閑話14 ハスラー商人の独白

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 今年も綿花市の開催に会わせてゴッダードの街の宿屋や運送業者は慌ただしく行きかっているが何やら様子が違う。

 以前ここを訪れたのは五年前になるだろうか、聖大公より急にラスカル王国南部でハウザー王国との取引が増えた事の調査だった。

 その時も八年前に訪れた時よりも格段に賑やかになっている町に驚いたものだ。


 あの時はライトスミス木工所と新興のライトスミス商会がハウザー大国と大規模な取引を始めたことを突き止めたが、今回はそれとは別件だ。

 北西部のアヴァロン商事が暗躍しているので、その尻尾を掴み出来れば首根っこを掴みたい。

 聖大公の意向である。


 ところがここに来てあまりの変わりように驚愕した。往来の人の数も五年前の三倍近くに増えている。

 街並みもまるで変り大きな商館が立ち並んでいる、街中に有った工房は郊外に巨大な工作所を作りそちらに移っていた。

 取引に来る商人が増えてどの宿も人手不足の上、部屋の確保が追い付かなくなっているそうなのだ。

 この二年でハウザー王国からの商人や北西部や北部の商会の往来が一気に増えているので、綿花市に人を回せないのだ。


 かつてのゴッダードの綿花市と言えば、州を上げての一大行事であった。

 綿花市で東部やハスラーの商人たちが落とす金や綿花市の時期に合わせて取引される商品契約は、領内の収入の三割以上を担う程大きな比率を占めていた。


 しかしそれは過去の事で、今やライトスミス木工機械工房や下請けのヴァクーラ機工の生産品やライトスミス商会関係の交易品の取引が州全体の収入の半分近くを占めて、二割がセイラカフェやハバリー亭、そしてロックフォール侯爵家の食品事業などのサービス業となっている。

 かつては農業収入が州全体の半分以上を占めていたが、収益は上がっているのにその比率がは二割に満たなくなっている。


 その農業以上にゴッダードの街での綿花市の収益比率は極端に落ちており、領内での重要性が落ちているという事なのだろう。

 一昨年よりも昨年、ハウザー王国から買い付ける綿花の品質は年々低下している。

 不作だと聞いているが、そこそこの品質の綿花も市での価格を不服として売らずに持ち帰る者がいたと聞いたが、不作ならそんなことは有り得ないだろう。


 昨年売らずに帰った業者は、今年はもう来ないのだろう。

 そしてハウザー王国から入荷する綿花は、昨年よりも今年は更に入荷量も減り品質も低下しているはずだ。

 昨年まで綿花市の参加者が定宿にしていた宿屋も今年は殆んど他業種の商人が長期で借りており空きがない。

 先乗りで入っているので部屋は確保できたが、綿花市の期間では取る事は叶わないだろう。


 この宿の客も一昨年までは綿花市に来るハスラー商人ばかりだったが、今年は南部や西部の商人やハウザーの獣人属商人も多く受け入れている。

 教導派の商人の顔色を見ていては宿屋もたち行かないのだ。


 街に出ると北部の商人もチラホラ見かけるのだが、北西部の商人をあまり見かけない。

 不審に思って色々と聞いてみると、北西部の交易は河船を使っているのでファナタウンに宿をとる事が多いと聞かされた。


 ハスラー聖大公から直々に命じられて貿易商人の番頭という肩書で、ゴッダードに極秘商館を設立する手配に来たのだが、聞かされた時は半信半疑だった。

 しかしこの街に着て実感したことは、聞かされている以上に状況が変化しているという事実だった。


 これまでも買い付けに来ていた東部商人やハスラー商人たちは、昨年秋から流通量が大幅に増えたラスカル産綿生地の品質が高い事も有って、今年の綿花の出来に期待している。


 しかしファナタウンを調査してみて判った事は、ハウザー王国産の綿糸は水運でブリー州を素通りして北西部迄運ばれているという事だ。

 国を出る時に聞かされていたのは、新たにゴッダードで行われる絹市場に一足早く介入する為に商会を新設せよという事だった。

 綿花市は今年以降意味をなさなくなるだろうから、その撤収も併せて行えと告げられた。

 そして全ての情報はアヴァロン商事からもたらされたとも言われた。


 しかしこの状況は、そのアヴァロン商事が綿花市の崩壊をもたらしているのではないか!

 どう考えても綿花市場をアヴァロン商事が奪ったので、その穴埋めに絹市場に参加させてやると告げられているとしか考えられない。

 そして今のハスラー聖公国はそれを跳ね返す事は出来ず、その情けに縋るしかないのだ。

 何よりその絹糸を握っているのはアヴァロン商事だけなのだから。


 二十年と少し前にラスカル王国に政変がおこった。

 先々代の国王が崩御し、ハッスル神聖国とハスラー聖公国の後押しで王弟が即位しゴルゴンゾーラ王家からラップランド王家に変わった。

 それ迄ハウザー王国との融和路線を進めていたゴルゴンゾーラ家は北西部に追いやられてしまった。

 ハスラー聖公国は北部や東部の教導派貴族を中心にしたラップランド王家の権力をバックにして市場を牛耳る事が出来た。


 その状況に胡坐をかいていた事が一番大きな原因だろう。

 それともう一点、教導派の教義を信奉している北部勢力がハウザー王国以南の獣人属とのかかわりを一切拒否した結果だ。


 変化を嫌う福音派は百年経っても変わらないと勝手に思い込んできた。

 しかしラスカル王国の南部が清貧派貴族の巣窟であるように、国境を接するハウザー王国の北部貴族も清貧派である事を失念していたのだ。


 ラスカル王国はこれまでのハスラー聖公国産品の輸入国から、輸出国へと急速に変わりつつある。

 その最大の理由は教導派が異民族や異教徒として忌み嫌って来たハウザー王国やサンダーランド帝国と交易だろう。


 ハスラー聖公国は取引が有る東部の諸国を通して南方の交易品を購入し輸出している。しかしその南方の物産はハウザー王国を通しても買えるのだ。

 しかも南に海を持たないハスラー聖公国と違いハウザー王国は南に海を持つ事で大陸対岸や沿岸国との海路での交易も可能なのだ。


 北部のシャピからの西部交易品もポワトー伯爵家とオーブラック商会の背後でアヴァロン商事が牛耳っている。

 ラスカル王国の中央部西辺に位置するアヴァロン州は国内を南に流れる大河と北に流れる大河のその源流付近に位置し、南北の内陸の水運を握っているのだ。


 そう考えるとラスカル王国のマリエル王妃殿下がアヴァロン商事を味方に引き入れたのは正解だろう。

 ハスラー聖公国が頑なに教導派の教義に固執する必要はない。

 聖大公が教導派の教義を信奉するのは勝手であるが、聖公国の商人ギルドはもっと柔軟な考えを持って獣人属受け入れなければ国が続かないだろう。


 今年に入ってマリエル王妃殿下からもたらされる商業チャンスは、悉くアヴァロン商事絡みである。

 そしてそれらが示しているのは、明らかにアヴァロン商事からのメッセージだ。

 高級品の市場はハスラー聖公国にやるから民生品に手を出すなと言う事だろう。


 こうやってアヴァロン商事に首根っこを押さえられて鼻面を引き回されているような状況は気に入らない。

 かと言って綿花市場は完全にハウザー国内で押さえられているだろう。

 これまでハスラー聖公国の紡績機で紡いでいた糸の量を、いくらなんでもハウザー王国が人力だけで紡げるわけが無い。


 当然ラスカル王国産の紡績機が持ち込まれているのは間違いないのだ。

 そして南部ブリー州の主要産業であるライトスミス木工機械工房の主力製品はその紡績機だ。

 アヴァロン商事には北西部の諸州で羊毛の紡織工房を立ち上げている実績がある。

 どうせブリー州で購入した紡績機をハウザー王国北部に運び紡績所を設立して、紡いだ糸を河を使ってアヴァロン州まで運び込んでいるに違いないのだ。


 綿市場にはもう太刀打ちできない。

 しかし絹は違う。

 アヴァロン商事が糸として輸入しているがその輸出国もルートも定かでは無いようだ。

 糸の原料や製法が不明で産出国も不明なら、産出国を特定して直接輸入の交易路を開拓したものが市場を掴める。

 製法を掴めたなら…ハスラー聖公国でも生産出来れば市場を奪う事が可能なのだ。


 ゴッダードのハスラー聖公国秘密商館にはハウザー王国との通商を目指す商会員や調査員を大量に在住させよう。

 この街を拠点に新たにハウザー王国との通商を目指すのだ。

 聖大公は傑物だ。

 理を通して説得すれ理解してもらえるだろう。

 そうで無いとこの先ハスラー聖公国はラスカル王国の…いやアヴァロン商事の後塵を拝し続ける事になるのだから。

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