二年 春休み
第74話 オーヴェルニュ商会
【1】
やはりゴッダードは良い。
春休みだと言っても北辺のシャピや王都はまだ雪が残って寒い日が続いていたが、ゴッダードはもう暖かな春の日差しに包まえている。
むかし学校ごっこを始めたライトスミス邸の裏の資材置き場は、今はオスカルの遊び場になり近所の子供たちが大勢集まって走り回っている。
その庭の隅に四年前にハウザー王国から持って来て植えたアーモンドの木が満開の花をつけている。
アーモンドは春になると桜にそっくりの花をつけるのだ。
私がお花見がしたくて植えさせたのだけれど、一度も春のこの次期にゴッダードに居たためしが無かった。
今年はゴッダードに帰ってこれたけれど、やはりお花見を楽しむ暇はなさそうだ。
街は綿花市にやって来た商人たちが宿にあぶれて商工会に苦情が溢れている。
父ちゃんはゴッダードの商工会の会頭だ。
そこに苦情を直接持って来る馬鹿者のどれだけ多い事か。
父ちゃんが会頭になったのは四年前。
それ以来綿花市にやって来るハスラー商人や東部商人たちに勝手は許していないのだが、未だに特権意識が抜けない者が多い。
今まで綿花市がゴッダードの経済を支えていたというこれまでの事実と、それまでの卑屈な商工会の姿勢が相まって教導派の商人たちを増長させてしまったようだ。
宿が取れないという様な苦情ならまだ理解できるが、宿泊している宿に獣人属が泊っているだのとか、宿の使用人が獣人属だとか、挙句の果てに毎年自分が泊まっている部屋に別の者が泊っているなどどいう苦情まで入って来ている。
宿泊施設の不足に対してはさすがに放置できないので、市庁舎の職員用宿舎を借り受けて仮の宿にして貰っている。
もちろん自炊宿で、宿舎を提供するだけでそれ以外のサービスは無い。
ベッド付きの立派な部屋で寝泊まりできるだけでもありがたいと思って貰わなければ。
迂闊にセイラカフェの獣人属メイドを食事係に付ければ、どんな理不尽な事をされるか想像に難くない。
当然獣人属絡みの苦情はすべて、全て却下している。
私も綿花市の人手不足対応で、商工会に駆り出されてここ数日は家には寝に帰るだけという日々を重ねている。
そして処理している綿花市の参加者名簿に見知った名前を見つけた。
ついこの間王都の白磁のオークションで目にしたあのハスラー商人だ。
”アーチボルト・オーヴェルニュ”
たしかダンベール・オーヴェルニュ商会の代表とか言ったか?
気付いて良かった。迂闊にセイラ・ライトスミスの顔で応対すれば後々拙い事になるところだった。
この先も王都で度々顔を合わせる事になるのだろから、こちらから先制攻撃を仕掛けてみようか。
【2】
宿屋はゴッダードでも老舗の一流宿だった。
昔から綿花市でハスラー商人が定宿として使っている店で、店主も商工会の役員を務めている人物だ。
「おや、セイラ様。お久しぶりで御座いますな」
「ご主人もご息災で何よりです。長らく王都に居りましたものの、父に手が足りないと呼びつけられまして。どうも大変なようですね」
「まあ、綿花市の頃は毎年そうですが今年は特に昨年にも増して宿が取れない様で、ハスラー商人や東部商人が姦しいですな。」
「父もいつまでもハスラー商人や東部商人の無法が通ると思われては困ると申しておりました。それでも目端の聞くお方は早くからゴッダード入りしておられると聞いておりますよ」
それと無く例のハスラー商人について探りを入れてみた。
「ええ、ハスラー聖公国でも有名な繊維卸の商店主様が半月以上前から入られておりますなあ。それに同行されて別の商店主様もかなりの人をお連れで先入りされました。…ここだけの話、どうも綿花関係のお方では無い様で、かなりの実力者様の様ですぞ」
「初めてのお客と仰いましたが何故そうお思いに?」
「後から来たハスラー商人様方の態度が違う。多分ゴッダードで綿花以外の商機を探りに見えられたのでは…。職業柄この様な話は好ましく御座いませんが、セイラ様には知って頂いた方がゴッダードの為になりますから。ライトスミス商会でシッカリ手綱を握って頂ければ毒も薬に変じるでしょうからな」
「有難うございます。胸にしまっておきます。私の帰省はどうかご内密に。この上ゴッダードに私が返っていると知られれば、父も母も身動きが取れない様な有様になりかねないので」
「ご理解致します。…ああそれから少し気になる事が。一度不動産の取り扱いをする商会を聞かれまして。それも貸事務所では無く不動産物件の」
「それは…、本当に有難うございます。少し調べてみましょう」
【3】
宿の主人から良い情報を貰った。
王妃殿下には商人の派遣を具申しているので、その関係なのだろうが不動産物件とは…。
貸事務所なら商工会がすぐに把握できる上、その動きもかなり明確に把握する事が出来る。
一応商工会で貸事務所の申請も調べてみたが、既にオーヴェルニュ商会の事務所は新市街の一等地に申請され承認も終わっている。
このゴッダードで良くあんな一等地に事務所を借りられたものだ。
内装工事もほぼ終わり、家具も運び込まれている。
ギルド株の取得申請も出されており、こちらも綿花市が始まる頃には取得できて業務を始められるだろうという事だ。
父ちゃんの話ではかなりの額の金が乱れ飛んでいたらしい。
アーチボルト・オーヴェルニュ氏はその事務所開設にかかりきりと思っていたのだが、別口で不動産取得とは?
そう言えば二階建てのオーヴェルニュ商会事務所はかなり広い。
綿花市場からも近く、何よりライトスミス商会とは通りを隔てて直ぐ近くだ。
まあこの通りはライトスミス商会とセイラカフェが有るのでこの街の一等地になったわけで、アーチボルト氏が意図して借りたのか偶々なのかは分からない。
ただ、私がライトスミス商会の事務所に度々出入りする事は憚られる。
セイラカフェでオーヴェルニュ商会事務所の状況を聞いてみた。
もう既に幾人か商会員が入り寝泊まりしているそうだ。ただ、綿花市の関係で来ているハスラー商人連中は見受けられないという。
繊維取引を主とするハスラー商人はほぼ大半がこの綿花市に来ているのに誰も関わっていないのは少々解せない。
どうもハスラー聖公国は絹取引に綿花市に関わった商人を参入させる気が無いように思える。
通商で国力を伸ばしてきたハスラー聖大公もその意図を汲んで動いているアーチボルト・オーヴェルニュも一筋縄では行かないようだ。
極秘裏に何かの動きをしている様だが、ハウザー王国との交易には本腰を入れて対処すると見た。
さすがに傑物として知られるハスラー聖大公だ。動きが速い。
当面はゴーダー子爵邸を拠点に動く事にしよう。
折角ゴッダードに帰って来たのに、実家にも商会の事務所にも顔を出せないというこの状況は少々辛い。
それもこれも全て自分で蒔いた種だと思うと猶更だ。
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