第22話 第七中隊(1)
【1】
「メアリー・エポワス嬢の話では、鹿革のチャップスを第七中隊で独占して見せびらかしたいのではないかと言っていたね」
エヴェレット王女はそう伝えてくれた。
「僕には何かわからないのだけれど、近衛騎士団の上級貴族なら優雅さが必要だそうだよ。これはメアリー嬢の私見なのだろうとは思うのだけれどね」
「いえ、それがどうもそうじゃないようなのですよ。今日、イヴァン達他中隊の近衛団員に意見を聞いてみたのですけれど、第七中隊…少なくともモン・ドール中隊長は本気でそう考えているようですね。鹿革のモカシン靴やチャップスに中隊の紋章の刺繍を入れるとかまで考えているのだとか」
私の話にエヴェレット王女は眉を顰めた。
「なんだ? そんな事をすればそこから水が滲みてしまうではないか。防水性の有る鹿革の意味がないではないか。バカげているよ」
「そうなのですね。私はそういう事はよく知らなかったもので」
エヴェレット王女の発言に恐縮そうにオズマが縮こまる。
「いや、それが普通なのだよ。鹿革など高級皮革だから雨の日に使う様な事も少ないしね。ただ、乗馬スカートなら薄くてしなやかで良い素材だと思う」
「そうですね。横乗り用のスカートならば打って付けだろうけれど、騎士には向かない素材ですよね」
「向こうが向かなかろうが、お金になるならどうだって良いわ。でもこの話はそんな予感がしないのよね」
エマ姉の嗅覚がお金にならない事を嗅ぎ分けている。
「でもエマ姉、モカシン靴もチャップスも騎士の間では評判が良いのよ。やり方によっては近衛騎士団にも王都騎士団にも下せる商品が出来るかも」
「セイラ嬢の言わんとしている事は理解できるよ。しかしそれならば牛革で作るべきだろうね。耐久性と言う面でも防具としての面でも」
「でもオーブラック商会は牛革は扱っていませんし、今のお話で第七中隊に鹿革を卸してくれと言うなら交渉次第ですけれど」
「あいつらがするのは交渉じゃなくて要求よ。ここは間違えないで。一方的に要求を突き付けて吞めと迫るだけ」
「第七中隊に安値で大量に優先的に鹿革を卸せと言う事でしょうね。オズマちゃん苦しいだろうけど絶対吞んではいけないわ。そんな素振りすら見せてはダメ。あなたの言う言葉は ”無理です” と ”出来ません” の二つだけ。検討しますとかも言ってはダメよ」
「私に出来るでしょうか…」
「大丈夫、何かあってもアドルフィーネもリオニーもパウロもついているから。あなたは耳を塞いでその二言だけ繰り返すつもりでいて」
たぶん、モン・ドール中隊長の要求はエマ姉が言ったような簡単な事で終わらない気がする。
モン・ドール侯爵家もエポワス伯爵家も救貧院の廃止などで資金繰りが苦しくなってきているはずなのだ。
更にここに来てオズマがオーブラック商会の店主の娘だと公になったのだから、かなりの圧力を掛けてくるに違いない。
小娘だと侮っている間に対策を考える時間が欲しいのだ。
【2】
オズマ達が近衛騎士団の門をくぐると見習い兵がやって来た。
「おい、こっちだ。さっさと来い」
聖年式を終えたばかりであろう見習い兵が、偉そうに四人に向かって顎をしゃくった。
四人は黙礼して見習い兵の後をついて行く。
第七中隊の兵営の近くを通ると、イヴァン達三人が兵営の周りを行ったり来たりしている。
傍目に見て不審者としか見えないのだが、周りの騎士団員たちは気にしたそぶりも見せない。
四人も気付かぬ振りをして見習い兵と共に兵舎に入って行った。
一階の廊下の奥に執務室が有った。
見習い兵が声を掛けて扉を開くと立派な絨毯が敷かれた広い部屋であった。
窓際のマホガニーの執務机から男が顔を上げ、これもアゴでしゃくって応接用のソファーを示した。
座れと言う合図なのだろう。
頭を下げてオズマがソファーに座り、その隣にパウロも腰を下す。アドルフィーネとリオニーはオズマの後ろに並んで立っている。
男、モン・ドール中隊長は、執務机でゆっくりとお茶を飲むと、カップを置いて立ち上がった。
その間四人は何も言わずソファーで待機している。いらぬ口を挟むと不敬だと怒鳴られて理不尽な要求をされるからだ。
モン・ドール中隊長は執務机の上の紙束を右手に持って、オズマの向かいに立つと応接テーブルの上に紙束を放り出した。
「ペンとインクは有るのか? あればここにサインして帰るが良い」
オズマは理不尽さは予想していたが、あまりの態度に驚いて直ぐに反応できなかった。
「むっ無理です」
「ペンが無いのか? ペンが無ければ貸してやる。商人ならばそれ位用意しておけ」
そう言って執務机のインク壺の乗ったペン立てを取りに行こうとするモン・ドール中隊長に向かってオズマが更に声を発した。
「そうでは御座いません。サインなど出来ません」
「はぁ? お前何を言っているのだ。字が書けぬわけでもあるまい」
「ですから、サインなど致しません。書類の内容すら分からずにその様な事は出来ないと申し上げております」
「そんなものは、サインをして持って帰ってから読めばよい。俺も忙しいのだ。説明に無駄な時間を割くつもりなど無いのだ。下らぬ事で時間を取らせるな!」
「ですから内容の判らぬものにサインは致しません。お忙しいのでしたら日を改めて参じますので今日はこれで失礼いたしますが」
「ふざけるな! この俺がわざわざ時間を割いてやっているのだ。日を改めてなど通るわけが無かろう」
「そう申されても出来ぬものは出来ないのです」
「えーい、煩わしい。その書類を貸せ! 説明してやるからサインをしろ!」
そう言ってオズマが手に取っていた書類を引っ手繰ると。モン・ドール中隊長はそれを机に叩き付けるように置いて、書面を指さしながら言った。
「お前たちは鹿革をこの金額でこの量、毎月十五日に納品すれば良いのだ。簡単であろう。お前たちの無い頭でもそれ位理解できるだろう」
「無理で御座います。この金額では相場の半分でしか御座いません。しかも輸入量も限られておりますし、他との契約も有ります。納品できる量は二月毎でこの量の四分の一が限度です」
その書類を一瞥したパウロが即答する。
「黙れ! お前に申しておらん! オイ、娘、店主の代理だろう。さっさとサインをすれば良いのだ」
「無理です。副店主のパウロの申す通りです」
「いい加減にしろ。栄えある第七中隊に納められるのだ。それだけでも光栄に思うべきだろう。何にも増して近衛騎士団の第七中隊なのだから、納品も最優先にせよ。お前たちにこれだけの栄誉を与えるのだからな」
「それでも無理で御座います。そもそも貿易船は毎月決まって入港するわけでも無ければ、積み荷の量も変動するものです。それこそ事故や私掠船の被害に遭う事も有るのに毎月十五日になど出来る訳など御座いません」
パウロが呆れたような口調で答える。
「それを何とかするのが商人だろうが!」
「ですから、パウロは契約など出来ないと申しておるのです。出来ぬ事をお約束するなど商人として不義理は御座いませんから」
「それならば二月に一度で良いから納品量を倍に増やせ!」
「いえ、そもそも納品出来ないと言っておるのです。ですからサインは致しません」
「オイ小娘! 物の道理がわからぬのなら、分からせてやろうか!」
「中隊長様、相場通りの金額で一度限りの契約なら、来月の半ばでご希望量の四分の一を融通できます。私どももこれ以上の在庫は持ち合わせておりませんから」
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