第75話 アーチボルト・オーヴェルニュ(1)
【1】
不動産取得については調査を継続中だが、偽名で申請しているのだろう動きが掴めない。
市街地の物件はほぼ飽和状態で、不動産の取得は伝手が無ければ難しい。
取得はかなり困難だろうと思われるし、目立った動きが有ればすぐに私の耳に入るはずだ。
目的は推測が付く。表向きの商会事務所とは別に、極秘に調査員を置いて情報収集と裏工作を行うつもりなのだろう。
今迄ゴッダードでそれなりの勢力を誇っていたハスラー商人や東部商人である。伝手が無い訳では無いだろう。
ただゴッダードから教導派勢力が一掃されてから六年が経つ。ハウザー王国との取引が盛んなこの街で、いつまでも教導派の商人が力を持つことはできない。
特に教導派聖教会と癒着の大きかった商人は、商工会から弾き出されている。
ライトスミス商会を通してそう言った商人を調査させたのだが、そちらにも一切接触がないし、目立った動きも無い。
私の思い過ごしかとも思ったが、もし私が同じ立場なら絶対に調査機関用の拠点を作る。
セイラカフェがどれほど有益な調査機関としての役割を担っているかを考えれば明白だ。
物件購入の動きはしばらく調査を勧めさせて、私はオーヴェルニュ商会へ直接乗り込む事にした。
【2】
アーチボルト・オーヴェルニュはかなり疲れていた。
思った以上にこの街は動き難い。
なまじ教導派聖教会の権力をバックに力押しで成果を上げてきた。その成功体験から抜け出せないのだろう。
ここに集まっているハスラー聖公国の商人たちは現状に対する愚痴と過去の経験談ばかりで何一つ役に立つ話は聞き出せない。
不満を口にする割にはその対応も調査も怠って、唯々状況の好転を待つだけの有様で危機感も無い。
安易に”ハウザー王国では綿花の不作が続いている、今年あたりは好転してくるだろう”と言う憶測ともつかない噂を丸のみにして安穏としているのだから。
不作ならばラスカル国内で昨年から出回っている綿製品の説明はどう付ける心算なのだ。
安い綿布が大量に出回っている事をどう説明するのだと問いただせば、品質が悪くて売れなかった綿花を誰かが大量に買ったのだろうと言われた。
奴らは価格だけで判断しているようだが、ゴッダードでも売られているその安物の綿生地はハスラー製の物よりも高品質だ。
現地に居ながらそれすら気づいていないその姿に唖然とする。
何よりも教導派の教義に反すると言って獣人属と一切接触を持っていなかったので、産地であるハウザー王国に対する情報が無さすぎるのだ。
その結果情報ソースとなる伝手も殆んど無い状況で、一から情報収集に当たらなければならなかった。
なんとかオーヴェルニュ商会の看板を掲げた事務所を設置して細々と情報収集を始めた。ハスラー聖公国を表に出さず、繊維関係以外の民生品の輸入を扱う商社として動き始めると思いのほか簡単に情報が集まってくる。
すぐ近所のセイラカフェにそう言った商人たちがいつもたむろしているのだ。
事前に調べてはいたが南部・西部辺りの中央街道交易と流通を担っているのがライトスミス商会。
南部から北西部に抜ける河筋を抑えて西部・北西部を拠点に東部や北部に食い込もうとしているのがアヴァロン商事。
そしてその河筋を北部から逆にさかのぼり北部から東部を抑えようと動いているのが新興のオーブラック商会だ。
この三商会が清貧派として牽制し合いつつ連携して教導派の商会や貴族に食い込みつつある。
そう言った情報が人属の商人だけでなく、ハウザー王国からやってきた獣人属の商人からももたらされるのだ。
この構図は少なくともサンペドロ州を中心とするハウザー王国北部では常識となっている。
当然綿花の作付け状況や収穫量も憶測混じりではあるが情報を教えてくれる。
なによりヴェローニャという新興都市が紡績で潤っておりかなり景気が良いと言う。
それだけの話しでも綿花が不作で無い事、ハウザー王国内で紡績が行われている事は知れる。
さらに綿糸が入って行く先はブリー州でほぼ間違いない事も想像に難くない。
こうしてセイラカフェに座っているだけでもこれだけの情報が入って来るのだ。
東部商人やハスラー商人のたまり場になっているハバリー亭に籠って愚痴を言っているだけでは何も変わらない。
何よりそのハバリー亭も清貧派やハウザー王国の貴族や豪商が出入りしている上、食材や料理レシピや使用人を南部の商会から入れていると聞く。
ハバリー亭の本店がゴッダードなのだからライトスミス商会やロックフォール侯爵家の影響もかなり強い店だと認識している。
そしてそのセイラカフェに思わぬ人物が現れたのだ。
【3】
セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢として私はアドルフィーネを連れてオーヴェルニュ商会事務所の前にゴーダー子爵家で借りた馬車を止めた。
正式名称のダンベール・オーヴァルニュ商会からダンベールの名が外されており、本来の紋章に添えられていたハスラー大公家のウロボロス円弧も外されている。
明らかにハスラー聖公国臭を払拭する狙いなのだろう。
ギルド株の取得は未だなので営業はまだ始まっていないようだが。
アドルフィーネがドアを開く。
「お邪魔致します。商会主様はいらっしゃいませんか」
いきなり入って来た私たちに店員たちが驚いたように注目する。
「あの…まだ商会は準備段階で営業は出来ないのですが」
「お貴族様ですか? 綿花市の始まる頃には許可も出ると思いますのでそれまでお待ちいただけないでしょうか」
教導派の商人相手では威厳を持たせないと侮られるかもしれない。ゴーダー子爵様の顔を潰すような事はしたくない。
ああ、本来の貴族令嬢はこういう場合どんな事を言うのだろう。
「ああ…別に急いでいないのだわ。今日は商会主様に用が有るかしら。サッサと呼んでくるのだわかしら」
「セイラ様、そんな事を仰っているとヨアンナ様やファナ様に殴られますよ。普通になさってください」
「ああ、しくじったかしらなのだわ。今日お邪魔したのは商会主様にご挨拶をと思って参りましたのですわ。こちらにいらっしゃいますか?」
「恐れ入ります。商会主は昼食で席を外しておりまして、暫くは帰らないかと。ゴーダー子爵家にはこれからもお世話になりますので、お急ぎであれば直ぐに呼びに行きますが」
番頭であろうか、年嵩の落ち着いた男が答える。
「それには及びませんわ。御昼食ならば時間を改めて参ります。ちょうどすぐそこにセイラカフェが御座いますから、時間を潰すにはちょうど宜しいので」
「それならばちょうど宜しいかと。つい先ほど昼食のためにセイラカフェに行くと申して出て行きましたので」
「まあ、それならばお茶でもご一緒致しましょう。有難う存じます」
「ああ、お待ちください。それならば馬車は私どもが車寄せの方に入れておきましょう。案内をさせますので少しお待ちください。おーい、ホルヘ!」
年嵩の男は奥に向かって声をかける。
驚いた事に中から出てきたのは小綺麗な格好をした獣人属の少年だった。
「へい、番頭様。お呼びですか?」
「ああ、このお嬢様を御主人様の所に案内しておくれ。たぶんセイラカフェのいつもの席だろう」
「へい、番頭様。さあお嬢様、案内いたします。どうぞこちらに」
ホルヘと呼ばれた少年は私たちの前に立って歩きだした。
まさか獣人属を雇っているとは。ハスラー聖公国の影を出来る限り消したいのだろう。
「あなたはこの街の子なの?」
「へい、父ちゃんと母ちゃんはハウザー王国から来たけれどオイラはこの街で生まれた…です」
「それで何故このお店に雇われたのかしら」
「えっと…商会の旦那様が聖教会教室に見学に来て、オイラとペペ…ホセに新しく出来る商会で働かないかって」
「それで、お給金はちゃんと貰ってるの? 仕事は辛くない?」
「うん、父ちゃんが言うにはセイラカフェと同じくらいは貰ってるって。仕事だってペペと交代でオイラは午後からの仕事だ」
「午前と午後に分かれているの?」
「うん、オイラは午前に、ペペは午後に聖教会教室に行かなくちゃなんねえからな」
聖教会教室にはちゃんと通わせているんだ。
「番頭様がな。毎日習ったところを必ず確認してくれるから、オイラ一番の成績をとれてるんだぜ」
ほう、優遇はされているんだ。どうやら教導派の教義すら表に出さないとは…。
だからと言って宗旨替えをしたわけでもあるまい。
やはり一筋縄では行かない御仁のようだ。
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