第148話 治癒術士団長

【1】

「いったい何がどうなっておるのじゃ? 昨夜わらわに何が起こった」

「…畏れながら」

 随員が王太后に昨夜の事をぼそぼそと話す。

 それも王太后の逆鱗に触れぬ様に慎重に言葉を選んで説明して行くのだが、話を続けるうちにだんだんと王太后の表情が厳しくなってゆく。


「ふっ…ふざけるでない! わらわが死んだと申すか。ならばここに座っておるのは誰じゃ! わらわは紛れもなく王太后ヴェノッア・ペスカトーレ・ラップランドであるぞ!」

「心得て御座います。その事に間違いは御座いません」

「クッ! わらわが死んだ等とのたもうたのはどこの誰じゃ!」

「そっそれは…王宮治癒術士団で御座います」

「あの痴れ者どもが、今すぐ治癒術士団の団長をこれに呼べ」

「しかしそれは…」

 随員がチラリとヨハネス卿の居る応接への扉の方を見る。

「サッサとせぬか」


 随員は慌てて客間の寝室を飛び出して行った。

 入れ替わりに表からヨハネス・ゴルゴンゾーラ卿の声が響く。

「しばし待たれよ。すぐにお連れ申す」

 そう言うと客室を出て行くドアの音が大きく響いた。

 なんだ? そう言えばなぜ寝室のドアの音がしないのだ? 衝立の向こうはどうなっておるのだ?


【2】

 しばらくすると客室のドアの開く音と共にどやどやと人の足音が響いた。

 そして衝立の向こうからヨハネス卿と二人の獣人属のサーヴァントに脇を抱えられた白い治癒修道士服の男をが引き摺られてやって来た。


「なんじゃ? ゴルゴンゾーラ公爵家はケダモノの使用人しかおらぬのかえ」

「いえ、左様な事は御座いませんが」

「なら何故に!」

「ただの嫌がらせに御座いますよ」

「クッ、痴れ者が」


「さあ、ご希望通りお連れ致しましたぞ。王宮治癒術士団の団長殿で御座います」

 ヨハネスがそう言うと、ぐったりしているその白服の男を王太后のベッドの横の椅子に座らせた。

 その男がのろのろと頭を上げたのが分かった。


「うわー! 違う! これは違う! こんな筈は無い、在り得ない。これは死人だ。そうだ死んだのだ。死んでおるのだ。間違いなく死んでおった。だから此れは人では無い」

 その声は紛れもなく王宮治癒術士団長の者であったが、その支離滅裂な叫びにさすがの王太后も怒りよりも当惑が勝ってしまう。


「落ち着かれよ、王宮治癒術士団長。何を申しておる。わらわじゃ。ヴェノッア・ラップランドじゃ。ほれわらわは此処で息災にしておるぞ」

「ウワーー! 来るなー! そんな筈は無い。心臓は止まっておった! 呼吸も無かった! 間違いないのだ」

 伸ばしかけた王太后の手から逃げる様に王宮治癒術士団長は椅子から仰け反って転がり落ちた。

 そして這いずりながら衝立の向こうに逃れようとする。


「連れて行け」

 ヨハネス卿がサーヴァントに命じ、王宮治癒術士団長は衝立の向こうに連れて行かれてしまった。

「御用はお済でしたでしょうか」


「あ奴はどうなっておるのだ? まるで正気を失ったようではないか」

「事実正気を失っておられる。昨夜からずっとあんな調子で御座いますよ王太后殿下」

「他の…他の王宮治癒術士団員は?」

「大なり小なり何処かおかしく成っておりますなあ。正気らしきものは清貧派への転向を宣言しておりますが。お呼びいたしましょうか?」

「よい、もうよい。どうにも昨夜わらわは死んだようだな。しかし紛れもなくここにおるのはわらわじゃ! わらわの知らぬところで何がおころうとわらわはわらわじゃ。以前と何一つ変わっておらぬぞ。なら知らぬことは認めぬ」


「そう宣言なされてもわたくしには…俺たちゴルゴンゾーラ公爵家には関係の無い事。好きになさるが良いではないか」

「ああ、そうさせて貰おう。お前たち薔薇の離宮に帰るぞ。すぐに用意を致せ」

「それが王太后殿下、病み上がりの王太后殿下を治癒する者がおりません。王宮治癒術士団は壊滅して代わりの治癒術士が居ないので御座います」

「それでどうしろと申すのだ!」


「ジョン王子殿下は本当に慈悲深い。大切なお婆様にもしもの事が有れば取り返しがつかなくなる。王宮治癒術士団が再選定されるまで光の神子が滞在する王妃殿下の離宮で御養生頂こうと仰せだ。命尽きる迄捨て置けば良いものを」

「ゴルゴンゾーラ! 貴様それが本音であろう!」

「ああ、あんたには怨み骨髄迄しみ込んでいるさ。俺たちゴルゴンゾーラ公爵家の者であんたの死を望まない者などおらん」

 そう捨て台詞を残してヨハネス卿は出て行った。

 王太后は適当な理由を付けられてこの離宮に幽閉されたことを悟った。


【3】

 昼食は白身魚のポワレと玉ねぎと大豆のスープ、そしてまたライ麦と燕麦のパンであった。

 良く冷えた水がまた大量に持って来られている。さすがに空腹には勝てないので全てを平らげて腹はふくれたが味覚は満足できない。


 チーズもハムもソーセージも無い。デザートは果実がつく程度で甘味も無い。

 飲めるのは水だけ。ワインはおろかエールもコーヒーや紅茶すらないのだ。


「ワインは無いのか! 紅茶でも良い砂糖を存分に入れて持ってまいれ!

 叫んでも誰も答えを返さない。

「クッ…、いつまでこの様な事が続くのじゃ! このままで済まさぬぞ」


 いつまでもこのままでおく訳には行かない。

 まだ手は有るはずだ。切り札が残っている筈なのだ。

「王妃は今どうしておるか知っておるか?」

「はい、普段通りに執務をこなしておると聞き及んでおりますが、念のためと称して私室からは一歩も出る事無く過ごしておるとか」

「それを誰か確認した者はおるのか?」

「それが、昨夜から王子殿下の御友人方やそのサーヴァントたちが部屋の中には一歩も入れず。警備をされております」


「そうか、そうか。それは少し気になるのう。何かあったのではないか? 息災なら顔の一つも見せようと言うものだ。其方メイド長か執事長に渡りをつけて何か探って参れ」

「それがそのお二人も給仕長様も警護長様まで昨夜お見えになられたカプロン第十中隊長様が逮捕なされたとか」

「なに! 警護長までもがか」

「はい、それで四人とも警備控室に拘束されたままで、今は昨夜の宴の折に饗宴室に居なかった使用人の尋問が順次なされておりまする」

「それで毒見係の娘はどうなった」

「はい離宮の外で服毒して自死しているのが見つかったとか」

「それで毒を盛った犯人は死んだわけじゃな」

「いえ、それが実際の毒見係は服毒した女とは違う男であったという事で近衛護衛騎士が躍起になって探しております」

「という事は犯人はまだ捕まっていないという事だな」


【3】

 その頃には警備控室でブラックリストに乗った近衛護衛騎士の尋問が行われていた。

 呼ばれて部屋に入ると尋問用の奥の間に通される。

 そこにはカプロン第十中隊長が座り、その後ろには黒檀のテーブルに磔られた死体が立てかけられている。


 右眼にナイフが突き刺さり、胴を三本のショートソードが貫いて黒檀のテーブルに磔られている何やら現実離れしたオブジェの様に見える。

 しかし尋問に訪れた騎士にはその死体の苦痛で歪んだ顔が初見の者では無く、見た事の有る者の顔であった。

 もうそれを見ただけで何一つ抗弁する気も失せてその場に崩れ落ちるのであった。


【4】

 夕食は白身魚のグリル、鶏むね肉のソテー、大豆と茄子と玉ねぎのスープ、そしてお決まりのライ麦と燕麦のパンと果実、飲み物は又水だけだ。

 しかしそれもすぐ終わるだろう。

 まだあの男は捕まっていない。明日の朝にでも憎い王妃の死亡の一報が入るに違いない。


 そう信じていたところに随員が報告にやって来た。

 王妃の離宮の庭園に黒檀のテーブルに磔にされた毒物投与の実行犯の亡骸が置かれていると。

 右眼にナイフが突き立てられ、三本のショートソードでテーブルに縫い付けられていたと。

 王太后ん最後の望みが潰えとうとう心が折れた。

「いやじゃ! こんな所は嫌じゃ! そうだ、せめて薔薇を薔薇の香りに包まれていたい」

 客間に王太后の声がこだました。

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