セイラ 10歳 子爵家昼食会

第7話 ハバリー亭(1)

【1】

 翌朝早くからダドリーがやって来た。

 そして不満そうな顔で私にカバンを突き出した。

「オイ、約束どおり持ってきたぞ」

「ご苦労だったわねえ」

「おまえ、チビのクセになんで偉そうなんだ」

「黙ってついておいで、約束どおり教えてやるわよ」

 私をそう言ってダドリーをうちの厨房に連れて行った。


 厨房はアンにお願いして使用の許可を貰っている。

 賄いのリタおばさんもまだ来ていない。

 わたしはボールと泡だて器を取り出して、ダドリーの持ってきたものを調理台に並べ始めた。

 ボールにダドリーが持ってきたバルサミコ酢を注ぎ塩を入れて掻きか混ぜる。

 塩が溶けたら卵を一個割ってバルサミコ酢と併せて泡だて器で混ぜ始める。

 混ざってクリーム状に成ったら、オリーブオイルを少しずつ注ぎ入れて混ぜ続ける。だんだんとネットリしてくれば完成だ。


 食い入るように見ていたダドリーに告げる。

「ほら、味見してごらん」

 ダドリーが指を突っ込んで掬い上げるとぺろりと舐めた。

「こいつは、何なんだ?!」

「美味いでしょう」

 私はそう言うと流し台に置いてあったキュウリを半分に折ってボールの中身を付けてダドリーに差し出す。

 ダドリーはそれを齧ると目を剥いた。

(俺)は以前部下の坂本君から聞いたことがある。異世界物の定番は、リバーシとこのレシピだと。


「マヨネーズって言うんだ。こうやって野菜に付けて食べたり、パンに塗って食べても美味しいよ」

「ああキュウリが格別に美味しくなった」

「こいつに芥子を混ぜてソーセージやハムに付けても良いし、味付けも胡椒や塩を加えて替えることも出来る。ブロッコリーなんかをマヨネーズで和えた後オーブン焼きにすると違った風味を楽しめるわ。所謂万能ソースだよ。後はあんたが好きなように改良して種類を増やせばいいわよ」


 ダドリーは興奮した顔で頷くと私に言った。

「このレシピ、俺が貰って良いんだな」

「ええ、でも契約は守ってもらうわよ」

「卵の殻は俺が一括して管理しておまえらに引き渡す」

「引渡し価格は1カロン銅貨70枚だよ。それが各店の取り分だ」

「えっ?100枚じゃないのか」

「差額の30枚は運搬料や手間賃になる。ウィキンズたちと相談して自分の取り分を決めてちょうだい。あんたは自分の店の卵の殻代が自分の物に成るんだから」

「そんなのすぐ親父に知れて取り上げられちまう」


「だからこのレシピさ。このレシピの約束も覚えてるよね」

「ああこのレシピは俺以外の誰にも明かさない、人に作るところを見せない、だろ」

「ええ。あんたがこれから料理人として働くつもりならこのレシピは役に立つ。お金は取り上げられてもあんたの頭の中のものだけは取り上げられないんだ」


「なあ、おまえ。ここで読み書きや計算も教えてくれるって言ったよなあ。ここに通ったらウィキンズ達みたいに計算が出来る様になるのか?」

「ウィキンズはここに通いだして一年位かなあ。裏通り組は四ヶ月ってとこ。それでも掛け算は覚えて割り算も出来るようになったわよ」

「…俺、料理の修業がしたいんだ。今のままじゃあうちの料理を覚えたらそれまで。自立しようにもこの町に同じ料理屋は二つは要らない。だから都のどこかの料理屋か貴族の厨房の見習いに入りてえ。なら読み書きは出来ねえと無理だ」

「あんとも徒弟に行くなら後一年以上あるんだよね。まじめに勉強する気があるなら半年で形になるくらいは教えてあげるよ。なんならマヨネーズもうちで作ってうちから買ったことにして店に売るのはどうだろう。途中の差額をいくら抜くかはあんた次第だよ」


 結局その日、ダドリーは持ってきた材料を全部使って、スタンダードレシピに加えて芥子マヨネーズと黒胡椒マヨネーズの三種類をつぼに詰めて持ち帰った。

 私は変動費・固定費の概念を説明しつつマヨネーズ一壷の最低価格設定を行った。

 もちろんグリンダとエマ姉にも入ってもらってしっかり講義を聴いてもらった。金儲けの事となるとエドも一生懸命に聞いている。

 財務関係ではこの三人は主戦力だ。

 特にグリンダは財務処理だけでなく契約書等の書類業務もお母様に聞きに行って教えてもらっているようでよく出来たメイド見習いだ。

 ダドリーにはマヨネーズ価格の交渉で分からないことや不安なことがあればグリンダやウィキンズに相談するように行って帰らせた。


 この後勝手にうちの厨房を貸すことを決めたせいで、リタおばさんにグチグチと小言を言われ、アンと父ちゃんに散々絞られたのは又別の話である。


【2】

 昼下がり、夜の仕込みの始まるころにダドリーは店に帰ってきた。

「おうダドリー、早かったなあ。今日はどこに遊びに行ってたんだ」

 ハバリー亭の店主、ダドリーの父親であるボアが声をかける。

「ちょっとな」

 ダドリーはそう素っ気無く告げると厨房に駆け込んでいった。


 ボアは息子のダドリーに貧乏くじを引かせていると思っていた。

 長男・次男は店の跡継ぎに必要だ。

 小さい頃から店に出して、十歳で聖教会で読み書きと算術を習わせた。人を頼んで帳簿付けも習わせて、今では店の切り盛りも任せられる。

 三男も聖教会には入れられたし、兄に教わって商人の修行は積めている。

 長女と次女を嫁に出し、長男も結婚してそろそろ孫も出来そうだ。


 次男も相手が見つかりもうすぐ結婚だ。

 結局そのシワ寄せが末っ子のダドリーに来ている。

 店は長男が継ぎで次男と共同経営となるだろう。

 三男も店を支えており、そのうち独立するにしても資金援助が必要となる。


 さすがにダドリーに聖教会で修業をさせる金はもう無い。

 かといって修行先のコネも無いので大金を払って修行に出すなど論外だ。

 この店で働かせても他の従業員と待遇は変わらない。

 それならせめて十才までは自由に遊ばしてやろうと考えてこれといった仕事もさせなかった。


 その結果接客態度は八歳から来ている見習いと比べると店員としては見劣りする。

 小さい頃から厨房に入り浸っていたので、料理の腕はそこそこにあるしうちの店のレシピ程度ならそこそこにこなせるがそれは他の兄妹も同じことだ。

 ダドリーも危機感を持ったのか最近は金を貯めだした。少し自棄に成っているのか露骨に金稼ぎに拘っている。

 この間から卵の殻を売りつけようと画策していたようだが、昨日やって来たウィキンズとか言うガキと比べたら見劣りしてしまう。


 金額計算もちゃんと出来て大人相手に値引き交渉も堂に入ったものだった。

 多分ダドリーはあのウィキンズとか言うガキに入れ知恵されたのだろうが今のままではあのガキの使い走りで終わってしまう。

 今日もそいつらのところに行っていたようだがそれでよい影響を受ければ良いんだがと思案する。

 ダドリーは家を飛び出す資金を貯めているのだろうが、飛び出したところで早々うまく行くわけでもない。かといってこのまま店で働かせてもダドリーを腐らせるだけだ。

 親として頭が痛い。


 小一時間するとそのダドリーが厨房から野菜を盛った皿を持って出て来た。

 皿には刻んだキャベツが盛られている。

「おやじ、ちょっと味見してくれ」

「なんだこれ?仕込みで使う野菜をあまり無駄にするんじゃないぞ」

「良いから食べてみてくれ」

 言われて口に放り込んだ。


「何だこれは?」

 ダドリーは不敵に笑っていった。

「俺が作ったんだ」

「どういうことなんだ?」

「新しいマヨネーズって言う名のソースを買ってきたんだ。キュウリを食べさせて貰ったら美味かったんで、それで他の野菜でも試してみた。ただ付けて食べるだけじゃなくてこうやって混ぜたらずっと美味くなった。だから…なっ」


 ボアはオドオドとこちらを見上げるダドリーに微笑みながら言った。

「で、いくらで買ったんだ」

「えーっと。ひっ一壷で銀貨ごっ、十枚だ」

「でっ、本当はいくらなんだ」

「えぇーっと。銀貨八枚」


 こいつは又ウィキンズとか言うガキに入れ知恵されてきたなあと思いながらボアは切り出した。

「良し、銀貨七枚だ。それでおまえの取り分はあるのか」

「有る。差額は全部俺のものにして良いってセイラが言ってた」

「セイラ?! ウィキンズじゃなくて?」

「ウィキンズはセイラの使い走りさ。俺はセイラとタイマンで交渉したんだぜ」

 ダドリーが偉そうに胸を張る。


「じゃあそのセイラとか言う女が黒幕か」

「女じゃねえ、木工所の娘だよう」

「オスカーの娘? あそこは一人っ子だろう。あそこの娘はおまえより年下じゃなかったか?」

「ああ、九つだそうだ。そのセイラがマヨネーズを気に入ったら売ってくれるって。レシピは門外不出だからライトスミスの厨房まで取りに来いってよ」

 ボアはしばらく考えてなんとなく合点がいった。


 多分黒幕はレイラさんだろう。

 チョーク作りとかで子供たちを集めているのは知っていた。

 最近は木工所に集めた子供たちに読み書きや算術を教えているとか聞いた。

 チョーク作りを方便にしての読み書き算術教育なら聖教会も目鯨を立てないだろう。

 元男爵令嬢のレイラさんではみんなが萎縮するので娘を使って教えてるんだろうと思っていたが、木工所以外にもいろいろ商売を始めるつもりかもしれない。

 それならダドリーのためにも成る。


「分かった。この皿メニューに加えよう。評判がよければ定番にする」

「おやじ待ってくれ。メニューじゃなくて主菜の付け合せにしてくれ」

「なんでだ?」

「初めてのメニューなんて誰も頼まねえ。ましてやキャベツなんかに別にお金は払わねえ」

「それで、」

 ボアはダドリーに先を促す。


「付け合わせにしたらみんなが食べる。食べて美味けりゃ次も頼む。付け合せ目当てに主菜の皿を頼んでくれたら売り上げも上がる。これで客が増えるなら付け合せのほうが良い。評判になればその時はメニューに入れてもいいけどよう」

「それはお前が考えたのか?」

「ああ、セイラがはじめから欲張るなって言ったからいろいろ考えてみた。メニューに加える事もタダでサービスすることも考えたけれどこれが一番店のためになると思ったから相談して決めた」

 まあ色々とレイラさんに誘導されたのかもしれないが、娘を使ってなかなかしっかりと考えさせてくれたものだ。

「よし、そうと決まれば今日の付け合せの仕込からはお前が担当だ。気合入れて働け。そのマヨネーズ使えば使うほどおまえの取り分も増えるんだからな」

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