第77話 火口箱(1)
【1】
「それで何かわかった事は?」
「ハッ。奴らの仲間は五人、皆ほぼ同い年のようでありますがアジト以外での交流は控えておるようですな。貧民街で代書屋の真似事のような事をして日銭を稼いでいるようですな」
「なかなかシッポは掴ませんという事か」
「ハッ。出来ればここは泳がせてうまく我々の手駒にするのが良いかと」
エポワス伯爵の意に沿ってこのジュラの街の州都騎士団を握る為の良い手駒になるかも知れない。
上手くこの組織を使えれば他領での活動の一助になるかも知れない。
今この領地は、いや北部中央一体の諸州は火種用の着火剤を満載した火口箱だ。
ほんの些細な火種で引火して燃え上がる。
そしてその火種をコントロールして燃え上がらせるのは我らエポワス伯爵指揮下の騎士でなければならない。
ジョン王子殿下を国王に戴いて統帥権を持たせ、騎士団をエポワス伯爵麾下で新たな陸軍として再編させるために。
「首尾はどうだ? 上手く運べそうか?」
そう言ってマルヌ州都騎士団長は執務室から下の州庁舎前広場を見下ろす。
「日時やタイミングは指示しております。州兵たちには無用な争乱は起こさぬよう、市民の反発を起こさぬようにという名目で指示があるまで待機を命じております。あとは本人が怖気づかなければどうにかなるでしょう」
「なら問題なかろう。モン・ドール家のバカどもは出払っておるから強権を発動できるものはおらん。騒々しくなれば俺も出るから待機していろ」
そう言っているうちに薄汚れた襤褸をまとった若者がゆっくりと広場に向かう階段を上がってくる。
ノロノロと広場の中央に向かうと辺り一帯を見回した。
州庁舎の入口には見張りの衛兵二人が所在無げに立っている。広場にも警備の州兵が数人で見張りについていた。
彼らに特に緊張感は見られなかったがそれでも怯えた様子で若者は彼らを見回す。
そして意を決したように広場の中央に膝をつくと懐から一枚の巻紙を取り出した。
「やっと決心したようですな。あれだけの事をしておいて存外気概がない」
「そう言ってやるな。彼奴の心を折ったのはお前だろう。散々殴りつけられて、それでも逃げずにやってきた気概は褒めてやれ。彼奴はこれで首を刎ねられる覚悟で来ておると思えば大したものではないか」
「左様でございましたな。あとは折角の文章をしっかり読んでくれるかだけですな」
「閣下、こいつは無い知恵を絞って推敲したあの文章に思い入れがあるようでしてな。しかし大半が清貧派の戯言で認められそうにないことばかりなのに。彼奴は認められると思っておるのでしょうか?」
「大半が通ると思っておるのではないか? 俺達が推敲したから余計にそう考えておるだろう。蹴られた後はその怒りがモン・ドール侯爵家と教導騎士団に向かうように誘導する必要があるでしょうな」
「まあそういう事だ。できれば同じ草案を他州でもぶち上げてもらえれば我らとしては願ったりだがな」
「そこは紙を渡しておりますから。筆写して仲間にも回しているでしょう。まあ張り紙にも使うでしょうが」
「なら、しばらくは首尾を見ておこうか」
そう言ってマルヌ団長が見下ろす広場では、何があるのか興味を惹かれた群衆が集まり始めていた。
【2】
その日の朝ジュラの街の州庁舎前の広場は、役所に向かう役人や陳情に行く庶民たちで早くから賑わっていた。
役人相手に朝飯を売る露天も何件か軒を並べている。
この広場に来るものは皆そこそこの地位や生活に余裕のある者ばかりだ。
賑やかに通行している彼らの動きがピタリと止まり広場の階段に釘付けになった。
その広場に不釣り合いな襤褸をまとった貧民らしき若者がヨロヨロと階段を這い登って来たのだ。
役人たちは警備に当たる州兵を一瞥してこれといって動きが無いのを確認し自ら口を出す事を止める。
襤褸をまとった若者はヨロヨロと広場の中央まで来ると州庁舎を正面に見据えて膝をついた。
そして両手を合わせて何かをブツブツと唱えている。
「聖女ジャンヌ様、俺に勇気を…。民を救う勇気をお与えください…」
広場に居る者たちは次々と遠巻きにして若者のまわりに集まり始めている。庁舎の中からも喧騒に気づいて出てくる者もいる。
警備の州兵や入り口の衛兵に何か聞く者もいる。
その内に若者は意を決したように頷くと懐から巻紙を取り出した。
そして朗々とした声で紙を読み上げ始めた。
「我らがペルラン州の州都ジュラの偉大なる領主であられるモン・ドール侯爵様にお願い申し上げまする」
若者は州都騎士団よりモン・ドール侯爵家の者は今領内にいない事は教えられていた。
だからこそ州騎士団に強権を発動される事は無いと言われている。だから今日この時間だと言われたのだ。
「我々は州都ジュラの安寧と繁栄を司る侯爵家と聖教会に五つの嘆願を行い申し上げる」
そして以前北部各州で提出された七条の要求書を更にまとめた物を読み上げて行った。
始めは聖教会に対する苦言
贖罪符の喜捨の使用用途の開示と市民への還元。そして不正を行う司祭たちの解任要求の正当化を求める事。
二つ目は王法や聖典に準拠しない聖教会ならびにそれに類する法令の見直しと廃止。
これは聖教会に託けて両方の廃止を匂わせている。
三つ目がそれに依る不当な拘束や逮捕及び刑罰を廃止し裁判を受ける権利を認める事。
四つ目は一般の農民や獣人属への差別を撤廃し市民全てに平等な権利を与える事。
最期に市民への強制的な労役である賦役義務の廃止と賦役免除の為の高額な税の徴収の撤廃。
始めに喜捨の還元と言う耳触りの良い言葉で群衆の耳目を集める。
二番目と三番目までは聖教会を標的にする言い回しで教導派と教導騎士団を批判しながら、それに追随する領地法や領主の刑罰の廃止を含ませている。
そして清貧派が最も望む獣人属の差別撤廃と開放要求でその立ち位置を明かす。
最期に市民の賛同を一番に得られる賦役義務と減税の要求である。
草案を作ったのは彼らだった。
都市部の市民に関係が薄い狩猟権や漁業権を省き、他の要求も都市の市民に合うように頭をひねった。
しかし公表する順序や内容の目くらましなどは想像する事も出来なかった。
これは騎士団の武官が直してくれたからだ。
多分彼らが作った草案のままならば誰も聞かなかっただろう。
やはり命を懸けて正解だった。
州都騎士団の極秘の協力が得られたのだから。最後まで読み上げる事が出来たのだから。
階段の向こうから甲冑の音が響いて来た。
誰かが通報したのだろう。教導派騎士団が州庁舎前の広場に急行してきたようだ。
多分教導騎士団に連行されて首を刎ねられるのだろう。
だがこれだけの聴衆のそれも役人や上級市民の耳に入ったのだから協力してくれる者もいるだろう。
だから…
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