第10話 旧市街(2)
【3】
昨日、厨房で懐かしいものを見つけた。お母様が厨房で生姜を刻んでいたのだ。
「お母様、それは?」
「駄目ですよ。これは生姜と言うお薬で子供の使うものでは有りませんよ」
何故か顔を赤らめながら刻んだ生姜をサフランやクローブと一緒に鍋に入れ蜂蜜を加えて火にかけた。
「蜂蜜が入って甘そうだけど」
そうだ今家にある材料でも蜂蜜ジンジャークッキーが焼ける。
(俺)の妻が娘と過ごした最後のクリスマスに娘と二人で焼いてくれた懐かしい味だ。
抗がん剤治療でやせ細った体でそれでも家族三人で過ごせたクリスマスにとても幸せそうな笑顔を見せてくれた。
妻はその半年後に帰らぬ人となった。
それからは毎年クリスマスに親子二人でジンジャークッキーを焼くのが定番だった。
私は変に機嫌よくニマニマしながら鍋を振るお母様に声をかけた。
「お母様、それ少し私にも下さいませんか」
「駄目ですよ。生姜は大人のお薬で子供が使うものでは有りませんわ」
お母様はひどく狼狽して顔を真っ赤にしながら私を厨房の外に押し出した。
その日はお母様の行動に釈然としないものを感じつつも床に就いた。
しかし夜が明けるとやはり生姜が気になって仕方がない。
そこでメイド見習いのグリンダに探りを入れてみる事にした。
「ねえグリンダ。お母様が生姜を買いにいったことは知っている?」
「生姜ですか? どんなものなんでしょう?」
「えーとねえ。私の掌くらいのゴツゴツした感じの根っこの事」
「もしかして一昨日、旦那様が買って帰られたものでしょうか? 珍しい薬の根だと言って大金を払われたそうですよ。奥様が大変お喜びになっておられました」
「多分それだわ。そうか父ちゃんが買ってきたのか。他に何か言ってなかった?」
「なんでも旧市街でたまたま見つけたとか」
「ふーん、旧市街か」
私は作業場で仕事をしている父ちゃんのところへ向かった。
「おーい、父ちゃん」
「何だ、セイラか」
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なんだ、いったい」
「父ちゃん生姜を買ってきたんだってなあ」
作業場に居る職人達の手が止まり、一斉に目線が父ちゃんに向かった。
「ばっばっ…しょしょう生姜って、お前なんで知ってんだ」
「昨日の夜、お母様が料理してたから」
職人達の目線がニヤニヤ笑いに変わる。
「おまっ、セイラ。ちょっとこっちへ来い」
私は父ちゃんに手を引っ張られて奥に連れて行かれた。
「おまえ生姜なんてどうするつもりだ」
「お母様が作ってたのが美味しそうだったから私も欲しいと思って」
「ありゃあとても高価な薬だ。子供の使うもんじゃねえ」
「お母様もそんな事言ってたけど何の薬なんだよう」
「お前が知る必要はねえ! それから二度と生姜の事は口にするな!」
「納得いかない」
「納得いかなくてもだ! 絶対だぞ!」
父ちゃんはそう言うと肩を怒らせながら作業場に帰っていった。
結局値段も買った店も聞けなかった。
薬だという事は分かったが何の薬かも分からない。
こうなれば自分の足で調べてみるだけだ。
手に入りにくい高価な生薬という事で聞き込めば手掛かりが掴めるかも知れない。
購入の是非は兎も角として、生姜の入手ルートだけは把握しておきたい。
「グリンダ、街に買い物に行くわよ」
どうも生姜という単語はハレーションを起こしそうなので使わないようにして街を廻る事にした。
旧市街は新市街と違って路地が多くゴミゴミしている。治安も新市街より悪いと聞いている。
女の子二人ではもしもの時に心細いので職人見習いのグレッグ兄さんにも付いて来てもらった。
薬種問屋や異国の物産を取り扱っているお店を聞いて廻る。
そうして一軒の小さな薬種問屋を見つけた。
南方系の浅黒い顔をした店主が一人奥に座っている。
店内は薬種と言うよりもカレー屋のような匂いが立ち込めていた。
奥の壁にはカーマ・ストーラの様な絵を描いたタペストリーが下がっている。
「ヨウコソ、オ嬢サンタチ。何ヲオ求メカネ」
どうもこの親父の片言も嘘くさい。
「お嬢様、このお店とても胡散臭いですわ」
「うん、グリンダ。私もそう思ったけど、そう言う事店主の前で口に出して言わない方が良いわよ」
「アンタラ、二人シテ失礼ナ奴ダナ」
「なあ親父。ここは薬屋なんだろう」
グレッグ兄さんが聞いた。
「ソウダヨ。異国ノ薬種ヲ取リ扱ッテイルヨ」
「お嬢様、この人ひらがな表記に直したら普通にタメ口で喋ってますわ」
「オ前、ソレヲ指摘スルノカ。るーる違反ダロウ」
「黒胡椒・白胡椒・八角・桂皮・丁子・胡麻。薬種問屋で間違いない見たいね」
「お嬢、調味料屋じゃないのか?」
「オ前ラ。ソコ突ッ込メヨ。フツウするースルカ」
「ねえおじさん。生姜は置いてないの?」
「生姜ハ人気有ルカラスグ売リ切レルネ。一昨日モ入荷シタケドスグ売レタヨ」
「やっぱり此処だったみたいね。幾らで売ってんの」
「ダイタイ一個デ銀貨20枚クライダヨ」
「アーやっぱり高いわ」
「生姜ノ代ワリナラ、丁子ハイカガカナ」
「うーんクローブも高いよ」
「さふらんナラ安イヨ」
「ちょっと待ってそれはいったい何に使うの」
「決マッテルヨ。媚薬ダロ」
「へっ?」
「ダカラ媚薬」
「お嬢様、媚薬って何ですか?」
「俺も知らねえ。お嬢それ何?」
「イヤー! 聞かないで!」
生姜は諦めてセサミクッキーを焼く事にして、この店では黒胡麻を少し買って帰ることにした。
【4】
通りに出ると練兵場に向かう路地から走ってくる二つの人影が見えた。
子供が大人に追われているようだ。
後ろの男は右手にナイフを持っているみたいだ。
そして逃げている子供の方は、
「ウィーキーンーズ-!」
私は買った黒胡麻の袋を男に投げつけるとそのまま男に突進して行った。
「お嬢、来ちゃいけない。さっさと逃げろ」
そんなことは聞けない。
私は走った勢いと体重を乗せて男の鳩尾に右ひじを叩き込んだ。
「ゲフッ」
男が左手で鳩尾を押さえた。
「誰かーーーー! 人殺しですぅーーーー!」
グリンダが大声で人を呼ぶ。
グレッグ兄さんが割り木を拾って男に殴りかかろうとする。
それに気付いた男はグレッグ兄さんにナイフを投げつける。
グレッグ兄さんがナイフを払う隙を付いて私を捕まえようと男の右手が伸びた。
(俺)は覆いかぶさって来た男の右手首と二の腕を掴み回り込む。
そのままかぶさって来た男の体を背中に乗せて一気に背負い投げを決めた。
手首と二の腕を掴まれたまま一回転した男の腕はバキリと嫌の音を立てて背中から落下した。
「ギャー!!!」
辺りに響き渡る悲鳴を上げながら男がのた打ち回る。
「腕がー、腕がー。痛てーよー。」
あらぬ方向を向いた右腕を押さえて叫ぶ男にグレッグ兄さんが馬乗りになった。
「おい、ウィキンズ。騎士か衛士を呼んできな。」
呆然としていたウィキンズが正気に戻りあわてて練兵場に向かって駆け出してゆく。
グレッグ兄さんは暴れる男の背中に乗り頭を押さえつけながら私に言った。
「おい! お嬢! 何の為に俺がいると思ってんだ。ふざけた真似をしやがって。帰ったら親方の前で一発殴るから覚悟していろ。」
グレッグ兄さんメッチャ怒ってる。
男に突進した時もナイフを見た時も怖いとは思わなかったが、今はメッチャ怖い。自分でも血の気が引いているのが分かる。
「お嬢様! もうこんな危ない事は絶対しないでください」
グリンダが泣きながらしがみ付いてきた。
しばらくするとウィキンズが数人の衛士たちを連れて来て男を引き渡した。
ウィキンズは泣きそうな顔で私に言った。
「なあお嬢。俺の為にこんな馬鹿な事をするのは止めてくれ。いつも言ってただろう。命は金で買えないって。なんでお嬢がこんな事するんだよう」
「ゴメン。でもウィキンズあんただって」
「分かってる。俺だって馬鹿だ。プライドが邪魔して金渡せなかった」
「お嬢、ウィキンズも男なんだよ。分かってても譲れない事があるんだ」
「グレッグにい…。俺な、自分が怪我するよりお嬢に何か有る方が辛い。絶対嫌だ。まして自分のせいでお嬢が怪我をしたなら絶対自分が許せない。それは俺だけじゃない多分みんなそう思ってる。だから約束してくれ。もうこんな事はしないって」
「そっそれは。それは嫌だ。私だって同じだもの。私のせいでみんなが傷付いたらきっと自分を許せないもの。でもね。私に何かある事でみんなが傷付くのも理解してるからちゃんと弁えた行動はするよ。父ちゃんとお母様だけは絶対傷つけたくないから。」
「それが分かってりゃあ良いよ。でもな、親方の前で拳骨は絶対だからな。今日は親方にもでっかいのを入れてもらえよ」
グレッグ兄さん拳骨のことを忘れてなかった。
その日は帰ってからも大変だった。
グレッグ兄さんと父ちゃんに殴られ、お母様には泣かれ、部屋に帰ってからアンにお尻を叩かれた。
ウィキンズの親父さんもその後やってきたが、こちらはドライなもので彼の行為が自慢らしく男を上げたとか言って喜んでいた。
私はその価値観の違いに少し驚いた。
その日はウィキンズと彼の親父さんもうちの家族や職人達と一緒に夕ご飯を食べた。
ウィキンズは帰り際に私のところに来て言った。
「なあお嬢。どうやったらあんなでかい男を分投げられるんだ。身長も体重も俺のほうが大きい。力だってお嬢は俺よりずっと弱い。なにか方法があるんだろう。教えてくれ」
「そんな事覚えてどうするの。無茶はしないっていったじゃないの」
「もちろん無茶はしない。でも自分やチビたちを守らなけりゃあいけない時が有る。そのときのために使いたい」
「教えてあげるよ。でもね。この技は自分達を守るときしか使えないよ。襲い掛かってくる相手の力を利用する技だからね」
「それなら俺も知りたいなあ。何せこれから先も無茶をしそうなお嬢のお守りをしなくちゃあいけない。武器を持ち歩くわけにもいかないから体ひとつで守るとなれば俺にも必要だろう」
いつの間にか現れたグレッグ兄さんが話しに加わってきた。
「そうだよなあ。練習もしなきゃあだし、お嬢を投げ飛ばすわけにも行かないしなあ」
そして翌日から空き地の芝の上で二人に柔道の基本動作と足技腰技手技を中心に教えることになった。
その夜すべてが片付いてグリンダに連れられて寝室に向かっていると厨房から出てきた父ちゃんと出会った。
「父ちゃんお休み」
「おう、お休み」
そう言っていそいそと階段を上がる父ちゃんの左手には二個のワイングラスとワインのビン、そして右手にはガラスのピッチャー。
そしてピッチャーの中は、
「お嬢様、あのピッチャーの中はサフランとクローブと後何が入っているのですか?」
「グリンダ、もうすぐ私に弟か妹が出来るかもしれないわ」
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