第135話 影

【1】

「お母様、私決めました。今日からカマンベール男爵領の御用商人としてライトスミス商会を認めて下さいませ男爵様。精一杯お母様の故郷にお役に立つよう努力いたします」

 私は決意を込めて、お母様の目を見据えて言った。


「いやそこまで気負わずともすでにそのつもりなのだが。元々そのつもりでお願いしたのだから」

「そうね。そのつもりが無いと叔父様も明日の取引市なんて開きませんわよね」

 私の怒りは男爵様とお母様の肩透かしの言葉であっけなく打ち砕かれた。

 まあそれもそうだろう。

 私もそのつもりで船まで仕立てたんだしね。


「それでオーブラック商会は良くこの領に来るのですか?」

「毎年秋の収穫時期に来て領内の産物を買って行くだけですね」

 エンキーさんの話では、毎年収穫時期にやってきて領内の余剰品を買って行くだけの商人だそうだ。

 どうも毛織物関係の商会らしく、羊毛に関してはひつこく買い上げて行くと言う事だ。

 そもそもお母様が居た頃までは別の商人が王都から買い付けにやってきていたのだが、先王の死去後の政変でその商会は王都を追われたらしく、その後数年はこれと言った商会が来ない為旅の商人や隣領の商店などに売っていたそうだが、十年ほど前にオーブラック商会が現れて取引が始まったようだ。

 少量でも余剰の加工品をのまとめて現金で購入して貰える事から、現金収入の乏しかったカマンベール男爵家との付き合いが始まったそうだ。

 その頃から羊毛以外は買い渋られて安い値段で買い叩かれていた様だ。羊毛にしても市価よりは大分低かったが他領に売りに行く手間と金額を考えるとあまり変わらないのでその値段で取引していたと言う。

 それを聞いてお母様はとても憤っていたが商売けの無い貴族はその様なものだ。


「しかし、昨年になって更に羊毛を買い叩いてきたとはどういうことなのでしょうかね?」

「何でも毛織物の価格が下がったとか言っておったな。リネンの価格が下がってその影響で毛織物も下がったのだそうだ。毛織物の代わりに高級品のリネンを買う人が増えたとか言っておったが」

「そんな馬鹿な事は有りませんよ。リネンと毛織物では使う目的も着る時期も違います。いくら安くても冬にリネンの夏服を着る愚か者は居ませんよね」

「おお、そう言われればその通りで御座いますなセイラお嬢様」

「ウム、あの時はなるほどと思ったがそう言われれば変じゃ」

 この家の人たちは素朴過ぎる。


「これから羊毛は全て領内で毛織物にしますから。毛織物の販路は私たちにお任せください。それに…」

 領内の産物は全てライトスミス商会が引き受けて販売する。

 その計画の概略を説明した。

 特にセミハードの白カビチーズは絶品だと思う。これはサロン・ド・ヨアンナで提供できるだろう。ソフトチーズや羊肉のベーコンやハムもセイラカフェで提供できるしクオーネの街でも売れるだろう。

 セミハードでこの味なら熟成させたハードチーズも期待が持てる。これは領内で研究と熟成を進めて貰おう。


 そして本命は蒸留酒だ。

 今回持ち込んだ空き樽に蒸留酒を詰めこんでワイン蔵に寝かしてもらえる許可は得た。残りの蒸留酒も買い込んでゴッダードで色々と試したいことが有る。

 ビールの醸造もホップを抜いて蒸留用に別仕込みにするとか…。

 この辺りの山裾の湿地が多い地域なら泥炭も取れるかもしれない。

 五年後の成人に向けて力が入る。

 成人したら樽の酒を飲み比べてラム肉でジンギスカンパーティーだ!


 その夜はライトスミス商会関係者やカマンベール男爵家の女性陣総出で明日の為の焼き菓子やパンを焼いた。

 今回はチーズやベーコンを刻んで入れたスコーンやデニッシュをメニューに加えみんなで作った。


【2】

 翌日は取引市の会場には領内の各村の代表が集結していた。

 広場の周りには天幕を張って、持ち込みの商品が並べられている。やってきた人々はそれを見ながら購入の相談をしている。

 私は広場の真ん中に設置された大テーブルに陣取り集まった首長たちを前に買取の商談をしている。


「その値段で引き取ってもらえるのですな。それならば是非うちの村の羊毛をお願いします」

「その代わり、羊毛の等級分けを致しますよ。ただ今回見せていただいた羊毛と同等以上の品質ならこれ以上の価格をご提示させて頂けるでしょう」

「わが村も同様です。オーブラック商会のように重さでまとめ買いされるのは腹立たしいですからな」

「しかし、こういう取引も有るのですな。買取と言うのは商人が提示した額で勝手に買い上げて行くものだと思っておりました」

 それは素朴過ぎるだろう。これだけの量の羊毛やら加工品を好きに買い取らせてよく不信を持たなかったなあ。


 私の疑問に村長の一人が言う。

「一昨年まではそれほどの量でもありませんでしたから。昨年あたりから羊も増えて刈り取る羊毛の量が一気に増えたのですよ。そうしたらオーブラック商会が相場価格が下がったと言って買取値を下げてきたもので」

「今年はさらに羊が増えたので食肉も加工して売れるほどに余裕が出ましてね。ライトスミス商会様のお陰で大助かりです」

「大麦も収穫が増えたので昔聖教会が使っていた蒸留器を領主様が譲って貰ってくれたので、去年から蒸留酒作りを始めたのですよ」


「それでは羊毛の量も去年より今年の方が多いのですか?」

「そうですな。大分増えておりますよ。最近は帳簿を付けられる若い者が増えましたのでな」

「こんな田舎の領地ですが、この辺りでは一番初めに聖教会教室と工房が出来たのですよ。お嬢さんはご存じないかもしれんが、そこで読み書きや算術、その上帳簿付け迄教えて貰えるんじゃ」

「もう四年近く前になるかなあ…。御領主様が設置を決めて領地中の十二歳未満の者は必ず通うようにお触れを出してな。人手を取られるので不満も出たが、工房で給金も出るし麦粥も食えるのでな。お陰でこうして収穫に見合った売り買いも出来る者が育ったと言う事じゃ」

「まさに、聖女様に感謝じゃな」

「ええ、ジャンヌ様は私も存じ上げていますが本当に素晴らしいお方ですわ」

 この先聖女派閥に組み込まれるであろう私としては、少しでもジャンヌの評判を高めて味方を増やしておく事に吝かでは無い。

 周辺の人間からの評価を聞く限り…まあ裏通り組の三人とレスター州の聖教会関係者だけど…生真面目で優しく好感の持てる人柄の様だし。

 少し自己犠牲が過ぎるきらいが有り危なっかしいところも有るのだけれど…。


「でもこの周辺で羊毛の需要はそんなに高いのですか?」

「どうだろう? どの領でも自領で賄える分の羊毛は自領で作っておるでなあ? そんなに羊毛を買い込んでもどの程度売れるのかわしらには解らんが」

「セイラお嬢様。そう言えばクオーネでの安値の毛織物が出回っております。この度の事が有るので少し調べておいたのですが、粗悪な織りの毛織物で今年に入って急に増えだしたそうです」

「粗悪なとはどういう意味?」

「強度が弱いようで。要するに薄くて破れやすいのだそうです」

「どう言う事かしら? 何故そんな織物が?」

「どうも糸が細いようなのです。横糸と縦糸が細さも強度も同じで糸で編まれた織物の様です」


「おかしな話ですなあ~。なんでそんな織物を織ったのでしょう。普通に織物をする者なら分かりそうな事なのに」

「そうだ」

「織物などしたことの無い者の所業か? しかしそんな物をなぜ大量に作って売ったのかのう」

 村長たちが言う通り織物を良く解っていない素人が手を出した事のようだが、一体誰がどんな意図で動いているのか非常に気にかかる事ではあった。

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