第9話 旧市街(1)
最近ウィキンズが少し焦っていた。
ウィキンズと裏通り組みは、ダドリーとの交渉で卵の殻の運搬手数料として差額のうち銅貨20枚をもぎ取った。
それもすぐにダドリーのマヨネーズ作りが忙しくなり、30枚全額を受け取り運搬を独占することになった。
大口の殻の廃棄が無くなった事でチビ達の取り分が減ってしまう。
お嬢は卵の殻の処理を全部チビ達に回してある程度取り分を確保してくれているが、収入の上がった自分達に比べてチビ達の収入の目減りは兄貴分として心苦しい。
そこで橋の向こうの旧市街まで足を伸ばし新規の仕入先を開拓に行くことにした。
自分達の暮らす新市街は大店も並び街の人間も気心が知れているが、旧市街はここよりは人口は多いが治安は悪い。新市街の様なゴミ集めでは直ぐに目を付けられてしまう。
そこで目を付けたのが騎士団の宿舎や練兵場がある周辺だ。
近くにはギルドもあり荒くれ者も多いが子供相手にいきがる奴は居ない。喧嘩沙汰は日常茶飯事だが、騎士団の目もあるので大きな犯罪も少ない。
それに安い一膳飯屋や安酒場・屋台などチープな飲食店が集まっている。
そのうちの一軒の飯屋と交渉して卵の殻の回収樽を置かせてもらうことに成功した。
価格は新市街と同じ1カロン銅貨70枚。
回収樽を置いた店は周りの店舗に声をかけ、その店が取り決めた価格で殻を集めてウィキンズが払う殻代との差額が儲けに成ると言う契約だ。
ウィキンズは新市街での殻の回収をチビ達に譲り旧市街の回収に専念することにした。
一月あまりで回収のうわさが浸透し回収率も上がってきた。
金持ちの少ない旧市街なので回収量は少ないがそれでも、週一回の回収で新市街でのウィキンズの稼ぎの七割程度は稼げるようになった。
その日もウィキンズはいつもの様に殻の回収に向かった。
「今日は15カロンと3分の1で銀貨10枚と銅貨73枚だ。今週は先週よりだいぶ増えたねえ」
「ああ、卵の殻で儲けが出るなら少し卵料理を増やそうかってやつらも出てきたんだ。チーズやハムの変わりにオムレツを出す店とかよう」
「へー、でもオムレツがチーズやハムの変わりになるのかねえ。まあうちとしては有りがたいこったけどな」
「よう坊主、ガキのくせにえらく大金を扱ってるんだなあ」
店に居た冒険者らしき男が声をかけてきた。
「別に俺の金じゃあないさ。店の預かり金だ」
「それでもたいした金だ。俺なんぞポーターで一日働いてもその半分だぜ」
「おいおい、うちの店だって近所の店から買い取って集めた卵の殻だ。これだけ貰っても実質の利益はスズメの涙ほどさ」
「そんなもんなのかねえ。おれにはさっぱり意味が分からねえや」
「だから俺がこのおっちゃんに銀貨十枚払ってもこのおっちゃんはその前に卵の殻を銀貨九枚で買い取ってるから儲けは銀貨一枚ってことだよ」
「何で卵の殻を銀貨九枚で買うんだ。拾ってくりゃあ良いじゃねえか」
「だから拾う手間もかかるからそのお金が…」
「えーい。頭がグチャグチャしてさっぱり訳が分からねえ。もういい」
その男はエールのジョッキを一気にあおると店を出て行った。
「なあウィキンズ。見たか今の男。成人仕立ての様だが学もねえ。多分文字も算術も不得手だろう。それなのに自分で考えることも無けりゃあ、人の説明も聞かない。ああいうのは直ぐにギルドで使い潰されて居なくなっちまう。死ぬか犯罪に走るか奴隷落ちするか。その点お前は見所がある。おれなんかよりずっと頭も切れるし度胸も有る。お前は良い商人に成れるぜ」
「止してくれ、おっちゃん。おれは商売人になる気はねえんだ。腕っ節には自信があるし出来れば騎士になりてえ。来年は騎士見習いに志願しようと持ってるんだ」
「それこそ止めとけ。お前道場で剣術を習ったわけでも無いんだろう。素人の手慰み程度の剣術じゃあ騎士団で通用する訳がねえ。受かるわけがねえ」
「まあ、駄目もとだよ。落ちればそのとき身の振り方を考えれば良い。駄目なら親父の働いている鍛冶屋の徒弟にでもなるさ」
「まあお前なら帳簿付けも商売交渉も出来るからどこに行っても通用するさ。夢があるならがんばりな」
ウィキンズは翌週も同じ時間に殻の回収にやってくると又あの男がエールをすすっていた。
「おう、ガキ。又会ったなあ」
「あんた又ここで油を売ってんのか」
「今週は良い依頼なくてなあ。ゴミ仕事ばかりでよう。毎日この時間はここでエールを啜ってる」
「そいつはご愁傷さまだねえ。良い仕事が見つかることを祈っておくよ」
「なあガキ。おまえはいつもそんな大金を抱えてうろついているのか?」
「大金ってわけでも無いよ。まあ支払いに困らない額はお嬢から預かっているけどな」
「もって逃げようとか思わないのか」
「そんな事をして何になるんだ。銀貨十枚や二十枚のことで次の日からの儲けが無くなるんだぞ。馬鹿馬鹿しい」
「それじゃあ支払いを誤魔化していくらか抜けば良いじゃねえか」
「はーっ、分かってねえなあ。殻の重さに対して金額が決まってんの。そんな事出来る訳ねえだろ」
「じゃあよう。落としましたとか盗られましたとか言って自分のものにすりゃあ良いだろう」
「ああ、お嬢は笑って許してくれるだろうけど、そんな事でお嬢の信頼を裏切りたくない。お嬢には恩もあるし俺の子分のチビ共にも示しが付かねえ。だからそんな事はしねえ」
「ああ、ああ。ご立派なこった」
「おいおい。そんな事はねえぞ。信頼なんて物は失くすのは一瞬だが取り戻すには大変な時間がかかる。ウィキンズは良く心得てるよ」
「でもそんなもんで腹はふくれねえ」
「あんたはそう思っているかも知れねえが、その考えどうかと思うぜ。じゃあおっちゃん、又この時間に来らあ。来週もよろしくな」
【2】
その日もウィキンズは前の週と同じように木工所を出て行った。ここ数週間で殻の回収率が上がっている。
売り上げが上がっているのを見越して金はいつもより多めに用意した。
いつものように練兵所に至る路地を入るとあの男が立っていた。
「よう、ガキ。一週間ぶりだなあ」
嫌な気配がした。
ニヤリと笑う男の顔になにやら不潔な表情が見て取れた。
「なあ。おまえのお嬢とやらは盗られたって言えば笑って許してくれるんだろう。それなら今ここで盗られちまいなよ」
「ふざけんな。お嬢から預かった大事な金だ。お前なんかにやれるかよう」
「おいおい。結局は盗られるんだ。抵抗して怪我でもすりゃあ大変だぜ。大人しく渡せばすんなり帰ってやるよ」
そういうと男は腰からナイフを抜く。
ウィキンズは自分の足が震えているのが分かった。
徒手での喧嘩なら何度も場数を踏んでいるがそれも子供同士だ。
成人をした大人相手に刃物をチラつかされて戦ったことなどない。
体格だってウィキンズより頭ひとつでかい。
ましてや相手は下っ端の駆け出しといっても冒険者だ。
多分勝てないだろう。
ひとつ間違えば死ぬかもしれない。
ウィキンズは震える声でそれでも相手に言った。
「お前は馬鹿か。たかだか銀貨二十枚ごときで犯罪者に落ちるんだぞ。俺が死んだらお前も死刑。それでなくても犯罪奴隷だ。それで満足なのか」
「おまえこそ分かってねえなあ。捕まらなきゃ良いんだよ。見つからなきゃ良いんだよ。俺がやった事がばれたら、さっさとどこかの町に高飛びするさ」
「そんなにうまく行くはずがねえだろう」
「そんな事はなあ。やってみなけりゃあ分かんねえんだよう」
ウィキンズの脳裏に一膳飯屋のおっちゃんの言葉がよみがえる。
ああいう奴は死ぬか犯罪者になるか奴隷に落ちる。
こいつはその典型だ。
その為に俺は死ぬかもしれない、怪我をするかもしれない。
そうなればお嬢はどう思うだろう。
きっと自分を責めるだろう。
怪我をすれば”何で危ない事をしたんだ”って怒り狂うに決まっている。
いつもお嬢は言っている。
怪我をする位ならさっさとお金をあげて逃げて来いと。
命は金で買えないって。
それでもウィキンズの矜持がそれをすることを拒む。
「やってみなくてもわかるんだよう。」
そう叫ぶと持っていた殻回収用の大袋を男の顔に投げつける。
男があわてて袋を払った隙に踵を返して走り出した。
「てめえ、このガキが。ゆるさねえ」
顔を真っ赤にして怒り狂った男がナイフを掲げて追いかけてきた。
ウィキンズは必死で逃げるが体格の差もありどんどんとその距離が縮まってくる。
そして男の手がウィキンズの襟首にかかり後ろに引きづられそうに成ったとき、
「ウィーキーンーズー!」
彼の名を呼ぶ叫び声と共に男の顔めがけて何かが投げられた。
男が急に襟首から手を離し飛んでくる物を払った。
前のめりに倒れながらウィキンズは通りの向こうから駆け寄ってくる人影に気付いた。
「お嬢、来ちゃあいけない。さっさと逃げろー。」
それは青褪めた顔で肩を怒らしながら走ってくるセイラの姿だった。
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