第61話 ドミンゴ司祭

【1】

 ドミンゴ司祭は少々不機嫌そうにコーヒーを啜っている。

「お嬢さん、ダルモン伯爵から第三城郭に聖教会の分室を出すように要請が上がっておるのですよ。市民からの陳情だとか言って」

「そうなのですか?」

「ええ、どうもヴォルフ商会長たち木工工房の連中が騒いでいるようなのです」

「そう言えば、ヴォルフ様が工房の開設が進まないと嘆いておられました。この間セイラカフェに見えられて、私どもがカフェでメイド見習の教育を始めたと聞いて何やら思案しておられましたが…」


 ドミンゴ司祭はイライラとテーブルを指で叩いた。

「多分、先走って工房だけでも立ち上げようと企んだのでしょう。勝手な事をされては困る。ものには順序と言うものが有るんだ」


 ぶつぶつと愚痴りながら暫くコーヒーを飲んでいたが急に顔を上げてわたしに聞いてきた。

「お嬢さん、ヴォルフ商会長と連絡はつかないのでしょうか。一度話したいことも有る」

「なにぶんあちらも忙しい身のお方ですから。こちらから呼びつける訳にも行きませんし」


 ドミンゴ司祭はしかめ面で天を仰ぐ。私はこちらから水を向けてみる。

「聖教会の分室を出すことに何か問題が有るのでしょうか?」

「有るのですよ。それはもう沢山」

「いったいどのような」

「まず分室を立てる場所、そしてその資金が必要です。まず大司祭様と市長のダルモン伯爵とは仲が悪い。この陳情も聖教会に対する嫌がらせですよ。要請はしても市から資金は出ないでしょう」

「それならば突っぱねますか?」

「そうなれば第二城郭の富裕層を煽って平民を見捨てる聖教会だと騒ぎ立てるでしょうなあ」


「それに分室を作ったところで誰がそんなところに赴任するのですか。体の良い追放刑に他なりませんぞ。行きたがる者などおらん」

「はあ、そういう事ですか」

「ヴォルフ殿も要らぬことをしてくれたもんだ。そもそも分室が出来たところで第三城郭での喜捨などたかが知れている。聖職者とて人間だ、食事をする金も入らないような場所で聖務など務める事など出来ませんぞ」


「ダルモン市長も中々の策士の様ですな」

 コルデー氏がおもむろに口を挟んだ。

 ドミンゴ司祭は眉に皺を寄せて彼を見上げると私の方を振り向いた。

「…このお方は?」

「こちらはライトスミス商会の法律顧問として雇い入れましたチャールズ・コルデー。ハウザーの法務に不慣れな私の為に両親が着けてくれました。こちらはドミンゴ司祭様です。コルデー、ご挨拶なさって」


「始めまして、チャールズ・コルデーと申します。王都では法政局に勤めておりましたが、この度縁あってライトスミス商会で御厄介になる事に成りました」

「ほう、法政局のご出身。ははー、そういう事ですか」

 ドミンゴ司祭も勝手にコルデー氏が父ちゃんが付けた管理者と判断して納得している。


「ダルモン市長は市民の陳情を受けて要請しただけ。それでも公に要請するのなら市民にはアピールできる上に実施されなくても市に責任は無い。バカを見るのは聖教会だけと言う事ですな」

 コルデー氏の言葉に忌々しそうにドミンゴ司祭が相槌を打った。

 このコルデー氏のセリフと同じことをカルネイロ氏がダルモン市長に吹き込んでいる。バカを見るのは聖教会という言葉一言で市長は大乗り気だった。


「それでも、土地の管轄管理は市の仕事でしょう。せめて都合の良い場所くらいは市長に要求出来るはずですよ」

「うーん、まあそうですなあ。しかしそれでも大した反撃にはならん。市長もそのあたりは想定済みだろうから」


「分室の設置費用はそのヴォルフ商会に出させれば如何ですか? 聞いている話では、そもそもヴォルフ商会は工房の運営をしたいのでしょう。工房の設置の費用とあわせて分室設置の費用も出させれば良いのです」

「そのような事可能かのう」

「先走っても工房を建てても、聖教会のお墨付きが無ければチョークの販売もままならない。チョーク販売のお墨付けと引き換えなら出さぬわけに参りませんよ」


 ドミンゴ司祭の機嫌は見るからによくなってきた。

「コルデーと申したか。なかなか良い意見であったなあ。参考にさせて貰おう。あとは派遣するものをどうするかじゃなあ」

「さすがに聖教会の人事に関してはわたくし共もかかわれませんからなあ」

「誰を派遣しても恨まれることに変わりはないのでな」


「わたくし共も商売敵の一人や二人放り出しても、派閥が全て無くなる訳でもなく、恨みを帯びてさらに強力になる場合も有りますからなあ。大司祭様が決められるのですか?」

「決定はともかく、事務は丸投げされるので結局はわしが決める事に成る。恨まれるのは割に合わん」

「そうですなぁ。者が居れば良いのですが、そんな都合の良い者は居らんでしょうし」


 ドミンゴ司祭の眼がきらりと光り嫌らしい笑みがこぼれた。

「そうじゃなあ。そんなが居れば良いのじゃが」

 …引っかかった。餌に食いついた様だ。


【2】

 始めて聞いた時は美味そうな仕事だと思った。

 ラスカル王国ではこの聖教会工房で多額の資金を得て清貧派が教導派を追い出したと噂で聞いている。

 上手く導入出来れば多額の資金が手に入る。

 金さえチラつけさせれば御しやすい大司祭様だ。四子爵家、枢機卿家の一族とは違い彼らと仲も良くない。


 今の司祭長たちは二名とも枢機卿の一族の者。資金さえ有ればこのまま取り入って司祭長に抜擢されるだろう。

 今でも教区の実務をこなしているのはこのドミンゴだ。


 教区内の清貧派聖導師に渡りをつけて、ゴッダードの聖教会に顔を繋いだところ大きな獲物が釣れた。

 噂に聞いた聖教会工房をハウザー王国でも導入出来ないかと相談されたのだ。渡りに船とはこの事だ。


 ゴッダードの聖教会ではわずか十二歳の少女が、教会工房を立ち上げたと色々と聞かされた。市井の有力者の一人娘らしくゴッダード聖教会の後ろ盾の一人の様だ。

 更にはその娘が商会長として自分の商会を持っていると言われた。

 この街でも有数の食堂を二件も持っている。親が跡取り娘の箔付けにと思ったのだろうが羨ましい限りだ。


 その食堂で打ち合わせが行われた。

 驚いたことにあのラスカル王国の聖教会に多くの獣人属の信徒が居たのだ。その信徒代表とゴッダードの聖職者。

 メリージャの木工房商会や貿易商の代表たち迄来ていた。

 そしてそれを取りまとめていたのがセイラ・ライトスミス商会長と言う御しやすそうな子供だった。


 一月ほど過ぎた頃にそのセイラ・ライトスミスから手紙が来た。

 メリージャに支店を出すと言うのだ。商会とセイラカフェとか言う料理屋の支店を出して聖教会工房の下準備を始めると言う。

 此方の根回しもまだ済んでいないし、下準備も不十分な状態でこんな事をされると私の手はずも整っていない。

 セイラの両親が先走ったのだろう。急いでゴッダードに向かい話をつけに行った。


 セイラのお陰で良いタイミングで事が図れた。取り敢えず手懐けておけば情報を流してくれるだろう。

 彼女のお陰で大司祭への供物をライトスミス商会に準備させることも出来た上に、大司祭への仲立ちというかたちで恩も売れた。

 大司祭も供物を気に入ったようで、殊の外心証が良かった。


 そして今回の事である。

 市長が手を出してくるのは想定外だった。

 ヴォルフとカルネイロの間には利害の違いを突いて対立を煽っておいたのだが、それが裏目に出たようだ。

 ヴォルフが暴走した結果、市長に付け入られたのだ。


 それもセイラのお陰でうまく収まりそうだ。

 あの両親が手配したと思しき法律顧問の男はとても優秀な男だった。

 結果的に市長の横やりもうまく躱せて更に私の評価を上げる事が出来そうだ。

 聖教会は殆んど損を出さずに市長の要請を受け入れて、市民の支持も取り付けられる。

 その上聖教会での邪魔者も処分する事が可能になるだろう。

 セイラカフェからの帰り道ドミンゴ司祭は一人ほくそ笑んだ。

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