第40話 的中する不安

【1】

 文官は心肺蘇生でどうにか呼吸は回復した。ここからは私の出番だ。

 麓で管理官の治癒をした時は酸欠が原因だと思っていたが、実際は硫化水素の中毒だったようだ。

 吸引した濃度がわからないがまだ意識が回復していないのはあまり良い状況とは言えない。

 硫化水素は濃度が高いと嗅覚が麻痺して気づかないことが多い。そのうえこの男の精神状態は普通ではなかったので大量に吸引している可能性も高い。


 死にかけた細胞は癒やすことが出来るかもしれないが、死んでしまった細胞は生き返らせることは出来ない。

 それが脳細胞の場合は特に破壊された細胞を他で補う事が難しいのだ。

 最悪の場合は脳死の可能性も考えられる。

 未だ不慣れではあるが頭に手を当てて聖魔法を流して行く。脳の損傷の具合は判らないが血が通い始めている事は判った。

 脳から全身に光の魔力、生の力を流す事しかできない。全身で細胞が回復しているのだろう、擦り傷や打ち身が回復して行くのは判る。


「ウッ…ウアッ…アッ」

 文官の口から言葉にならない呻きが発せられた。

「しっかりしろ。俺のことがわかるか?」

 次席武官が問いかけるが、目を開けた文官の視線は定まらず目は虚ろなままだ。

「もうしばらく治癒を続けます。少しずつ意識も回復してくるでしょう、多分。ただ後遺症が残る可能性が高いですね」

「後遺症?」

 「手足が動かない、言葉がうまく喋れない、最悪のケースでは起き上がることすら出来ない事も考えられます」

「仕方ないですよ。ひとつ間違えれば次席武官様たちも巻き沿いになるところだったのでしょう。自業自得ですよ」

 調査員が忌々しそうに吐き捨てた。


 そうこうする内に文官の目に少しずつだが光が戻り始めた。

 それを目途に私も治療を終える。

 少しでも魔力回復をしておきたいので休憩する事にして、焼いたソーセージと温めたミルクを飲んだ。

 そして焚火にあたりながらうとうとと眠ってしまった。


【2】

 私の転寝うたたねは体に伝わって来る微かな振動で破られた。

 足元に置いているカップのミルクにも波紋が出来ている。

 事故のあった坑道を見ると噴き出してくる空気が明らかに湯気の様に白くなっている。

 フイゴなどの機材の撤収をしていたルークたちが驚いた表情でそちらを見ている。


 何か途轍もなくヤバイ事が起きそうな予感がする。

「ルーク様! 伯父上! 早く逃げて」

 本日二回目の避難勧告である。ルークたちもヤバい事を察したのか全員こちらに向かて駆け出してきた。


 更に振動が激しくなってきた。

「みんな退避だ。荷物は置いて行け。取り敢えず登山道迄走れ!」

 次席武官とその部下の武官が文官を担ぎ上げる。

 騎士団長はオトマールに肩を貸してノルマン副団長は敷物の毛皮をまとめて抱えて走り出した。


 登山道付近に近づいた時、途端に地面が大きく揺れて爆発音が響き渡った。

 事故のあった坑道が轟音を上げで崩れて行く。

 一斉に皆がうずくまった。

 私の頭の上から全身に毛皮が被せられ誰かが圧し掛かって抱き締められた。

 しばらくは…それが数秒なのか数分なのか判らなくなっているが誰も動く事が出来なかった。


「どうやらあれで終わりの様じゃな」

 騎士団長の声が聞こえた。

 私が毛皮の下から顔を出すと皆泥だらけになって坑道の方を見ていた。

 私は機転のきくノルマン副団長が毛皮と自分の身体で保護してくれたので汚れる事さえなかったが他のメンバーは飛礫や土砂で怪我をして血を流している者もいる。


「大丈夫ですか? 皆さん大きな怪我をしている方はいませんか」

「いや、大丈夫なようだ」

 私の言葉に副団長が答えて爆発現場を指差した。


 断崖の一部が抉れて大きな窪みになっている。そしてその周辺は吹き出し続ける蒸気で全てが霞んで見えた。

 この状態は蒸気爆発だろう。

 坑道の入り口だった辺りは吹き飛ばされて崩れた岩盤で埋まっていた。

 私たちが居た焚火の辺りにも大きな飛礫がいくつも降り注いだようだ。焚火は巨大の岩の下敷きになり圧し潰されていた。


「少しでも遅れていれば私たち死んでおりましたなあ」

「ああ、天の加護が有ったようだな」

 ルークがしみじみと言う。

「違いますよ。伯父上の咄嗟の判断が有ったからです。あの時少しでも躊躇していればみんなあの下敷きですもの」

「そうだな。ルーク領主代理の判断のおかげだ」

「俺たちは御領主様のおかげで救われた。荷物を捨てろと言われた時はどうしようかと思ったけれど逃げてよかった」


「ばっ馬鹿者、領民の命を守るのは領主の務めだ。そんな事よりサッサと荷物を回収して下山の準備をするぞ。下山に必要な物だけで良いからな」

「伯父上、その前に食事にしましょう。文官さんを下山させるには担架もいりますから掘り出さなければいけないし。もう坑道も吹き飛んだからこれ以上危険は無いでしょうから応援が来るまで待ちませんか。もうすぐ応援の村人も登って来てくれるから焚火も熾さないと」

 私の言葉で皆がぞろぞろと坑道の周りに散っていった。


【3】

 意識の戻った文官は敷物代わりに置いてある毛皮に半身を起こして呆然と爆発現場を眺めていた。

「わっわらしのイン(金)が…イン(金)が…どほはに」

 両手足にも麻痺が残り言語もあやふやな状態になりながら湯気に覆われた爆発カ所を指をさしながら涙を流している。


 蒸気爆発が発生したと言う事は金鉱が存在する能性もある。契約ではここから産出される鉱物は全てシェブリ伯爵領に運搬する権利と義務がある。

 山と河が荒らされない限り鉱山での産出物には口を挟まない。鉱山以外で領内が潤おう方法は確立されている。

 それを破壊されるくらいなら鉱山なんていらない。その土砂の輸送料でしっかり稼がせて貰うから。


 文官は震える両腕で体を支えながら嗚咽している。

 四肢に麻痺の障害迄負って求め続けた鉱脈だ。こんな迷惑極まりない男だったが、さすがに哀れに思えてきた。

「マイルス次席武官様。この文官様をに事故現場を見せてあげて貰えませんか」

「しかし近寄って大丈夫なのか?」

「風も出てきましたし風下から行けば大丈夫でしょう。風のおかげで湯気も晴れてきていますから」


 文官は次席武官ともう一人の武官に腕と足を抱えられ運ばれて行った。私も付いて行くと調査員も後からついてきた。

「おーい、どこに行くんだ? 危なくないのか?」

「その確認もかねてね。調査員さんも居るから」

 ルークもそれならと言って付いてくる。一緒に団長と副団長も付いて来た。


 七人揃って爆発した坑道の近くまでやって来た。

 坑道は半分以上が吹き飛び崖ごと崩れ落ちていた。そして抉れた崖の淵から四角いサイコロの様な小さな鉱物が塊となって崖から剝き出しになっていた。

 差し込む日の光に照らされて白や銀や黒に輝いてる四角い鉱物をちりばめた岩肌の中に黄金色に輝く物がチラホラと見えている。


「ウォー…イン(金)ら…わらしのイン(金)ら…わらしがみじゅげだー」

「本当に金なのか? 黄金色の入った四角い岩が見えるが金なのか?」

 文官の叫びに次席武官が驚いたように声を上げる。


「この鉱山に至る脇道は閉鎖させよう。誰かが勝手に入らぬ様にな。それがシェブリ伯爵との契約だ。カマンベール子爵家はこれ以上ここには留まらないが調査員と監視員以外の入山も許可しない」

 ルークがそう宣言する。

「良いのですか? ルーク殿、金ですぞ」

 その宣言に驚いたシェブリ伯爵家の武官が念を押す。


「だからなおの事いらぬ勘繰りをされたくないのだ。出来る事なら監視員もそちらの武官お二人で務めていただきたい。山麓の村に滞在するならばここに至る山道は閉鎖させよう」

「わらしは…にょこる。ここにいる。ここをなにゃれにゃい」

 文官がうわ言の様に繰り返す。

 ルークとマイルス次席武官がこれからの対応を相談し始めた横で武官に抱えられながら文官は山に残る事を主張し続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る