第87話 リコッタ領からの帰還

【1】

 馬車にはペコリーノ氏の荷物が積み込まれた。身の回り品だけとは言うもののかなりの量になってしまった。

 そのして館の車寄せには伯爵家の使用人が総出で馬車の前に並んでいた。

「みんな、見送り有難う。タイラー、すまぬが兄上の事を頼む。もう私はこの家の者で無くなるので口は挟めなくなる。其方らが頼りだ。諫言をして追い出されるならば私が後の身の振り方は面倒を見よう。兄上の好きにはさせるな」

「心得て御座います。リコッタ家の存続のために心を鬼にして参ります」

「事細かに連絡は入れてくれ。お前たちの事は常に気にかけている事を覚えておいておくれ。それではさらばだ」

 えらく満足げに惚けた顔でヘラヘラしているマルゲリータに伴われて悲壮な顔つきのペコリーノ氏が馬車で去っていった。


 私はこれから紡績機の契約である。

 リコッタ伯爵がごねて夕刻になってしまった。

 出資金は全額、紡績機の支払いに充てさせることで決着がついた。

 リコッタ伯爵は延払いを主張したが、クルクワ男爵が紡績機の確実な導入を訴えて即金での支払いを主張した。

 ストロガノフ子爵とウルダ子爵の弟君もその主張に賛同し、残りの出資者もそれに追随した為支払いは全額即金で決した。


 前金の金貨十五枚を引いた八十五枚。そのうち五十一枚はこの後クルクワ男爵家に赴いて受け取る事となり、残りの三十四枚の金貨をミゲルが受け取った。

 コルデー氏が差し出した二枚の契約書を一瞥するとリコッタ伯爵はつまらなさそうにサインをして私に手渡してきた。

 私は二枚の契約書のサインと文面を確認してすると自分のサインを入れた後に、割り印として二枚を並べて印章を押し一枚を伯爵に返した。


 残金は金貨十五枚。これはクルクワ家に婿入りするペコリーノ氏が持参金として持ってゆく予定であった物を、工場を担保にしてリコッタ伯爵が借りた事に成っている。

「この金はペコリーノから譲り受けたものじゃ」

「譲り受けたのでは無く、工場を担保に借りたものですよ。それはお間違いなきように。本来なら今ペコリーニ氏に返却すべきものでしょうが、証文の期限は来年の春までとなっていますのでお戻し致します。タイラー様宜しくお願い致します」

 手を出しかけてリコッタ伯爵を遮り執事のタイラー氏に金貨を手渡した。


 タイラー氏は金貨を持って奥の執務室の金庫に向かう。

 それを忌々しそうに睨みながらリコッタ伯爵は皆に告げた。

「皆様には株式証書をお渡しした。これでリコッタ紡績株式組合は設立された。来年の決算では配当を期待してくだされ」

 結局五十一株をクルクワ家が所有し五株をウルダ家が所有している。

 ストロガノフ子爵ともう一人の近衛騎士家で二十四株を宮廷魔術師の二家が二十株を投資している。

 さて決算ではどれだけ配当が出せるのやら。まあここから先はリコッタ家の家人がどれだけ頑張れるかに尽きる。


 それよりも私たちは帰宅の算段に忙しい。

 リコッタ伯爵の事だ。必ず追っ手をかけるだろう。もちろん金貨を奪い返すために。

 リコッタ伯爵の事だから盗賊にでも襲わせて奪ってしまえばよいと考えるのは分り切っている。

 リコッタ領内なら衛士であっても信用することはできない。ましてや治安の悪いこの領の事だからはした金で雇われたゴロツキならばいくらでも都合がつく。

 そもそもエダム男爵家の馬車に同乗して帰る予定が、思わぬ婿入りの荷物の為に乗れなくなったことは大誤算だ。

 もちろん契約時にリコッタ伯爵が時間を引き延ばしたのはこれを考えていたのだろう。


 私たちは翌朝早くに宿を発って領境を目指した。

 金貨三十四枚をリコッタ領外に運ばねばならないのだからのんびりはしていられない。

 金融取引など碌にしていないリコッタ領では為替に変えられない。領境を超えて移動するなら隣接するウルダ領かエダム領、少し遠くなるがクルクワ領だ。

 ウルダ領は近いがリコッタ伯爵の息がかかった領地なので越境してでも追いかけてくるだろう。

 クルクワ領はリコッタ領を横断する必要があるので遠すぎる。エダム領は距離は手ごろだが領境に検問が設けられている可能性が高い。


 私たちは検問の一番緩そうなウルダ領を目指す事にした。衛士と揉めると厄介なのでウルダ領に入ってから追っ手を迎え撃つことにする。

 ミゲルとコルデー氏は契約書類を持たせて後から来させて、私はルイスとパブロとリオニーの四人で金貨を持って領境を抜ける。

 後はウルダ領を横切って州都のパルメザンを目指すだけだ。


 農地が続く田園地帯を越えて森林地帯に入る。

 森林と言ってもうっそうとした森では無く、平原にチラホラと木が茂っているような土地だ。

 私たちは街道を少し離れて見晴らしの利く広場に入って行く。


「おい、さっさと出て来いよ。七人…いや八人か」

ルイスの言葉にリオニーが腹立たしそうに文句を言う。

「ルイス、たかだか八人を数えられなくてライトスミス商会の事務職を良く名乗っていますね。そもそもあなたは日頃からイヤな事から逃げて‥‥‥」

 ウルダ領に入る前から気付いていたが、余りに尾行がお粗末すぎる。

 幾ら離れていても田園地帯を延々と一定の距離をおいて着いて来る集団がいれば気付かないはずが無い。人数迄まるわかりだ。


「‥‥‥何かといえば帳簿付けをサボってミゲルに押し付けて」

「ゴメン。判ったから、リオニー。もう奴ら姿を現したから、そろそろ説教は終わりにして」

 そう、百メートルほど離れた木の陰からぞろぞろと人相の悪い男たちが現れた。

 いきなりリオニーが両手にナイフを持ち男たち目指して駆けだした。

 たじろぐ八人を尻目に槍を持った男めがけてナイフを飛ばす。切っ先は男の右肩に深く突き刺さった。

 その男の胸を右足で蹴るとその反動で方向転換し射手の持つ長弓の弦を断ち切る。


「リオニーずりーぞ! 抜け駆けすんな」

 ルイスが鉈鎌ビルフクを引き抜いてリオニーの後を追う。その合間にリオニーは射手の右手の腱を切り裂いていた。

「それなら後は任せたわ」

 そう言うと一気に戦列を離れてルイスと入れ替わった。入れ替わり際に両手剣を構えた男の脇腹にナイフを突き立てて私の前に帰って来た。


 ルイスが鉈鎌ビルフクを振るって斬りかかろうとした男の顔面にパブロのローマ秤の分銅が叩き込まれる。

 更にその後ろの男の脳天に一回転したローマ秤の鉤が突き刺さって昏倒させる。

 そのまま振り回した竿は左隣の男の側頭部を打ち倒しそのまま左に吹き飛ばした。

 あっと言う間に戦力の三分の二以上が失われたのだ。


「待ってくれ! 降参だ! 武器は捨てる!」

「話がしたいわ。リーダーは貴方なの?」

 無傷の二人は武器を投げ捨てて両手を上げている。

「ルイス、パブロ。全員の武装解除を」

「くっそう! 毎回おれはこんな仕事ばかりかよ。俺の見せ場はどうしてくれるんだよう」

 ルイスはそう言いながら全員の武器を奪って足元に積んで行く。


「ねえあなた達はリコッタ伯爵に幾らで雇われたの? そもそもあなた達は私たちの荷物を奪ってリコッタ領に帰ってから無事でいられると思っていたの?」

 私にそう言われて男たちの顔に驚きの表情が浮かぶ。

「そっそう言えばそうだ」

「あのリコッタ伯爵よ。どうせ盗賊の汚名を着せてあんた達を捕縛してしまうわよ」

「あっ、あり得ると言うか、そうするに違えねえな」

「そこであんた達に提案よ。あんた達に銀貨五十枚あげるわ。今すぐにここから失せてどこか他州にでも逃げ延びなよ。でないとリコッタ伯爵から追手がかかるかもしれないわよ」


 そう告げると少し離れた地面に向かって銀貨をまき散らして投げた。

「武器は無しだ! さっさと失せろ」

 銀貨に飛びつく男たちに向かってルイスが怒鳴る。

 パブロは男たちの武器の中から手斧を掴み上げると、集めた刀やダガーの刃を順番に叩き折っている。

 男たちは拾った銀貨の数を数え終わると脳震盪を起こした仲間を担いで森の外へと去っていった。


 私たちは無事にロマーノ領に入ると昼過ぎにはパルメザンの商会事務所に帰り着いた。

 金貨三十三枚と半。事務所の金庫に片付ける。

 事務所には先に帰ったマルゲリータが居る。クルクワ男爵家投資分の五十一枚の株式証券を渡すとコルデー氏の差し出した証文にサインをする。

 証券を担保にライトスミス商会から金貨五十一枚を借りた事になっている。

まあ、世に言う名義貸しって奴だ。あの組合の実際の大株主はライトスミス商会と言う訳だ。


 来年の決算期にこの株券がどういう扱いになるか楽しみだ。

 持ち主がクルクワ男爵家になるのかライトスミス商会になるのか、あるいはパルミジャーノ紡績組合の所有になっているのか。

 とにかくエドの画策通り株式の過半数は私たちの手に有るのだから。

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