うような方便で納得させる事は出来ないのか?」

「難しいな。これには司祭も絡んでくる。領地の聖教会司祭は貴族上りも多いでな。出来れば司祭諸共に籠に押し込めたい」


「貴族出身の司祭は排除対象ですか」

「農村で工房も運営するとなれば過酷なノルマを押し付ける司祭も出るだろう。監視の目も届かん。聖教会教室など有名無実と化すわ」

「ドミンゴ司祭が信用できる方はいらっしゃらないのでしょうか?」

「司祭では難しい。農民や貧民の窮状を知る者はおらん。聖導師辺りならかなり居るがな」


「なら司祭連中まで籠に押し込めとうございますわね、お嬢様」

「何か良いエサは無い物かしら」

「お嬢さん、エサは鳥籠の内側に撒かなけりゃあいけないよ。それも外のエサに気を取られていると取れなくなるようなエサを」


「お嬢さま、今の契約の概要をもう一度見直してみませんか」

 グリンダの言葉にコルデー氏が契約書類を取り出して答える。

「まずは、聖教会の取り分は純利益の二割。それが刻印代と聖教会教室の授業料だ。聖教会工房では8×8のリバーシ盤一種類のみを製造する。多種類の製造は難しいからな。そして工房の製品は全て聖教会に引き渡されて、刻印は聖教会が付けてそのすべてを商人連合の販売店に引き渡す。オーダー物の高級品は趣旨に賛同している木工工房のみ受注可能で、やはり聖教会を通して商人連合の販売店に卸される。」


「コルデーさん、販売価格はどうなっているんですか?」

「取り決めじゃあ、販売価格は商人連合と木工工房で決める方向で話を進めるつもりだが」

「まあそうなるだろうなあ。奴らに口を挟ませれば利益の為にドンドン価格を吊り上げようと画策するに決まっておるから」

「それは想像できますわ。特にオーダー品ばかり造らせようとするのではないでしょうか」

 グリンダの言葉にさも辛そうにドミンゴ司祭が答えた。

「ほとほと嫌になってくる。何故にわしらがあの貪欲な猛禽共の利益になる事を考えてやらねばならぬのか。先に謝っておこう。腐った聖教会の代表としてな」

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