第62話 鳥籠の扉

【1】

 事は思い通りに上手く運んでいた。

 カルネイロさんの陳情を受けて市長のダルモン伯爵が聖教会に第三城郭への聖教会分室設置の要請をしてくれた。


 そしてそれを受けたドミンゴ司祭とバトリー大司祭はチョークと黒板の工房の専売許可と引き換えにヴォルフ商会へ聖教会分室の建造を命じた。

 今順調に聖教会分室の建設が始まっている。


 市庁舎は大聖堂からの要求を呑んで第二城郭の外壁に設置させている張り出し櫓とその周りの土地を聖教会分室の建設地に指定してきた。

 鐘楼台替わりに使われてきた櫓は鉄の大扉を開かれ内部を整備されて教会に体裁を整えられた。

 そして周りの空き地には住民の協力も得て簡素ながら壁と屋根の有る掘立小屋が城壁に面した位置に次々とたてられている。


 その情景を尻目に聖教会は大聖堂からトマス修道士やガブリエラ修道女をはじめとして貧民街出身の聖職者を聖教会分室の追い払ってしまった。

 一人の聖導師と四人の修道士・修道女が大聖堂から聖教会分室に移り住んで行ったが、彼らは住民からの大歓迎で迎えられた。


 しかしそんな聖職者の五人でも霞を食べて生きて行くわけにも行かない。貧乏なこの地域では喜捨もままならない。

 そこで併設されているチョーク工房に集まる子供たちに読み書きと算術を指導する事によって喜捨を得る事が出来るようになった。


 メリージャの街の聖教会教室は、今ゆっくりと動き出そうとしている。多くの人間の思惑を乗せたまま。

 今はまだ利権の薄い商売で大司祭の眼を引いているわけではない。しかしこれから大きな利権の発生する商品が控えている。

 実はこれからが正念場なのだ。


【2】

「リバーシの専売の許可を頂きたいので御座います」

 カルネイロ氏が満を持して発言した。

「第三城郭の聖教会分室でも工房の運営が軌道に乗った。黒板の売れ行きもまずまず好調なんだ。工房としても手を広げたい」

 ヴォルフ氏もカルネイロ氏に続いて身を乗り出した。


 ドミンゴ司祭は驚愕の顔で固まってしまっている。

 彼だけでは無い。ドミンゴ司祭が連れてきたハウザー王国清貧派の聖導師二人もだ。

「まっ待たれよ。それは早計では無いのか。販売方法も利益配分も検討すべき余地が沢山ある」


「司祭様の仰るとおりでカルネイロ様とヴォルフ様の間での調整は出来ておられるのでしょうか」

「その通りで御座います。メリージャの街はともかく教区内の村々の聖教会が八か所ございます。せめてその内の何処かに同じものを建てていただけないでしょうか。街と村では様相が異なります。領地の村にも救いをいただきたいので御座います」

 二人の聖導師も司祭に続けて訴える。


「それ成ればこそのリバーシなのです。直轄領地の聖教会ではチョーク工房は利益率が低いのですよ」

「利益率?」

「ええ、メリージャのように卵の殻を大量に調達する術が農村にはありません。黒板も消費するのはメリージャの街が殆んどです。その為には輸送費用が上乗せされ割高になります。ですからメリージャと同じシステムは適用できません」

「わたくし共にはよく意味が分かりません」

 聖導師二人は困惑顔で私の顔を仰ぎ見た。


「輸送費など、村々の徴税の折に一緒に運ばせれば帳尻は合わせられる。チョークだって原料は卵の殻だ。初期投資だってある物で代用できる。工賃もしれている利益は出るはずだ」

「販売量が少なすぎます。限界利益率が低いのですよ」

「しかし…」

 なおも食い下がろうとするドミンゴ司祭に言い放つ。


「ドミンゴ司祭ならお分かりになるでしょう」

「…チョークは原価に対して利益率は非常に高いと思うがな」

「ブリー州のように大量に作れればという前提が付きます。サンペドロ州の農村の場合は殻を得る為に卵を割ると言う本末転倒の状態が想定されますので」

「そういう事か…」


「ご理解いただけたようで何よりです。商人間では製造はヴォルフ氏、販売はカルネイロ氏に委託できるように根回しも整っております」

 私の言葉にヴォルフ氏とカルネイロ氏が頷く。


 ダン!

 ドミンゴ司祭がテーブルを殴りつけて立ち上がった。

 そして後ろを振り返るとコルデー氏に向かって人差指を向けた。

「その方の差し金か! いつからそんな絵図を書いた」


 コルデー氏はため息をついて答える。

「そんな訳無いでしょう。私に商売の知識は有りません。利益率なんて言葉今初めて聞きましたよ。私は法律家であって会計士じゃあない」

「ならだれが? その方らか!」

 ヴォルフ氏とカルネイロ氏に向き直る。


「始めから言ってるだろう。ここの商会長は誰だ? 俺か? カルネイロの旦那か? 違うだろう。セイラ嬢ちゃんじゃねえか」

「わたくし共はセイラお嬢さんの掌で転がされているだけのただの駒ですよ」

「止めて下さい、お二人とも。そんな言い方をされると私が稀代の大悪党の様ではないですか」


「ドミンゴ司祭様。僭越ながら申し上げさせてください。初めから…、そうゴッダードでの初めての打ち合わせの席から、勝手な先入観でお嬢様の事を見誤っていらしたのですよ、あなたは」

「ドミンゴ司祭。重ねて言うが、俺は最近雇われたばかりで仔細は知らない。ただこのお嬢さんに説得されて、やろうとしている事に賛同したから手伝っているだけだ。この店が開店した頃にはすでに道筋は出来ていたんだ」


 ドミンゴ司祭はポツリと呟く。

「ああ、まさか黒幕がこんな子供だったなんて。ぬかったわ」

「だから、止めて下さい。私の事を大悪人みたいに言うのは」


 別に私は今まで何も嘘は言っていない。ドミンゴ司祭が勝手に深読みしていただけだ。黒幕扱いはは心外である。

「重ねて申しますが、当初計画していたことを進めただけです。市長からの横槍は入りましたが、それは司祭様がうまく立ち回って下さったので支障なく勧められました」

 ドミンゴ司祭は憎々しげに口を開いた。

「…そうなのか? そこのコルデー殿の口車にうまく乗せられた感は否めないがな」

 気付いたか! まあ仕方ない。今の状態では完全に警戒されているのだから。


「それじゃあリバーシの契約の詳細を詰めようじゃねえか」

「ええそう致しましょう」

 商人二人に促されドミンゴ司祭は力無く椅子に戻った。


「まずは、聖教会の工房で作るのは8×8マスの一般的なゲーム盤と駒だ。ごく一般的な物と庶民向けの高級品だな。貴族や富裕層に納める特注品は連携している木工組合の工房で扱わせてくれ」

「販売は我々商人連合の各店で扱わせていただきますよ。販売価格の二割を刻印料としてご喜捨いたしましょう」

「刻印は聖教会で実施してくれ。分室で作ったリバーシは全て大聖堂に運び込む、高級品も同じだ」

「大聖堂で刻印されたものをわたくし共が受け取りに伺います。こうすれば刻印されたものと販売された物の収支が大聖堂で確認できて不正が蔓延らずに済みますからねえ」


「それで村々の聖教会はどうなるのでしょう」

 ドミンゴ司祭が連れてきた聖導師が勢い込んで尋ねてきた。

「工房の工賃をいくらか渡しても良いが、ドミンゴ司祭どうする?」

「…各村々に刻印の権利を与えるように大司祭様を説得しよう」

「おお、おお。ありがとうございます。ドミンゴ司祭」


「へー、それならば俺は言う事はねえ。直ぐにでもその村に工房の設置を計画しよう」

「ドミンゴ司祭。御英断ですな。出来たリバーシは徴税馬車に積んで大聖堂で取りまとめて頂ければ受け取りが楽になりますね」


「その方ら、わしがこういう決断をする事が意外なようだなあ。わしをどの様に思っておるかは知らぬが貧乏な直轄領地の村々の運営には金がいるのだ。大聖堂の上位聖職者には解らん苦労が有るのだ」

 ドミンゴ司祭の赴任地は農村の聖教会だった。

 正直もっと強欲な人だと思っていたが、農村に対しては思いが有るようだ。


「しかし、あの大司祭様が刻印の権利を手放すでしょうか。わずかでも利益が有るなら絶対に手放すようなことはなさらないのでは…」

 もう一人の聖導師も不安そうに口を開く。

「難しいな。しかし、どうしてでも納得してもらわねばならん。さもないと農村が立ち行かない」

 ドミンゴ司祭も沈痛な面持ち答える。


 メリージャの大司祭は鳥籠に押し込めて扉を閉める算段はついた。利益さえ見せていれば出てこないだろうが内側から鍵を掛けさせる手が何か必要だ。

 さもなければ周辺の村々迄食い漁ってしまう。

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