第76話 アーチボルト・オーヴェルニュ(2)

【4】

 アーチボルトはいつもの様にいつもの席に座っていつもの豚肉のカツレツを挟んだサンドウィッチファナセイラを頬張っていた。

 これに熱いコーヒーを合わせて飲むのが毎日の昼食の定番になってしまっている。


「アーチボルトの旦那。あんたいつもそればかりだな。一度このソーセージをホットケーキで巻いたのを食ってみなよ。これは絶品だぜ」

「よしておくよ。一度試したが、ホットケーキの甘い味とソーセージの塩味が合わさるのはどうも苦手でね」

 ここ一月あまり毎日通っているのですっかり常連になってしまったようだ。


「パルミジャーノ紡績組合の株はそろそろ売り時かな…」

「なんでだよ! 去年も今年も収益は上がっているし去年の秋には増資したばかりじゃないか」

「だからお前は先が読めねえって言うんだ。リコッタ伯爵領では亜麻の作付けを大幅に減らしたそうだぜ」

「それが株価にどう関係があるんだ」

「バカ、亜麻の作付けが減れば紡ぐも織るも糸が足りなくなるだろうが! そうなりゃあ業績は下がる」


 そう言って印刷された紙面に最近売られ始めた鉛筆で熱心に何か書き留めているのは、商人では無く獣人属の若い鍛冶職人と木工職人だ。

 印刷された紙面はファナタウンのF・T・S・Eファナタウンストックエクスチェンジというクラブで発行されている情報紙で毎週発行されている。

 それを獣人属の職人が読んでいる事も、その内容を理解して考察している事も脅威であろう。

 綿花市に集まる商人たちよりもずっと目先が利いて頭も回る。この先のハスラー商人の行く末を考えるとため息が出る。


 そんな事を思いながらコーヒーを味わっているとセイラカフェの扉が開いた。

 アーチボルトが見るともなしにそちらを見ると、店の見習いの小僧が入ってくるのが見えた。

「おーい、ココ! どうした何かようか?」

 聖教会教室とかいう所で見つけたホルヘと言う名前の少年だ。洗礼式を終えて一年というが、目端が利く頭の回転の速い少年だったので雇う事にした。

「あっ、旦那様。お客様が見えられました。ゴーダー子爵家の方だそうで…」


 何やら表で揉めているようだが、しばらくすると獣人属のメイドが入ってきた。

 その途端に店内の店員たちの空気が一変し、メイド達に緊張が走った。

「お初にお目にかかります。私は北部リール州のの側付きをしておりますアドルフィーネと申します。本日はが商会主様にお会いいたしたいと申しまかりこしました。ご合席を許していただけるでしょうか」


 先程からセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢の名前をえらく強調してくる。

 それも当然か、その名前は王妃殿下からも早くから聞かされていた。

 白磁のオークションでも絹織物のオークションでも目玉商品を持ち込んできたアヴァロン商事の実質的な代表者なのだから。


 この街でも顔は売れているのだろう。側付きメイドが入ってきただけで店員たちのこの緊張感はただ者ではないのだろう。

「それは光栄で御座いますな。こちらこそ是非ご一緒させていただきたいと存じますが」

 アーチボルトの答えにアドルフィーネは微笑むと扉に向かって声をかけた。

 扉が開いて小柄な貴族らしき少女が入ってくる。

 それと共に店内のメイドの緊張が和らぐのが分かった。


【5】

 私が通りを横切ってセイラカフェに向かうと、オープンテラスでリバーシを打っていたメイドが声をかけて来る。

「ああセイラ様、いらっしゃいま……ヒー! アドルフィーネお姉様。ご無沙汰いたしております」

 その声にオープンテラスに居たメイドが全て直立で頭を下げた。


「アドルフィーネ、あなた日ごろメイド達にどういう指導をしているの? 少し厳しすぎるんじゃない」

「そんな事は御座いません。そもそも私たちの頃はグリンダメイド長からそれは厳しく…」

「オバサン臭い。そんな言葉が出て来るという事は年を取ったという事よ」

「…グッ、年の事を言うならセイラ様と同じではありませんか」

「そんな事より、ホルヘ君が店に入ったわよ」


「…そうで御座いますね。先に御挨拶を致して参ります」

 アドルフィーネが入店して暫くすると私を呼ぶ声が聞こえた。

 セイラカフェのメイドが扉を開くと、中に向かって大きな声でみんなに告げる。

がお見えになられました!」

 私がセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢である事をことさら強調する。

 何より地元で、古参のメイドも多いからボロが出かねない。


 店内に入ると眼光鋭く店内に君臨するアドルフィーネに委縮しているメイド達が、私にすがるような視線を送ってくる。

 すがられても私だって今のアドルフィーネには逆らえないからね。


「始めましてアーチボルト・オーヴェルニュ様。私、リール州カンボゾーラ子爵の長女セイラと申します」

「こちらこそ、始めまして。まあ始めてだという気は致しませんが。オークションの頃からお会いしたいと思っておりました」

「それでは昼食でもご一緒させて頂けないでしょうか」

「それはそれはこちらこそ。こんな店では無くハバリー亭でもお取り致しましょうか」


 一瞬にして店内のメイドの視線が厳しくなった。

「「「…こんな店!?」」」

「いや、そうでは無く…すまん。店は最高だよ。でも、ほら、人が多いし色々と聞かれたくない事も有るかと…。個室のある店の方が宜しいのでは御座いませんか、セイラ様」

「それならば、二階の特別室をお貸しいたしますわ。お嫌なら出禁にさせて頂いても」

「わかった! わかったから。そんな事されると明日からどこに飯を食いに行けばいいんだ!」

 ほー、メイドとのやり取りを聞く限りではこの男かなり馴染んでいるな。


「セイラ様、それで宜しいか? それからココ、お前は帰って番頭にセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様と懇談をするので遅くなると伝えておきな」

 アーチボルトはそうホルヘに言うと銀貨を一枚ホルヘに向かって指で弾いて投げ渡した。

 見習いを愛称で呼ぶ様な気さくな店主を演じていると言う訳か。オークションの時とはずいぶん印象が違う。

「有難うございます、旦那様」

 ホルヘは一礼して走って店に帰って行った。


「セイラ様たちのお給仕は私がいたします。オーヴェルニュ様お食事が冷めてしまいました。新しいものを持って来させましょう。ご希望ならば別の物でも…」

「いや、お気遣いは無用に願いましょう。それよりもセイラお嬢様お食事を…」


「そうね。なら私はガッツリとソーセージとカツレツを…」

「セイラ様には見栄えの良いゴッダードブレッドオープンサンドを。それからコーヒーは私が淹れます。豆はオーガスタンの物とオークスヒルの物を別々に挽いて持っていらっしゃい。それから食後には焼きたてのスコーンをお持ちして頂戴。ホイップクリームも忘れてはいけませんよ」


「アドルフィーネ…あなたそんなだから後輩に怖がられるのよ」

「何か仰いましたか?」

「いえ、何でもないわ」


 私たちに怪訝そうな目を向けるアーチボルト・オーヴェルニュと共に、私たちはメイドに案内されながら二階の個室に向かった。

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