第76話 ペルラン州 州都騎士団長(2)

【3】

 早朝、朝日が昇り始めて間もなくの頃州都騎士団のマルヌ騎士団長は馬を進めていた。

 二人の腹心の武官を連れて騎士団本部は向かっているのである。

 早暁のこの時間帯には通りにも人は殆んどいない。


 その通りの真ん中で道を塞いで這いつくばる者が居た。

 馬が驚いて嘶くと軍馬は人を踏まぬように訓練をされている為その場でたたらを踏んで止まった。

「なに奴だ! 道を塞ぐのは」

「この虫けらが州都騎士団長の通行を妨げるとは、ただで置かんぞ!」

 二人の武官が吠える。


「待ってくれ! お願いがある。気に入らなければ首を刎ねても構わねえ。話だけでも聞いてくれ」

 道を塞ぐぼろ雑巾のような者が平伏したまま声を発した。


 騎士団長は猛り立つ武官二人を手で制すると口を開いた。

「おい! ゴミ、なんの為に俺が貴様と口を聞かねばならん。立場を判っておるのか? 一つ申しておくぞ、お前が貴族であろうが王侯であろうが道端で襤褸をまとって平伏しておる限りは切捨てたところで罪にはならんのだぞ。貴賓の通行を妨げたのだから、それを承知の上の事なのだろうな」


「ああ、首を刎ねられる覚悟は出来ている。なら死ぬ前に話くらい聞いて貰えるよう頼んでも創造主はお許しになるんじゃねえか」

「貴様!」

「望み通りその首刎ねてやる」


「不遜な物言い、捨て置く訳には行かんな。今すぐにここで首を刎ねろ…と申したいところだがな」

「それじゃあ…」

「勘違いするな。早暁から公道を、それも騎士団に続くこの道を血で汚すわけにもゆかん。望み通り首を刎ねるにしても王都騎士団の不浄場でだ」

 騎士団長は襤褸を一瞥すると武官を顎でしゃくる。


「連行する。立たせて腰縄を付けろ」

 二人の武官は襤褸を立ち上がらせると痩せて薄汚れた若い男だった。

 男の腰に縄を括りつけると武官二人はその端を持って馬に乗った。


「行くぞ」

 団長がそう言って速足トロットで馬を駆けさせる。その後ろに武官二人の馬が続く。

 襤褸を纏った男は腰縄で引かれ、その後ろを駆けて行く。

 多分倒れればそのまま馬に引き摺られることになるのだろう。

 襤褸を纏った若者は必至で馬の後ろをついて走って行った。


【4】

 州都騎士団の駐屯地に辿り着いた若者はゼーゼーと肩で息をしていたが、そんな事はお構いなしに武官に剣の鞘で小突かれる。

「さっさと歩け!」

 武官や団長が下馬した馬を見習い兵が厩舎へ連れて行く。

 若者は腰縄に引かれたまま武官の後をついて行った。


「閣下、こ奴如何致しましょう」

「ああ、六番の尋問室に放り込んでおけ。俺も直ぐに行く」

「みっ水を…」

「何を勝手に口を開いておるか!」

 若者の横面に剣の鞘が叩きつけられた。頬が切れて口の中に血の味が広がる。


「閣下、宜しいのですか? 六番で?」

「ああ、そこに入れて立たせて置け」

 そう言って騎士団長は執務室に向かって歩き去った。


 若者は状況が呑み込めずオロオロしている。話を聞いて貰えるか首を刎ねられるかの二択しか考えていなかったので想定外の状況に頭がパニックになっている。

「なあ、これから…ヒッ」

 そこ迄言いかけて振り上げられて鞘を見て顔を覆って悲鳴を上げる。


 武官は若者が口を噤んだのを見て剣を降ろして腰縄を挽いてレンガ建ての建物の中に入って行く。

 二階に引っ張って来られた若者は第六尋問室と書かれた部屋に連れられて入った。


 もっと陰鬱な所かと思ったが割と明るく、テーブルと割と立派な椅子も有った。

「立ってろ!」

 部屋に入るなりそう言われて若者は部屋の隅に直立で立たされた。


 暫くすると奥の扉が開き騎士団長が現れた。

「コーヒーを持って来させろ。最近はこの味にハマってな。朝はこれに限る」

 そう言うと朝の乗馬時の服装とは違う軍装でテーブルの前の椅子に腰を掛ける。


「で、貴様何が目的だ」

 騎士団長が若者を見上げて問いかけた。

 若者は顔を輝かせて口を開く。


「あんたに聞いて貰いたいことが…グッ」

 若者の下腹部に剣の鞘が叩き込まれた。

 若者は苦痛で顔を歪めながら殴られた下腹部を押さえて床に膝をついた。

「床を汚すなよ。汚せば即たたき出して廊下で首を刎ねるぞ」

 団長は淡々とした物言いでそう告げる。


 若者は込み上げる吐き気を呑み込んで顔をあげた。

「貴様、ものの言い方に気を付けろ! 貴様の様な貧民が簡単に口を聞いて良いお方では無いのだぞ」

「でも…口の利き方を知らねえ」

「仕方ないな。先ず俺の事は閣下と呼べ。余計な事は喋らず聞かれた事だけを簡単に答えろ。返事はハイかイエスだ」


「…ハイ」

「宜しい。それから床も部屋の物も汚すな」

「…ハイ」


「ここはな、貴賓専用の尋問室で全ての尋問室の中でも遮音性が高い。部屋の外には先ず声の一つも通らんだろう」

「返事は!」

「アッ、ハイ」


「良し、尋問を始めようか」

「ハイ」

 若者がそう言って立ち上がり向かいの椅子に座ろうとする。


「グッ」

 武官がそれを蹴り飛ばす。

「誰が椅子に座れと言った? 言っただろう、ここは貴賓専用の尋問室だと。床に座っておれ! ここなら悲鳴があがろうとも泣き叫ぼうとも声は外に漏れん。それ以外に貴様のような者を入れる理由は無いのだからな」


【5】

 そこから若者の尋問が始まった。

「さあそれで目的はなんだ?」


「ああ、あん…閣下はモン・ドール侯爵に恨みはないか?」

 また武官の剣の鞘が若者の横面を張り倒す。今度はその勢いで床に叩き付けられる程に激しかった。

「貴様、質問しているのは俺だ。さっきも言っただろう。聞かれた事に簡潔に答えろと。貴様理解力が無いのかな?」

「いえ…ハイ」


「そうだよ。よく出来た。褒めてやろう。それじゃあ目的を言え」

「俺たちは州庁舎前で声明文を読み上げたいその許しが欲しい」

「それは貴様が何を宣言するかによるな。返答を許してやるから声明の目的を述べてみろ」


「おっ俺達は、農村開放要求書をジュラの街でも適応できないかと考えてその要求書を読み上げることにした」

「ほう、そのなりで字が読めるというのか? 貧民の分際で。あの要求書を作った組織の者なのか?」

「…そっ、それは言えねえ」

「貴様!」

 若者の返答にまた鞘を振りかざした武官を団長が押し止める。


「良い、それ以上は聞かんでおいてやる。草案か何かがあるのなら見せてみろ」

 言えないという時点でその一員であると吐いているようなものだ。

 近衛騎士団でも掴んでいない組織がここ二年ほどの間に北部で活動しているのは知っていたがその末端のようだ。

 紐をつけておくのに持って来いじゃないか。


「こっこれだ」

 若者が懐から紙の束を取り出した。

 以前あちこちの州で張り出されて張り紙に色々と書き込みや修正がなされて変更されている。


「読みにくい汚い字だな。貴様らが書き込んだのか?」

「俺と仲間で色々と相談して文章を直した」

 ”ジュラの街の開放要求書”そう書かれたタイトルの声明文は、要求書の体裁は整っている。

 存外にバカでは無いようで一応ジュラの街に合った内容に直してある。


「下手くそな文章だ。元にした農村開放要求書の文章が泣くぞ。学の無い若造が書きなぐったような文章だ…。読んでみろ。お前はどう見る」

 団長はその草案を隣の武官に渡す。

「元々あった折角の美文調の韻を踏んだ文章が台無しでありますな」

「農村開放要求書をしたためた者はかなりの学識が有ったものだという事が解りますな。この改定された無残な文章と比べると見る影もない…」


「…。俺たちはタダの農民上がりだから…」

「貴様の言う通り声明を読み上げる時間を与えてやろう。ただこの様な拙い文章では誰の心にも響かんぞ。おい、この文章を校正してやれ。しっかりと元の体裁を残してな」

「お待ちください閣下! 自分に文才など無く…」

「初級三学は王立学校の基本であろう。不細工な真似をすればお前は二週間特別行軍訓練だからな。覚悟して推敲しろ」

 そう言って団長は部屋を去って行った。


「あの…いったい何が」

「貴様の言うべきことは…まあ良い。お前の希望が通ったという事だ」

「それは…」

「言われただろう! 貴様の吐いていい言葉はハイとイエスだけだ! 後は逆らわずに黙って言う通りにしろ。そうで無ければこの話は無しだ。わかったら返事をしろ」

「ハイ!」

 若者たちと州都騎士団が揃って動き始めた。

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