第147話 奇跡の代償

【1】

 王妃殿下は完全に回復して体調も戻ったようだ。

「以前よりずっと体の調子が良いのじゃ。たった一晩眠っただけとは思えぬ爽快さじゃぞ」

 朝方は毒見係のフランシスの事で落ち込んでいたが、さすがに王族だけあって切り替えは早い。


 応接側にテーブルが設えられて、サロン・ド・ヨアンナの昼食が並ぶ。

 応接室の物置に隠されていた刺客の遺体はテーブルごと夜中の内に撤去されたと言う。

 イヴァン達も刺客については口止めされて、従卒と共に近衛騎士団に帰された。

 室内は昨夜の内にエヴァン王子たちの元サーヴァントによってカーペットも取り換えられて昨夜の戦闘の痕跡は残っていない。

 カプロン中隊長が選任した近衛護衛騎士が交代で応接の警備に詰めており、獣人属サーヴァントたちと王妃殿下がピックアップした信用のおける使用人が忙し気に働いている。


 そして今、私は王妃殿下と昼食のテーブルを囲んでいた。

 オードブルは鴨肉のグリル、玉ねぎのスープにはトリュフが浮かんでいる。

 そしてメインディッシュが子羊のリブステーキ。

 バターと卵をふんだんに使ったデニッシュとスコーンが添えられている。

 量は多くないが昼からカロリー多め過ぎないか。


 そう言えばハバリー亭は最近ライ麦や燕麦の入った全粒粉のパンやオートミールや押し麦を乾燥した軽食を一般向けに販売している。

 これが市民にはとても評判がいいそうだ。

 少々割高ではあるが同じライ麦や燕麦でもその辺りで買う白パンより旨いと評判で、ハバリー亭のネームバリューも手伝ってプチ贅沢品のような扱いを受けている。

 どうも、ジャンヌの食生活改善の研究を商売につなげたようだ。

 思えば最近イオアナ様がとてもスリムになっていたなあ。


「そう言えばジョンの指示で其方の寝室の準備が出来たようじゃ。少々手狭な部屋ではあるが我慢してくりゃれ」

 二階の王妃殿下の私室の隣りに私の部屋が設えられたようだ。


 王妃殿下のメイドに促されて隣の部屋に向かった。

「光の神子様にはご不満もおありかと存じますが、わたくし共で精一杯の事をさせて頂きました」

 メイドが恭しく私を部屋に招き入れる。


 上級貴族寮のヨアンナの部屋全部よりデカい応接室が目に飛び込んで来る。開かれた寝室は下級貴族寮の私の部屋全部よりデカい。

 それに使用人控室が二つに護衛控室が一つ、更に厨房がついている。こんなの手狭どころかどう使っていいかわからない。


 部屋に入ると王妃殿下の離宮のメイドが片膝をつき胸に手を当てて恭しく頭を下げて並んでいた。

「アワワワワ」

 私の後ろでウルヴァがパニックになりかけている。

「「「「光の神子様、宜しくお願いい申し上げます」」」」


 私は軽い眩暈を憶えた。

「セイラ様…、こちらに参ると何やら大変な事になっておりまして…」

 フィディス修道女ともう一人の修道女が慌てて駆けよって来る。

「セイラ様、ロックフォール侯爵家で次席治癒術士を務めておりますレイチェルと申します」

 細い目にモコモコの白い巻き髪、小さな耳の横には渦巻くツノ、羊獣人のようだ。


「あの…ここまできれいに設えて頂いてどうもありがとうございます」

「おお、光の神子様に御言葉をいただけた」

「お優しい労いの言葉を…」

「神よ、御祝福を」

 中には滂沱の涙を流して平伏す者さえ現れた。

 当惑と言うより怖い。本当に勘弁して欲しい。


「みっみなさん…感謝いたしております。もうお下がりいただいて結構です」

「「「「はい」」」」

 メイド達は頭を下げながら後ろ向きに器用に出て行った。

「光の神子様に祝福をいただいたわ」

「私たち御声をかけて頂けたのよ」

「あれはもう祝福に他なりません」

 ドアの外で狂信者めいた不穏な言葉が聞こえる。


「昨日から一階はあのような状態なのです。心肺蘇生を理解できる者は殆んどおらず、恐怖する者とああして神格化しようとする者に分かれてしまって」

「王宮治癒術士団はもう崩壊状態です。一部の者は清貧派の私たちの技術を知ろうと接触して来ておりますが、大半は教義を捨てられずパニックに陥っております。治癒術士団長に至っては事実が認められず精神に異常をきたしております」

 フィディス修道女とレイチェル修道女が交互に下の状況を説明してくれた。


「ヒエー、そんな状態になってるんだ。困ったなあ。ジョン王子殿下に何とか鎮静化を図ってもらわないと」

「多分無理で御座います。ジョン王子殿下が光の神子の名付け親ですから。それをヨハネス様と二人で屋敷中に喧伝して歩いておられます」

 ウルヴァが申し訳なさそうに言う。

「どう言うつもりよ、王子殿下は! そんな事されたら部屋から出られないじゃないの」


【2】

 その日の午後には約束通り各属性の治癒術士を二人づつ残して、ゴルゴンゾーラ公爵家とロックフォール侯爵家の治癒術士隊は引き揚げて行った。

 それと入れ替わりに王立学校から火属性の修道女がやって来た。


「光の神子様、ご機嫌麗しゅう」

 下級貴族寮で見知った治癒修道女である。入学以来ジャンヌに師事し力をつけていたが、その人にいきなり傅かれた。

「止めて下さい、一体何を…。どこでその呼び名を?」


「昨夜帰寮致しました二人の修道女から。なんでもジョン王子殿下からこの様に対処せよとご指示が有った様で。セイラ様が奇跡を起こされたと」

「あなたも解るでしょう。これは心肺蘇生よ、奇跡じゃないわ」

「でも心肺停止後三百を数えるほどに時が過ぎての心肺蘇生はやはり奇跡です」

 冷静にそう言われても彼女の言う奇跡と一般の人が言っている奇跡では意味合いが全く違う。


「それでこの事は女子大貴族寮では周知されてしまったのね」

「いえ、あの娘達が女子平民寮でも広めております。それにイヴァン様たちが騎士団寮で…王子殿下の御指示を受けたらしくセイラ様が死した王太后を蘇らせたと」

 イヴァン! お前ら! いや、今回はイヴァン達は悪くない。悪いのは指示を出したジョン王子だ。

 どおせイヴァン達の事だから肝心な部分を端折って、要らぬ所に尾ひれを付けて広めているのだろう。

 未だこれが夏季休暇中だったから幸いだが平時だと大変な事になっていた。


 ところが更にこの後大きく事態が動いた。

 午後になってセイラカフェやサロン・ド・ヨアンナから大量のメイドとサーヴァントが送り込まれてきたのだ。

 昨日から働き詰めで殆んど寝ていないであろう離宮のメイドとサーヴァントを一旦帰宅させて、明日の昼まで休養日にするとジョン王子から宣言が出されたのだ。


 もちろんブラックリスト使用人は省かれるがそれ以外は全てだ。

 自宅からの通いの者や王宮内の使用人宿舎に暮らす者ばかりなので、昨日から何の連絡も無く心配している家族や友人たちが多くいる。

 使用人達には王妃殿下の事以外は特に箝口令もしかれる事無く、心配している者たちに詳しく説明し安心するように説得せよとお達しがあった。

 そしてその間の穴埋めは一時的にセイラカフェとサロン・ド・ヨアンナの使用人が入る事になったのだ。


 ジョン王子は私の事を光の神子と喧伝して王宮中に著しく歪曲した事実を広める事で王太后を当分監禁しておくつもりのようだ。

 私の迷惑は一切考慮する事無くだ。

 だから王族は大嫌いだ。

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