二年 後期

第84話 東部領主の事情

【1】

 春休みが終わり新学期になる直前、ゴッダード委の綿花市が終了する直後を狙って、国中に王妃殿下より税務局を通して新たな布告が出された。

 絹取引に関する布告である。

 ゴッダードの綿花取引所で絹も一元管理するという事なのだが、鑑札制ではなく自由競売にするという。


 その布告については概ね好意的に受け止められた。

 これまで綿花取引から弾かれていた南部や西部の商会はもちろんだが、北部の貴族や商会も好意的に受け止めていた。


 年明けから王都を賑わせている絹の取引はアヴァロン商事が一手に握っており、その利権に食い込む事は容易では無いと思われていたからだ。

 アヴァロン商事だけに甘い汁を吸わせる訳には行かない。自由競売ならばその利権に食い込める上、場合によっては談合で市場価格を抑える事も可能だ。


 役所も税収が増えるのだから反対する理由は無い。

 東部の領主たちは布告がもう少し早ければ綿花商人たちをゴッダードに留まらせて居たものをと愚痴っていたが、入荷が不定期で期日も確定でき無い為仕方ないと納得していた。


 ところが初回の競売日が発布されて国内全ての領主や商会に衝撃が走った。

 発布の日から五日後には競売が行われると言うのだ。

 発布日と競売日を除くと中三日しか無いのだ。


 これには北部や東部の商人はおろか地元であるはずの南部商人すら狼狽し憤慨した。

 商人の選定や資金の準備、更には派遣する時間すら足り無いではないか。

 地元である南部商人や南部貴族からですら文句の声が上がった。

 南部の領袖であるゴルゴンゾーラ侯爵家すら何一つ相談も無かったと憤っているのだ。


 苦情の声が王妃殿下のもとにも上がったが、王妃殿下も寝耳に水でハスラー聖公国の綿花商人も帰国した後だ言う。

 各地の貴族達は王妃殿下まで謀って初回の競売を強行したアヴァロン商事とセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢に避難が殺到したが、当の本人はゴッダードに戻り帰って来ていない。


 王妃殿下はアヴァロン商事を牽制すべく、名代としてジョン・ラップランド第二王子殿下とセイラ・カンボゾーラのお目付け役としてヨアンナ・ゴルゴンゾーラ公爵令嬢を派遣したのだ。

 こうして初回競売の独占を画策したセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢は、王妃殿下とジョン王子によって阻止され、


 …という筋書きになっていたようだ。

 王妃殿下によって、私が全ての黒幕で利益の独占を図ったが、王妃殿下の意を受けたジョン王子によってやり込められたと言う、時代劇の将軍様ネタの様な筋書きがまことしやかに王立学校内に流れている。


【2】

「セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様。この度の絹取引ご苦労だったのだわ。この金貨はそのお礼なのだわ」

「シュナイダー商店、貴女も中々の悪なのかしら」

「それはセイラ様には及ばないのだわ、オホホホホ」

 新学期開始から五日遅れて登校したその朝から、ファナがいきなりかましてきてくれた。ヨアンナも調子に乗ってそれを受けている。


「質の悪い嫌がらせは止めて頂けますか! ファナ様、ヨアンナ様」

「あら、ほぼ事実なのだわ。エマ・シュナイダーと組んでロックフォール家を出し抜いてくれたものなのだわ」

「ファン様にも同じ事を言われました。本当にロックフォール侯爵家の方々でお優しいのはイオアナ様だけですね。あの方は服飾関係の投資をお誘いしましたがお断りになられましたよ」


「あら、姉上は勿体ない事をしたのだわ。なら私が…」

「ファン様もエマ姉と組むのは嫌だと仰いましたので」

「まあ兄上が嫌がるのも仕方無いのだわ。兄上ではエマ・シュナイダーの相手は無理かもしれないのだわ」

 まあエマ姉と互角に渡り合えるのはファナくらいなものだろ。

 ただこの二人が組んだらタダで済まないのも確かだから、今回は手を引いてくれて助かったと言える。


「ファナ・ロックフォール。そんな悠長なことで良いのか? この女のおかげで南部も東部も煮え湯を飲まされるところだったのだぞ。王妃殿下の機転のおかげで自由競売になったというが、ハスラー聖大公の商会が間に合わなければ絹相場はセイラ・カンボゾーラに牛耳られていたというではないか」

 珍しくイアン・フラミンゴがファナに同意を求めてきた。


 ははぁー、そういう筋書きになっているのか。

 実際は私と王妃殿下…アヴァロン商会とハスラー聖大公の出来レースだ。

 私が絹糸を持ち込んで、ハスラー商人が相場を吊り上げて買い占める。


 ラスカル王国の商会が食い込んでも、手織りの技術に勝るハスラー聖公国には太刀打ちできない。

 高級品市場はハスラー聖公国の独壇場だ。高価な糸のイメージとハスラーのブランド力が合わされば、絹糸の価格が上がれば製品の価格はそれ以上に上がる。

 私が悪者になることでハスラー聖公国との紛争が回避できるのならそれに越したことはない。


「おまけにアヴァロン商会のせいで綿花市が無くなってしまったではないか!」

「イアン様。そうおっしゃいますが、お父上のフラミンゴ宰相様だって税収が上がるならそれに越したことはないでしょう。国境での徴税では馬車一杯の綿花を積んでも絹糸を積んでも同じ税額だったのですよ。私が競売を提案したから絹糸の価格に対して税がかけられるようになったのですから、そこは認めていただきたいものですわ」


「まあそれはそうなのだが…」

「私は絹の税収を上げる方法を提案した。王妃殿下は更に相場を引っ張って税収を増やした。…ほら、どちらもこんなに国に貢献してる」

「ムッ、だが…」

「イアン、止めておけ。この女に口で勝とうなどと考えても無理だ。事実この女の言っている通り税収は上がり、競売場の主導権もラスカル王国が握れている。長期で見ても綿花市が無くなったデメリットなど絹取引で吹き飛んでしまうぞ」

「そうは言われても、王子殿下。東部の綿花商人はこれで影響を受けるものが多い。東部貴族もハスラー聖公国向けの紡績業は打撃が大きのですよ」


「イアンも考えを改める頃合いなのだわ。東部はいつまでもハスラー聖公国の下請けをしている時代ではないのだわ。南部や北西部やハウザー王国の製品をハスラー聖公国に売りに行く時代が来るのだわ」

「ハウザー王国の物産をハスラー聖公国が買う時代が来るのだ。時代は変わるのだ」


「イアン様、東部貴族は考えを変えなければいけませんよ。多分宰相様は気付いていらっしゃると思いますが…」

「私だって殿下やファナに言われるまでも無く理解している。反目や蔑みが何も生まない事は。ただ、それが理解できない貴族も多いのだ。しかしそれらの貴族も我がフラミンゴ伯爵家を支えてくれた忠臣であった事は事実だ。だからセイラ・カンボゾーラが言う様には簡単に切り捨てられない」


 ホホーゥ。エマ姉に相手に意地になって凹まされて、不貞腐れていた男の子が成長したものだ。

「下賤な私から言わせれば、人の好き嫌いなんてそう簡単に変えられない。けれど利益が絡むとその感情を封印する事が出来る。そしてそれがいつの間にか日常に代わるのよ」


「本当に下賤な言い方だな。だがその言い分は解からなくもない」

「領地が栄えるなら、領民が富めるなら、領主貴族なら呑み込めるはずよ。それが出来ないなら、滅びるべきよ」

「辛辣な。教義に殉ずるのは尊い事だと聖教会も言っているぞ」

「聖人が教義に殉ずるのは信徒を救う為、己の命を捧げて民を救うためでしょう。教義を守るために領民を巻き込むのは只の悪徳よ。何より教導派の聖職者の教義は己の保身のために有るのだもの。利益に転んだものを非難できる立場でも無いでしょうに」


「ハハハ、そうだな。ジャンヌの様に己は何も持たず、全てを民に捧げた者こそ教義に殉ずることが出来る。富と権力に胡坐をかく者は容易に富に転ぶという事か。セイラ・カンボゾーラ、お前らしい言い分だな。だが、私も奴らを転ばせる方法が見えてきたぞ。セイラ・カンボゾーラ、そのエサはちゃんと用意してくれているのだろうな」

「当然よ。やる気が有って、我慢が出来る領主貴族相手ならばね。その代わり宰相閣下には補助金の交付や援助もお願いしたいわね」

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