第176話 枢機卿

【1】

「伯爵様、娘を連れてまいりました」

 貴賓室と言うだけ有って豪華で美しい部屋だ。

 広いリビングの奥に寝室の扉が有って、開け放たれた扉の向こうの天蓋付きの寝台に誰かが横たわっている。

 その両横にはお付きの修道女たちが立ち働いていた。

 そしてリビングには白い豪華な司祭服を着た老人が一人と、やはり豪華な刺繡をあしらわれたチェニックの上から白い教導派の鷺が刺繍されたシュールコーを羽織っている中年男性が、顔を上げるとこちらを向いた。


「どいつがその娘だ?」

「この若い娘で御座います」

 中年の男はまるで私たちには興味が無いように、無感動に頷くとギボン司祭に向かって首肯した。

「ならばサッサと済ませよ」

 ギボン司祭は一礼すると私に近寄りその腕を採ろうと手を伸ばした。

 私は苛立ってその手を払う。

「貴様! 何をする! ご命令に従え!」

 ライオル伯爵にすら傲慢な態度を取り続けていたこの女がえらく慇懃に接しているこの男は一体誰だ?


「説明すら無く何をしろって言うの? そもそもいったい何の義理が有ってあんた達の命令を聞かなけりゃいけないの?」

「この小娘が!」

 怒りに顔を朱に染めて掴みかかろうとするギボン司祭の手を私は全て払いのけた。もちろん教導騎士は団長が牽制しているので動く事は出来ない。

「力で私をどうにか出来ると思わない事ね。せめて説明くらいしてはどうなの? 無駄な体力を使うよりマシじゃなかしら」


「貴様のすべきことはあそこに臥しておられるお方を癒す事だ」

「嫌よ!」

 私は即座に拒否する。

 その言葉に初老の男と中年の男も驚いたようにこちらを見る。

「何の理由でそんな老人に触れなければならないの。誰とも判らない男を、病歴も症状も判らないのに病がうつったらどうしてくれるの」

 ギボン司祭を含めた三人がこちらを向いた。表情を無くしたままで。

 拒否されることは想定していても、罵倒される事は思ってもいなかったようだ。


「きさっきさっ…貴様。聖女と言われてに乗っているのか? たかだか騎子爵の娘如きが…」

 初老の男が驚愕の表情を浮かべて怒鳴りつけてくる。

 この男たちは私をジャンヌだと思い込んでいる様だ。何も聞かされていないのか、理解する脳が無いのか。

「それが私に何の関係が有ると言うの? 農民や職人でも汚物に触れるのが嫌なのは同じじゃない」

「貴様このお方を誰だと思っている。身なりを見れば貴様がそんな口を利けるお方では無いと分かるだろう」

「知らないわよ! 名乗りもしない者の事を何を分かれと言うの? 身なりで分かるなら司祭服を着せて司教冠ミトラを被せれば豚でも教皇だわ。今でも豚が司教冠ミトラを被っているのかしら? それは豚に失礼かもしれないわね」


 三人は私の煽りまくった暴言に言葉も無く、顔色は青を通り越して白くなっている。

 ただ寝台の老人は何も聞こえていないのか、聞こえていても解らないのか虚ろな表情で修道女に背を摩られながら上体を起こして座っている。

「はっ…背徳者め! 枢機卿様だけでなく教皇猊下まで愚弄するとは」

 初老の司祭服の男が吐き捨てる様に言う。

 そうか寝台に居る老人は枢機卿、初老の男は司祭のギボンが遜っているのだから大司祭だろう。

 状況から考えて寝台の老人はポワトー枢機卿だろう。なら初老の司祭はリール州の筆頭大司祭かな、中年の男は誰か判らないがシュールコーの柄から教導派関係者で間違い無いだろう。


「ふっ、そうか貴様は教皇猊下に恨みが有るのだろう。だがそれはワシらと関係ない。黙って癒せば今の暴言は忘れてやる」

 始めに立ち直ったのは中年の男だった。ただ状況はまだ理解していないようだ。別に許してもらう必要など私にはサラサラ無いのだから。

「別に忘れて貰わなくても結構よ。私たちの条件を吞んでくれたらそちらの素性も詮索しないし治療もするわ」

「ふざけるな! 其方ら立場を弁えろ。我の言に従え」

 ギボン司祭が怒りに震えながらそばに寄って来る。

 私は彼女の耳元で囁く。

「ジャンヌを連れてきて治療させる予定だったんでしょ。あなた、何故私の事を隠しているの? 何か思惑が有るようだけれど場合によっては乗ってあげる」

 ギボン司祭は眉間に皺を寄せてこちらを見る。


 私は振り返ると中年男に向き直り症状を聞いた。

「いったいあの人は何の病気なんなの? 症状を聞かなければ何もできないわ」

「忌々しい。なにが望みだ。ワシらにも慈悲は有る。分相応な望みならきいてやる」

「多くは望まないわ。先ずは私たち三人を終わればすぐに解放してちょうだい。それから二つ目は異端審問を取り下げて欲しいわね。負けるつもりは無いけれどその為にかかる人員も時間もお金も惜しいから」

「分かった。終われば解放する。詳細はギボンに聞くがよい。審問の件は事が終わってから決めてやる。不首尾なら取り下げるつもりは無い」


「解ったわ。それで今は了解しましょう」

「…良いの、セイ…聖女様」

 ルーシーさんが不安そうに聞いてくる。

「ええ、取引の駆け引きは任して下さい」

 私たち三人が解放されるのならそれで交渉成立のつもりだ。別に私の力で癒せるのなら拒否する理由は無い。

 異端審問はおまけだ。やり方さえ間違えなければ勝って見せる。勝てればこれからの清貧派に有利に傾くだろう。


「それでギボン司祭様、説明をよろしく」

 苦虫を嚙み潰したような顔でギボン司祭が私に話始める。

「首の付け根にカルキノスが有る。お前には解らぬであろうが、古代の医学の言葉でカニの様な物と言う意味だ。要するに腫れ物だ。食事も上手く出来ぬので滋養の有る蜂蜜水を飲ませておる。肺も弱って意識も混濁しておる」

 カニの様な腫れ物? 古代の言葉でカニってなんだ? 何か聞いた事が有るような?

 そうだ、キャンサーってカニと言う意味じゃなかったか。

 とういう事は首の付け根に悪性腫瘍!

「無理だ。私は光の属性よ。腫れ物を活発化させても殺す事は出来ないわ」

「別に完治させなくても良い。夏まで、あと十五日延命出来れば良い」


 安請け合いをしてしまった。医学知識など持たない私(俺)の知識でどうにかなるのか。

「魔量を回復する時間をくれない。食事をして鐘一つほど眠らせてちょうだい」

「お前…まだ食うのか。鐘半分半刻だけ休息の時間をやるこの部屋の控室で待機しろ」

「それから風魔法と水魔法と地魔法を使える治癒魔法士を一人づつ。栄養を送る為と呼吸を維持させる為、そして心臓を動かす為に」

 それだけ告げると私たちは三人で控室に籠った。


 考えろ私。

 シチューを口に運びながら考え続ける。何か方法を。

「聖女よ。休まんのか?」

「治療方法を考える為の時間稼ぎよ。奴らに弱みを見せたく無いの」

 癌治療と言っても首の根元の腫瘍って、リンパ節とかに近いのかな。多分あちこちに転移しているのだろう。


 癌の治療ってなんだ? 抗がん剤? 癌細胞を殺す薬が抗がん剤なのか? 少なくともジャンヌの力が有ればそれも可能なんだろうけれど。

 私の力では抵抗力を上げる事は出来ても、癌細胞の増殖も助けてしまう。

 もちろん外科手術など出来る技術など持ち合わせていない。


 外科手術以外で何か…レーザー治療か?!

 一か八かこれでやれないだろうか。

 せめて大きな腫瘍だけでも火魔法で焼き切る。

 これならやれそうだ。試しにソーセージを皿にのせて火魔法で焼いてみる。

 虫眼鏡で太陽光を集めるような感じで、一点に集中して薄く焼いて行くと、ポロポロと炭になったソーセージの表面が焼け落ちて行く。

 これならやれそうだ。

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