第149話 王宮の混乱

【1】

 事件が起きた翌日の昼前には王宮中が光の神子の一件で持ちきりとなっていた。

 王宮内の聖堂の大司祭は飛び交う噂の否定に躍起になっていた午後には、王宮治癒術士団の面々が全員帰って来た。


 その多くは正気を無くしたように死者の復活と光の神子の奇跡を口走り、団長に至ってはほぼ気が狂ったとしか言い様のない言動を繰り返している。


 そう言う一団がまとまりも無く聖堂内に乱入してくるのだ。

 当然治癒術士の所属は王宮の聖堂であるから彼らは帰って来たのだろうが、その常軌を逸した様子は大司祭にとって乱入としか言いようが無かったのだ。


 折しも前日から一日以上不在であった王宮治癒術士団に治療を依頼する貴族やその子弟たちで聖堂内はごった返していた。

 更には噂の真偽を求める信徒たちも多数詰めかけていた。


 大司祭は噂の全ては聖典には記されておらず、神の摂理に反する異端者の戯れ言だと切って捨て様としていた矢先である。

 放心状態の王宮治癒術士団の乱入に聖堂内は大混乱に陥った。

 そして何より聖堂に所属する王宮治癒術士団がほぼ全員使い物にならなくなっていたのだ。

 教導派聖教会にとって治癒術士の行う治癒は高額の喜捨を生む金の卵だ。それがいきなり潰え去ったのだ。

 王宮治癒術士団に所属するには教皇庁の治癒院で学びその資格を得る必要がある。その条件の一つが爵位持ちの貴族家の者である事。


 その為周辺の聖教会から人員を補充しようにも直ぐには集められない。

 そんな資格持ちの治癒術士は、各州都の大聖堂の責任者くらいなのだ。

 前金で喜捨を貰っている患者も多くいる上、治癒の途中でそれを打ち切る訳にも行かず対処の仕様がなく、王宮聖堂大司祭は途方に暮れてしまった。


【2】

 当然この騒ぎは国王陛下の耳に入る事となった。

 前日の夜半より王立学校内から広がり始めていた噂は国王側近たちによってかなり詳細に調査がなされ、国王へ報告がなされる時にはほぼ概要が掴まれていた。

 主たる関係者が王太后と現王妃である。

 報告の場には国王と寵妃マリエッタ夫人、そしてペスカトーレ枢機卿とモン・ドール侯爵の姿が有った。

 そして報告に上がるのがもう一人の男。

 近衛騎士団の制服の上に教導派を象徴する白い鷺の刺繍が大きくあしらわれた深紅のスカプラリオと呼ばれる前掛けの様な物を首からかけ。、大きな頭巾をかぶっおりその表情は見えない。

 この男が近衛騎士団北大隊の大隊長である。


「さて、母上は息災で過ごしておるのであろうか」

「叔母上にはもしもの事が有っては困る。叔母上が王妃に人質に取られているとなれば父上のペスカトーレ教皇猊下に申し開きも立たん」

「私も伯母上が心配です。噂のあらましを教えてくれぬか。色々と話が飛び交って何が何やらさっぱりわからぬのです」


 国王陛下はかなり冷静であるが、ペスカトーレ枢機卿とマリエッタ寵妃夫人は王宮での大きな後ろ盾でもある王太后の安否をかなり気にしている。

「搔い摘んで申し上げましょう。一昨日の夜に王妃殿下の離宮で行われた王立学校の生徒との晩餐会が発端です」


 そこから把握されている事件の流れが順序だてて話されて行く。

 王妃殿下が毒を盛られ瀕死の状態に陥ったのをセイラ・カンボゾーラが救命処置を施し、駆けつけた王宮治癒術士団を差し置いて王立学校から呼びつけた治癒修道女と回復治癒を行い一命をとりとめた事は王宮治癒術師の供述で明らかだ。

 さらにファナ・ロックフォールがゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士隊を招集しヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ卿が手勢を引き連れて離宮に乗り込んだ事。

 更にそれに激高した王太后が病の発作を起こし意識を失った事。

 その場で治癒に当たった王宮治癒術士団が、王太后殿下の呼吸の停止と心臓の停止を確認した後、ゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士がセイラ・カンボゾーラを呼びつけて二人で王太后を蘇らせた事。

 この辺りになると王宮治癒術師も王妃の離宮の使用人の供述もあやふやになってくるのだが、それを大まかに説明して行った。


「それで母上が死んで蘇たと? 全て事実なのか? セイラ・カンボゾーラが光の聖属性持ちだとは聞いていたが、かつて死者を蘇らせた事実など聞いた事が無いぞ」

「ええ、教皇庁の記録などでもその様な奇跡は記録には無いと思います」

 国王陛下とペスカトーレ枢機卿が疑問を投げかける。


「ワシもかつてあの者と相まみえた事が御座いますが、見かけはただの不遜な娘でした。しかし恐ろしいまでに度胸があり頭の回転も速い、何よりも治癒魔法も碌に習った事が無いのにポワトー枢機卿のカルキノスの治癒を施してしまった。この度の件も何やら理由が有るのでしょうが得体のしれぬ娘ではありますな」


「其方が申すところではこの事は奇跡では無いという事か?」

「まあ誰でもが無し得る事では無いと言う意味では奇跡なのでしょうが、理屈さえ解って条件さえ整えば彼奴で無くても成し得たという事だと認識しております」


「フム、少なくともこの事で聖教会があの小娘に膝を屈する謂れは無いという事か」

 ペスカトーレ枢機卿幾分ホッとしたように言った。

「左様では御座いますが、治癒施術の分野ではそうとも申し上げられぬのでは?」

「それじゃ。あの団長はもちろんの事、治癒術士の多くが錯乱しておる。冷静な者もおるが、そ奴らはどうも清貧派への鞍替えを考えておる様じゃしな。今の王宮治癒術士団は完全に崩壊しておる。かと言って新たに再編すると言っても今日明日で出来る事ではない」

「まあしばらくは、その冷静な者たちを聖堂に監禁して治癒に当たらせる事ですかな。我々近衛騎士団北大隊の関与する事ではないので」


「それなのだがな、大隊長。王妃殿下に誰が毒を盛った? なぜそのような場に王太后が自らおられた。おぬしらが関与したのであろう」

 それ迄渋い顔で黙っていたモン・ドール侯爵が口を開いた。

「そこはご容赦くだされ。北大隊はワシも大隊長と言えど寄り合い所帯。十二中隊はまだしも、第十・十一中隊は高位貴族や王族の方々の私兵同前の者も多い。なにより守秘義務もありますからな」


「戯けた事を…。しかし母上にも困ったものだ。やるならば確実にやってもらわねば、それを返り討ちに合うなどど」

「先ずしくじる事の無い策であったのでしょう。王宮治癒術士団も全員を待機させて迄臨んだのですから」

「しかし毒を盛られて緊急の救命処置で助けられるものなのか? 使われたのなら教皇庁秘伝のあの毒であろう。量を間違えたとかではあるまいな」

「効果のタイミングから考えてもあの刺客がそれを間違える事はよもや考えられますまい」


「それもだが、目撃者が多すぎる。王妃の離宮が解き放った使用人と近衛警備騎士や王宮治癒術師団を入れると百人に届く者が王宮や王城界隈で噂を垂れ流しておる。今更話を打ち消す事も出来ん。なにより王宮治癒術士団が聖堂で吹聴しまくったのだしな」

「しかしそれは聖教会の落ち度では御座らぬぞ。大司祭は沈静化に勤めておりまする」


「それで実際のところ王妃と母上の容態は?」

「今のところお二方ともご無事だとしか情報は御座いません。王妃殿下の離宮に居る手の者とも連絡がつきませんので」

「それは全て拘束されたという事か? 誰が指揮を…エストレラ・カプロンか」

「ええ、その夜の内に己が手勢を伴なって乗り込んだ様で御座います」

「せめて護衛の為に近衛護衛騎士を乗り込ませるなりの手は無いのか?」


「残念ながら。お二方の身辺警護はヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ卿が取り仕切っている様で、近衛兵も寄せ付けぬとか」

「目障りなゴルゴンゾーラ公爵家めが」

「護衛長か執事長にも連絡が取れんのか」

「その二人もメイド長と給仕長も捕縛されているようですな」

「あの者たちは高位貴族の縁者だぞ。何処まで非道な」


「ただまだ毒殺の実行犯が捕縛されたと言う情報は入っておらず、離宮の近衛護衛騎士も探索中のようで…」

 そこに一人の近衛騎士が駆け込んできて北大隊長に耳打ちをする。

 北大隊長は渋い顔で口を開いた。

「実行犯が王妃殿下の離宮の庭に磔状態で晒されているそうでございます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る