第8話 ハバリー亭(2)

【3】

 ハバリー亭にマヨネーズを卸し始めて二ヶ月あまりで客が大幅に増えたそうだ。私とダドリーの目論見通り店の料理全体の評判が上がっている。

 しかしダドリーが自分で工夫してコールスローもどきを作ったのは予想外だった。この子は案外料理人として化けるかもしれない。

 コールスロー(メニュー名はキャベツのハバリーサラダと言うらしい。)の量り売りお持ち帰りを提案すると早速導入して上々の売り上げを出したようだ。


 唯その成果がダドリーの評価に繋がらない事が本人には不満のようだ。今でも兄たちの使い走りだと愚痴っている。

 兄たちは自分の料理の腕が上がったと思って舞い上がっているようなのだが、実際の成果はコールスローの売り上げが明らかにあらわしている。

 ダドリーにそう教えると自信を付けたようだった。

 ダドリーにはあと一年足らずだから腐らず料理の腕を磨けと指導してやる。今まで入れなかった厨房でソースに限っては自由に作れるだけでも大きな成果だと思う。


 そこでダドリーに新しい方向性を示すべく新しいレシピ、タルタルソースを提案した。

 ダドリーに作り方を教えて揚げ物のソースにする事を提案したが、ダドリーはそれを鶏肉料理全般に使用できる事に気付き一月後にはハバリー亭の評判は更に上がった。

 おまけに卵の殻の発生量も大幅に増えてダドリーの懐は暖かいようだ。


 この頃になって私は予想と違った状況にふと気がかりを覚えた。

 三ヶ月たってもダドリー以外の口からマヨネーズの存在を聞かない事だ。

 色々とダドリーの証言を聞いているとマヨネーズ自体をダドリーと父親のボア氏とで秘匿している様なのだ。

 いまいちボア氏の真意が見えない。

 そこで真意を確かめるべくうちの両親を少しあおってみる事にした。


「お母様、最近ハバリー亭の料理がすごくおいしいと評判なんですって。ほら、うちの厨房に来ているダドリーが作ったソースをアレンジしたレシピが人気らしいの」

「あら、マヨネーズならダドリーさんから分けていただいてうちでも使っているでしょう。あれを付けるとお野菜が美味しいからうちの若い職人さんたちも最近はお野菜をたくさん食べるようになって嬉しいわ」

「うん、お母様。私も大好きだよ」

「セイラ、あなたはマヨネーズをスプーンで掬って舐めるのはよした方がいいわ。お行儀が悪いから」

 やぶ蛇だった。


「父ちゃん、ハバリー亭の料理が評判だって知ってるかい」

「ボアのところだろう。えらい人気らしいなあ。あそこの息子たちも腕を上げたみたいだなあ」

「チッチッ、父ちゃんそいつは認識が甘いぜ。本当はうちに来ているダドリーが料理の付け合せに工夫を凝らして、店の料理全体の評判を上げてるんだよ」

「ダドリーってうちの炊事場に出入りしているガキか。なかなかに親孝行なガキだったんだなあ」

「そうだよ。うちでマヨネーズを作ってそいつで店の付け合せの味付けを研究してるんだ。だから一度食べに行かないかい」

「マヨネーズならうちでもあるんだからよそに行かなくてもいいだろう。レイラと賄いのリタの作る料理がこの世で一番うまい料理だって事ぐらいお前だってわかるだろう」

「色ボケおやじ」

「なんだとう、そもそもおめえみたいに金勘定ばかり先走った業つく娘はダドリーの爪の垢でも煎じて飲め」

 こっちもやぶ蛇だった。


【4】

 とは言うもののアピールはしてみるもので、家族三人でハバリー亭に食事に行く事になった。

 ハバリー亭は一階は居酒屋風の庶民的な食堂だが、二階は貴賓席を備えた立派なレストランと言う構えである。

 こう見えてライトスミス木工所は町でも有数の大店で、両親共に町の名士でも有る。私達が行くと貴賓席がちゃんとキープされていた。


 前菜は塩漬けのニシンと生ハムのハーブ添え。その横にはコールスローが添えてある。

「あなた、この様にハバリーサラダをニシンやハムで包んで食べると格別ですわ。」

 お母様の言うとおり包んで食べてみると、ニシンやハムの塩辛さがキャベツの甘みとマヨネーズの酸味で緩和されてとても食べやすい。


 続いてヒヨコ豆のスープとレンズ豆と鴨肉の煮込み。

 そして白パンとライ麦パン。

 主菜は切り分けた豚の丸焼きに大量のコールスローを添えたもの。

 それに鶏肉のフリッターにはタルタルソースがふんだんに添えられている。


 豚肉に添えられたコールスローを食べながらお母様が口を開く。

「あらまあ、先ほどのハバリーサラダとは味を変えられているのですねえ」

 そう言えば胡椒の風味が効いている。

「こっちの鶏肉のソースも甘酸っぱくて美味いぞ」

 父ちゃんはタルタルソースがいたく気に入ったようで豚肉にも付けて食べている。


 私はタルタルソースとフリッターの味から南蛮漬けを思い出した。(俺)の郷愁が刺激される。

「お母様。このフリッターを甘酢に漬けてこのソースで食べてみればもっと美味しいのではないかしら」

「そうねえ。疲れた時は殊更酸っぱい物が欲しくなるから職人さんたちの夕食にも考えてみようかしら」

「もちろん一番始めに食べるのは私だからね」

「馬鹿野郎、レイラの料理は俺が一番に食べるんだ」

「ガキみたいなこと言うなよ、父ちゃん。情けなくって涙が出てくらぁ」


 騒いでいるとそこへにこやかな笑みを浮かべたボア氏がやって来た。

「楽しんでいただけましたか、バロネーズ」

「あらバロネーズなどと、私は木工所の女将ですわ。そのような大層なものではありませんわよ」

「そうだぞボア。俺の女房にちょっかいをかけるな」

「そんな事はしないが、お前には過ぎた嫁さんだぞ。大事にしろ」

「お前に言われなくても重々承知しているよ」


「それで、今日の料理はどうだった」

「美味かった。このタルタルソースが肉に良く合う」

「ハバリーサラダが料理をとても引き立ててましたわ。ダドリーさんも色々工夫なさったようで、料理ごとに味を変えているのは驚きでしたわ」

「こうしてマヨネーズの調理法を教えていただいたおかげで、ダドリーが独立してもやって行ける目途が立ちました。このレシピがあいつの武器になる。これも奥様のお陰で御座います」

「何を仰いますの。みんなダドリーさんが工夫して色々試して作った結果じゃありませんか。ダドリーさんの実力ですわ」

 …そうかボア氏はマヨネーズのレシピをダドリーに持たせて独立させるつもりだったのか。

「奥様にお褒めいただいて光栄です。ダドリーも喜ぶでしょう」

「ええ、わたくしも色々味見させて頂いた甲斐があったと言うものですわ」


 え? お母様が味見していたって、私初耳なんですけど。

 でも元貴族令嬢で口が肥えているお母様なら微妙な味付けの違いをアドバイスできるし納得だ。

「黒パンにマヨネーズ塗って焼いたやつを食わせてもらったけど、簡単で旨かったぜ。あれは店で出さねえのか」

「さすがにあれは店には出せん。でも賄い料理で旨いし簡単に食えるから店の者には評判が良いぜ」

 父ちゃんもかよう。

「セイラちゃん。うちのダドリーの面倒を見てくれてありがとう。嬢ちゃんのおかげであいつが前向きに店や家族の事も考えるようになった。嬢ちゃんに貰ったて言う掛け算表を見ながら、毎晩必死に九九を暗記しているよ」


「そうそう、ボア様。再来月にわたくしの伯父様の屋敷で聖教会が主催のお茶会がございますの。肩肘張らない簡単なお茶会ですが貴族や商家の方々も見えられるのでダドリーさんにもお料理を手伝っていただけたらと思いますの」

「えっ! 子爵様のお屋敷でお茶会でございますか」

 ボア氏はそうお母様に言うとハラハラと涙を流した。

「わたくしめは本当に至らない父親で、ダドリーには辛い思いをさせて心苦しく思っておりました。奥様のご温情に感謝の使用もございません」

「早合点なさらないで、お茶会のお料理でどなたかの目にとまる保障はありませんのよ。でもダドリーさんのハバリーサラダとタルタルソースだけでも十分皆様のお眼鏡にかなうとは思いますけれど。ねえセイラ」


 あったり前だ!私の子分なんだからこのチャンスは絶対モノにさせる。何点か新しいレシピも仕込んでやろう。

 ダドリーが一人前に成ったら引き抜いて、ファミレス:ライトスミスのチェーン展開を図っても良い。

 グへへへへ、夢は広がるばかりだ。

「ええ、お母様。私の大切なお友達ですもの。私も力いっぱいバックアップしますし、絶対大丈夫ですわ」


「おいセイラ。お前又碌でも無い事を考えているだろう。俺にチョーク工房の金をせびりに来たときと同じような悪い顔してやがるぞ。てめえの子分を使って金儲けでも考えてやがるのか」

「父ちゃん、心外だなあ。ダドリーは私の大事なお友達だよ。私は彼の成功を祈ってるんだ」

 いやまあ、子分なんだけどね。

「そうですよ、あなた。セイラちゃんが集めたお友達たちはどの子も真面目だし向上心があるってあなたも仰っていたじゃありませんか。だから帳簿を見せたり端材でチョーク箱を作らせたりしてたのでしょう」


「まあなんだ。あいつらはセイラみたいにガツガツしていないし擦れてないからな。セイラが転んだときには支えてくれるやつらだと思うぞ。大事にしろ」

 今まで自分ひとりで子供たちをまわしてきたと思っていた。両親の動きなど見ていなかった。

 自分で何でも出来ると思い込んで動いていた傲慢さに情けなくなった。

「父ちゃん・お母様ありがとうございます」

 すんなりと感謝の言葉が出た。


 ハバリー亭の帰り道、私は両親に手を引かれて帰った。

 父ちゃんとお母様の手のぬくもりを感じる。(俺)はなんて愚かだったんだろう。

 二十代のまだ若いこの両親にどれだけ守られていたか思い知らされた。

 正直舐めていた、(俺)の年齢の半分程のこの両親を。

 (俺)は残してきた娘にどれだけのことを出来たのだろうか。両親を無くした娘に対する心残りがこみ上げてくる。

 自分が死ぬなんて思っていなかった。死ぬと分かっていればもっともっとしてやれる事が有ったのではないかと思う。


 こちらの世界は前世と違い医療も発達していないので平均寿命も短い。

 貧富の差も大きく子供たちの独り立ちも早くその人生は過酷だ。

 だからこの両親は私に対して力一杯の事を今してくれている。

 (俺)の過去に対する不甲斐無さと私の今に対する有り難さに涙が止まらなくなり号泣してしまった。


「セッ、セイラいったいどうしたんだ」

 父ちゃんが狼狽しておろおろと私の頭を撫でた。

 私は父ちゃんの腰にしがみ付き更に号泣した。

「父ちゃんありがとう。本当にありがとう」

「おっ、お前何言ってんだ」

「お母様も本当にありがとうございます。こんな私を大切にしてくれて。二人とも私のことを大事にしてくれて、ありがとう」


 お母様が私の頬を両手で挟むと人差し指で涙を拭ってくれた。

「あなたはわたくしとお父様の大切な子供のですから当たり前のことですわ」

「お前はかしこいししっかりしてる。人を見る目もある。自信を持って好きなようにやれば良い。失敗したら俺がどうにかしてやる」

「ありがとう、父ちゃん」

「ただなあ、魔法だけは駄目だぞ。こいつでしくじられると俺もレイラもどうにも出来ねえ。十五になるまでは生活魔法以外は絶対禁止だからこの約束だけは守ってくれ」

「ええ、魔法は大人になってから。成人の儀までは禁止ですわ。あなたの魔力量は大きいそうですからもし万一どこかの貴族や聖教会に目をつけられてしまえばさすがに守ってあげられない。成人すれば独り立ちですけれどせめてそれまではあなたと一緒に暮らしたい。だからお願い、絶対に約束して頂戴」


 九歳のわが子と離れなければいけなかった(俺)の妻の未練を思うとお母様の思いはとてもよく分かる。

「約束します。絶対に成人まではお母様や父ちゃんと離れ離れになるようなことはしないって。二人とも大好きだよ」

 私は両手で父ちゃんとお母様を抱え込みそう叫んだ。

「バッ馬鹿野郎。恥ずかしいじゃないか」

 父ちゃんは照れて真っ赤になりながらもニヤニヤ笑いが止まらない。

「セイラ、わたくしもあなたが大好きですわ」

 お母様は右手で父ちゃんを左手で私を抱え込むように抱きしめてくれた。

(俺)の記憶が戻ってから少し両親に対してよそよそしかったかも知れない。

 たまには子供として目一杯甘えてみるのも親孝行かもしれないと思った。

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