第177話 治癒魔法手術

【1】

 ギボン司祭が準備も整い時間になった事を告げに来た。

 私は紹介された三人の修道女を見て指示を出す。

 水魔法使いには蜂蜜水と同じものを術後に患者の胃に送る事を、風魔法使いには治療を始めたら規則的に患者の口に空気を送る事を、地魔法使いには心臓の鼓動と脈拍を見ながら遅くなったら心臓のマッサージをする様に指示を出した。


「それではみなさん。患者の担当部位に触れて少しずつ霊力を流して行ってください。血や体液の流れに沿って患者の身体を巡らせて」

「ああ、聖女様。枢機卿様の身体の様子が感じられます」

 私は彼女たちの霊力の流れをなぞりながら患部を見て行く。

「私の聖属性魔法であなた達も見えています。担当部位の状態をしっかり確認して作業してください」

 もちろん嘘だ。でもアナ聖導女から教わったジャンヌの秘伝を軽々しく教導派の修道女などに教えてやるもんか。


 枢機卿の身体はあちこちに癌の転移が見られた。その中でも大きな首筋と胃の切除をしよう。

「それでは始めます」

 先ず首元の腫瘍を焼いて行く。

 癌細胞の表面から線を引くように何度も続けて焼きつつ、正常な細胞を傷つけない様に慎重に。

 そして焼いた表面の細胞を少しずつ光魔法で修復して行く。


 過度の集中と緊張で汗が流れる。

「誰か! 汗を拭いて!」

 待機していた他の修道女が私の額を湿った布で拭う。

「他の人の汗もお願い!」

 続いて三人の治癒魔法修道女の汗も拭いに行く。

「聖女様、枢機卿様の呼吸が戻ってきました。気管支を圧迫していたカルキノスが無くなって呼吸が楽になったようです」

「水魔法の人は患者の胃に栄養液の補給を!」

 そうして三十分余りで首筋の腫瘍は焼き切る事が出来た。


「いったん休みましょう。誰か代わって患者の脈拍と心拍を見ていてちょうだい」

 私は治癒魔法の手を休めて寝台の横の大きなソファーに座る。

「蜂蜜水を私にもちょうだい。少し休憩したらまた他の治療を始めますから」

 そう言って銀のコップに注がれた蜂蜜水を受け取ると、火魔法で熱を制御して中の温度を下げる。


「聖女様、素晴らしいです」

「わたくし感動いたしました。このような治癒方法が有るなんて」

「見る見るカルキノスが消えて行って」

 三人の治癒系の修道女が感動に震えるように称賛の言葉を紡ぐ。

「貴女たちなら感じたでしょう。未だ胃にも大きなカルキノスが有る事が。これからが正念場よ。胃壁に穴を開けずにあのカルキノスを取り除かなければいけないのだから」

「「「はい」」」

 偽聖女なのにえらく心酔されたものだ。


 十五分ほどの休憩の後、手術を再開する事になった。

 三人の修道女が患者の周りにスタンバイし準備を始めた。

 私も立ち上がり手術を再開しようとした時、私の横に中年のシュールコーの男が私の耳元で一言告げた。

「殺せ」

 私は驚いて振り返る。

「いったい何を」

「ギボンからは話は聞いている。失敗に見せかけて殺せ」

「どう言うつもり? 私は生かせ言われたのよ。失敗して罪を被るつもりは無いわ」

「約束は守ってやる。異端審問の件もな。だから殺せ」


「あなたの言う事は信用できない。危ない橋を渡るのは御免よ」

「たかだか平民の商人の分際でワシと対等に話せると思うな。お前の生殺与奪はワシの手の中に有るのだぞ」

「ふざけないで。そんな話には乗れない」

 私は男の手を振り切って患者のもとに向かった。

 あのシュールコーの男は何者だ? 枢機卿を殺したいのならなぜこんな手の込んだことをした?

 そもそも何故十五日なのだろう。十五日後に何が有ると言うのだ。


 クソ! あの男のせいで集中できない。

 ダメだ! 頭を切り替えて治療に集中してなければ。

 ”パン” 私は両頬を叩いて気合を入れ直した。気持ちを切り替えろ。

 そうだよ! 失敗した時の言い訳はあの男が言ったのでやりましたで良いじゃないか。

 どちらに転んでも私にデメリットは少ないじゃないの。意図して失敗するつもりは無いけれど気楽にやろっか。


 さあ胃壁の腫瘍を取り除くぞ。

 集中しながら、腫瘍を薄く焼いて削って行く。

 胃壁の奥まで進行している部分は胃の内壁を焼き終えた後に治癒魔法により内壁の修復を行う。

 内壁が修復できるのを待って今度は外側から焼いて行く。手際は良くなってきているが、首とは段違いに繊細な作業を要する治療だ。


 一時間近くかかりほぼ治療が完了しかけた頃に扉の向こうから罵声が響いてきた。

 廊下をどかどかと大勢が走り回る音が響いてきた。

 騎士団長とルーシーさんが慌てて私の後ろにやって来た。

「何事だ! 狼藉物か」

 シュールコーの男が怒鳴る。

「いったい何が起きておるのだ?」

 初老の男もオロオロと声を上げる。

 修道女たちも不安げに顔を見合わせた。


「みんな! 集中して! よそ事に気を取られないで、治療の最中よ」

 私の一喝で、浮足立った修道女たちに意識が治療の方に戻った。

 パブロが来たのだろう。私に有利な展開だ。

 私は安心して治癒に集中する。

 胃の腫瘍の焼却は終わった。ついでに気管支とリンパ節にある中程度の腫瘍も順番に焼いて行く。


 その間にギボン司祭と二人の高位聖職者は、貴賓室に誰も入れるなと指示を出して修道士たちを追い出すと、扉の取っ手に椅子でつっかいを掛けてしまった。

 廊下の方からは扉を固いもので殴る音がガンガンと聞こえている。

「治癒は終了しました。貴女たちは引き続き交替で患者の栄養補給と心音心拍の観察を。もし異常が見つかれば心臓マッサージと呼吸の補助をしてください」

「「「はい聖女様」」」

 修道女たちは完全に私に心酔したようなのであの大司祭の命令でも直ぐに私たちに害を及ぼす様な事はしないだろう。


「治癒は終了しました。約束通り私たちを解放してください」

 その声を聴いて初老の男とシュールコーの男が振り向いた。

「おお! 終わったのか! これで父上も認証評議会迄永らえる事が出来るのだな」

 あっ、この男はポワトー枢機卿の息子なのか。シェブリ伯爵領の筆頭司祭だと思ってた。

「それは責任を持てません。でも今よりは余命が伸びると思います」

 事実、枢機卿は呼吸も安定し幾分血色も戻っている。


 それを聞いたシュールコーの男がツカツカと私のもとに寄ってきて手を引いて壁際にまで引っ張って行く。

「なぜ言いつけを守らなかった!」

「司祭様のお言いつけは守りましたよ」

 男は顔を歪めて怒りをあらわにすると怒鳴った。

「この偽聖女めが。聖女ジャンヌを騙る不埒者め」

「団長! 扉を開けて!」

「ポワトー大司祭様! この者は聖女ジャンヌとは真っ赤な偽り! 平民のセイラ・ライトスミスと申す者ですぞ」


「お嬢! 無事か!」

 シュールコーの男の叫びと同じくしてパブロたち男女四人が雪崩れ込んできた。

「シェブリ伯爵殿、これは一体どう言う訳なのじゃ」

 筆頭司祭と思っていた初老の男は枢機卿の息子のポワトー大司祭だったようだ。そしてこのシュールコーの男がシェブリ伯爵だったのか。

 そのポワトー大司祭は状況が呑み込めていない様でオロオロとするだけだ。

「私がだれであろうと関係ないわ! 約束を果たしたのだから帰らせて貰う。そですよね、ポワトー大司祭様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る