セイラ 12歳 ハウザー王国
第41話 新開発
【1】
聖教会に行くと何故か新任のアグニア聖導女がイネス修道女とアニエス修道女見習いを連れて挨拶に来た。
「はじめてお目にかかります。この度新任の聖導女として着任いたしましたアグニアと申します。お噂はドミニク司祭様より聞き及んでおります。こちらのイネスとアニエス共々宜しくお願い致します。後ほどアンドレ聖導師もご挨拶に伺います。本来なれば着任にあたりご挨拶に出向かねばならなかったのですが、なにぶん聖年式を前にしてこの様な有様でしたのでご不快とは思いますがご容赦願います。来週には落ち着きますのでその折は揃ってご挨拶に伺います。ぜひライトスミス様と奥方様にもお伝え願います」
シスタードミニクは私の事をなんと伝えたのだろう。
詳細を聞くのが恐ろしい。
私は恐縮しながら尋ねた。
「あの、本当に今日は大した用では御座いません。聖教会では
アグニア聖導女は不思議そうに首をかしげながら
「そうですねえ。宝玉や貴金属の珠なら修理したり致しますが、普通の木の珠ならばまとめて御祈祷を行った後に焼き捨てておりますが」
「出来ればその木の珠を譲っていただけないでしょうか。子供たちの使うアバカスの珠にすれば削る手間が無くなるので安価に作れますので」
アグニア聖導女は顔をほころばせて言った。
「まあ。それならば買うなどと申されずに、是非ともお持ち帰りください。廃棄の予定でした石の珠も是非お持ち帰りください。良いものが出来ましたなら聖教会教室でも買い取らせていただきます」
「有り難うございます。買い上げなどと申されず、ご喜捨いたします」
後ろでシスターイネスとシスターアニエスが頷きあいながら囁くのが聞こえる。
「シスタードミニクにお聞きした通り聖女様のようなお方でわ」
「ええ、ジャンヌ様が聖教会の聖女様ならセイラ様は市井の聖女様だと仰っていらしたのが良く解りますわ」
シスタードミニクはどれだけ私を持ち上げているのか。
メッキが剥がれない様にあまり聖教会には寄り付きたくない。
アグニア聖導女たちに挨拶をして帰ろうとするとピエールが大きな袋を二つ抱えて入ってきた。
「あ、お嬢」
「ピエール修道士見習い。ご挨拶を忘れておりますよ」
十三歳のアニエス修道女見習いが先輩風を吹かせながらピエールに言う。
だぶだぶの真新しい修道士服に身を包んだピエールが私に向かい、膝をついて頭を下げるとたどたどしく挨拶の口上を述べた。
「セイラお嬢様に置かれてはごきげんうりゅわしっこ…」
噛みまくりのピエールの向上に吹き出しそうになりながらも最後まで居住まいを正して聞く。
「宜しいでしょう。それではピエール修道士見習い。その袋をライトスミス木工所に運ぶお手伝いをなさい。その後セイラお嬢様のご用事が有ればお手伝いをなさい。三の鐘の御祈りの時間までには間に合うように帰って来るのですよ」
アグニア聖導女がピエールに命じる。
三の鐘までなら大分時間がある。
ピエレットさんに会わせるためのアグニア聖導女の計らいだろう。
聖導女様の指示だと袋を抱えるピエールから、護衛代わりに付いてきたグレッグ兄さんが無理やり石の珠の袋をむしり取り三人で木工所に帰る。
ピエールにとっては数日ぶりの新市街なのだとか。
ピエレットさんは三日おきくらいには聖教会に来ている様だがピエールによると彼に用事なのだかアルビドさんに会いに来ているのかどっちか分からないそうだ。
聖教会では一日二食でお昼に食事は出ないので、ピエールに黒パンとハムとチーズをお礼に持たせた。
そして特に意味のない手紙をピエレットさん宛てに書いてピエールに持たせ、字の読めないピエレットさんへ代読するように告げて送り出す。
私は聖教会で貰った珠は旧工房の建物に運んでもらって珠の状態確認と選別を始めた。
さあ新規事業開発の始まりだ。
【2】
チョーク箱を並べてその中に珠を選別しながら放り込んでゆく。
種類ごと、大きさごと、破損の有無でいくつかに分別し終わると箱に個数を記入する。
そして分別した珠を鍛冶屋で作ってもらった金串に通してゆく。
後は用意した木枠に金串を差し込んで上枠をはめ込み金串を固定する。
金串の球を四個と一個により分けると交わらない様に、境目に麻糸を幾重にも通して完成だ。
不細工ではあるが算盤のサンプル品だ。
銅貨・銀貨・金貨の換算で使用するので、この街では普通はアバカスの溝は五本である。
大口の計算では左右に五本で計十本。
計数には小石や銅貨を代用で使うので、これ以上の桁数は大きくなって使い難い。
何よりアバカスはでかいのだ。
しかもこれの桁数では商家で使用するなら圧倒的に桁数が足りない。
加減計算でも最低で五桁。
乗除計算も含めて取り合えず十二桁のサンプルを作ってみたので、お母様のところに持って行ってみる。
「アバカスですか」
お母様の反応は鈍かった。
会計処理を行う者はアバカス派と筆算派に分かれる。
一般の会計ならアバカス派だが、高度計算を行う者ほど手計算が多くなる為筆算派になる。
お母様は高額の会計処理が多く高度な簿記能力を持っているので筆算派だ。
最近は黒板とチョークを使い始めてさらに拍車がかかった。
いつも事務机はチョークの粉まみれで、会計業務に私の考案(?)した割烹着を着ている。
「普通のアバカスよりは小さくて使い勝手は良さそうですが」
私は試しに売り上げ帳の集計をして見せる。
「ほう、両指で弾く事で桁上りが、これは早くて便利ですねえ。桁下がりも指で摘まむだけ一度に出来て早いのは早いですね」
少し興味を示してきた。
「掛け算はどうするのですか」
「それは右と左に数を置いて、更に右側にこのように」
「ああそれで真ん中の数字は掛けると消して行くのですか。なるほどそれで一桁ずつ上がって、…」
興味を持ってくれたようである。
私は黒板に掛け算式を書くとその前に算盤を置き、片落としで計算を始める。
「お母様、片方の数字を見ながら使うと更に早くなります。そして、珠を置かずに数字だけを見ながらでもほら」
「あら、そうやって一度立ててから上だけ指ではじくと簡単にクリアできるのね。わたくし欲しいわ。使うと便利そうだもの」
「父ちゃんに頼んで正式に商品として売ろうかと考えてるんです」
「たぶん売れると思いますよ。お父様にご相談なさい。少なくとも商工会では売れる事は間違いありませんわ」
【3】
「父ちゃん、お母様のお墨付きだよ。これ、いくらぐらいで作れる?」
父ちゃんにも使い方を説明すると興味を示した。
更にお母様の意見を話すと売れると確信したようだ。
「この麻糸の部分も木の板にしたいんだ。でないと直ぐに切れてしまうから」
「珠に削るのが少し面倒だなあ。ろくろを使うが丸く磨くのは手間がかかるんだ」
「売るとしたら幾らくらいかな」
「うーむ、材料に何を使うかによるが、珠を作るのに最低でも銀貨二十枚。その他もろもろ含めて銀貨三十枚。売るなら銀貨五十枚は取りてえなあ」
「そこなんだけれど、丸じゃなくてこんな形にしたいんだ」
そう言って黒板に算盤珠の絵を描く。
「木の棒の真ん中に穴をあけて、ろくろで回しながらノコギリ刃みたいな物で削れば一度に沢山出来るだろう。真ん中に穴も開いてるから削り終えれば切り離して組み込むだけだよ。数が沢山いるから手間もかけられないし」
「ああそれなら量産できるだろう。しかし丸くなくても良いのか?」
「むしろこの方が指にかかり易くて使いやすいと思う」
「なら、珠が銀貨十枚でトータル銀貨二十枚。売値は銀貨三十枚。売れ行きが良くて数がはけるなら金額は下げられる。それでもアバカスなら安けりゃあ布切れ一枚だ。木製のアバカスでも銀貨十枚もしねえぞ」
「それは小石を乗っけるからだろう。玉ならもっと高いはずだよ。それにこいつは珠が無くならないし持ち運びも簡単だ。使える桁もずっと多いし、何よりも何倍も計算が速くなる。硬めの木で丈夫に作って金貨一枚で行こうよ」
「お前何か企んでるのか」
「父ちゃん、この珠は何で作っていると思う」
「そりゃあ木だろう」
「そうなんだけど、聖教会で貰ってきた廃棄予定の
「卵の殻の時みたいに流用するのか。しかしそんな物じゃあ数が作れないぞ」
「うん、
「続けろよ。それでどうする」
「うちで作る新型は裏に聖教会の刻印を貰って教会に卸す。教会に行けば金貨一枚の喜捨でこのアバカスの使い方を誰でも教えてもらえる。そしてその教室に参加すればうちの刻印付きのアバカスを持ち帰る事が出来る。帰ってからも練習できるからね。で、教会への卸値だけど七三ってところかなあ」
「三割ならば採算はとれるなあ」
「うちが七割に決まってるじゃないか父ちゃん」
「おまえ、本当に強欲だなあ。まあ交渉はそこから始めよう。五分五分が落としどころかなあ。それで教会とはどの位話が進んでるんだ?」
「いや、そっちはこれから。三日前に聖教会に行った時に思いついたばかりだし」
「呆れたよ。お前の行動力と思い付きは。だがよう、お前もう聖教会と関わるのはこりごりだとか言ってなかったか」
「それはそれ、これはこれだよ。アバカスは広めたいけどうちの店の利権も手放したくない。それを考えるとこの方法が今出来る解決策だと思うんだ。聖教会の刻印品はうちが独占させてもらう。店売りは無しですべて聖教会に卸す。新型アバカスは聖教会が刻印品以外を認めるか否かはあちらの判断だよ。まあ認める様なことはしないだろうけどね」
この世界には特許という考え方は無い。
その仕組みに近いものを考えた結果がこの方法だ。
聖教会の刻印を貰い聖教会に独占販売させる事でその権利を守らせる。
今、出来うる最善策はこれだろう。
「よしその方法で聖教会と交渉を進めよう。チョークの件も有るし、レイラに商会を立ち上げさせることにするか。当面は嫌でも聖教会とのつなぎ役はお前にやって貰う。覚悟してシッカリ儲けてこい。聖教会教室の卒業生の受け皿をお前が作れ」
「分かったよ。仕方ねえなあ」
「セイラ、バルザック商会のギルド株を買い取ってお前の商会を作ってやろう。お前の立ち上げた事業はそちらに移す。エマとエドはそのまま新商会で今の仕事を引き継いでレイラに指導させよう。まあそのうち仕立て屋を継ぐことになるだろうがシュナイダーのオヤジには十五迄預かることで約束は出来ているしな。ミカエラも聖教会の仕事が軌道に乗ったら引き抜いて経理と聖教会のパイプ役を任せるようにしようかな。グリンダはお前につけるからメイド仕事と併せて事務も手伝わせろ。お前が十二になったなら商会の代表にはお前をつけるからそれまでに使える人間を確保しておけよ」
「グレッグ兄さんは?」
「あいつは駄目だ。これから木工所の若手頭として育てる。技術屋としては見所があるからな」
「ちぇ、父ちゃんのケチンボ」
「ウィキンズ達を捉まえられなかったお前が悪い。教室とマヨネーズ売りのガキどもからしっかりと拾い集めてこい。ウィキンズ達やダドリーにも紐をつけておけよ。特にダドリーは王都の侯爵家の使用人だ。引っ張れる情報は何でも集めてもらえ。俺からも便宜は図ってやる。お前もできうる限り相談に乗ってやれ」
父ちゃんは散々あれこれ指示を出すと高笑いしながら工房に戻っていった。
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