第178話 光の聖女(1)

【1】

「修道女たち! 手を休めないで。周りで何が起ころうとあなた達の使命は患者を助ける事でしょう。こんな事で動じてどうするの」

 私は襲撃の恐怖で竦んで寄り添っている修道女に向かって一喝する。

「「「はい」」」

 修道女たちは慌てて枢機卿の下に戻って治癒を始めた。


「何を偉そうな事を。セイラ・ライトスミス 偽聖女の、平民の分際で良くもそんな口が利けるものだ! 先ほどギボン司祭の忠言で貴様の素性も知れたわ」

「お言葉ですが伯爵様、わたくしは治癒治療の間、聖なる力の流れを常に感じておりました。ジャンヌ様かどうかは存じませんがその方は聖女様に間違いありません」

 枢機卿の治癒にあたっている修道女がシェブリ伯爵の言葉に口を挟む。


「修道女如きが口を挟むな! こ奴は平民の分際で不遜な態度を取り貴族に歯向かう聖女を騙る不逞の輩だ!」

「それでもその方の行いは聖女様と等しいと思います」

「ええ私はそのお方が誰であれ、治癒術士の道を進むのなら傅いてお仕え致しても構いません」

「その方が成された治療も方法も、そして示された道も間違っているとは思いません」

 修道女たちが次々とシェブリ伯爵に反論を返す。


 私(俺)はフラッシュバックの様に冬海や絵里奈に付いてくれていた医師や看護師の顔が浮かんでは消えた。

 それが枢機卿の周りに集う修道女たちの顔と重なって見えて涙がこぼれだした。


「そうです! セイラ様が光の聖女様であることは間違いありません。闇の聖女ジャンヌ様と対を成す聖女様です。セイラ様は人知れず市井に在って困窮する民草を救って来られたのです。聖女ジャンヌ様にお仕えした此の聖導女アナ・クリスタンが申し上げます」

 パブロたちとギボン司祭たちが睨みあう中、いきなり姿勢を正して歩み出し部屋の真ん中に躍り出たアナ聖導女が、らしからぬ大きな声でそう宣言した。


 そして私に向き直ると跪き、首から下げた聖珠ロザリオを握り私に向かって掲げた。

 それに合わせる様に部屋の修道女たちも次々に膝を折り、私に向かって聖珠ロザリオを掲げ始める。

 最終的に枢機卿の治療にあたる三人以外の全ての修道女たちが私に向かって聖珠ロザリオを掲げて跪く事になった。

 おまけにルーシーさんと騎士団長までそれに続いたのだ。


 さすがにこれはやり過ぎだと思う。

 もう顔から火が出そうなくらい恥ずかしいが、どうりアクションして良いか分からない。

「なあお嬢。俺も跪いた方が良いか?」

 そう言うパブロに蹴りを入れつつ、私は少しアワアワしながらみんなに応える。

「いえ、別に私は聖女の認定を頂いている訳でも無いし、聖職者でも無いのだからそんな事はしないで下さい。ただのあなた方と同じ人間なんだから」

「ああ、その仰り様もジャンヌ様と同じです。あの方もいつも同じ人間だからと、命に貴賤は無いと仰っておられました。それなのに私は…」

 アナ聖導女はそう言うとまたいつものブルーが入って泣き伏してしまった。

「アナ様。立ってください。それからみなさんもお願い。仕事に戻ってください」

 私はアナの腕を持って立ち上がらせると皆に告げた。


 皆が立ち上がり持ち場に戻った頃には、部屋の空気は完全に私に傾いている。

 この場にいる修道女たちは皆教導派の聖職者である。と言う事は彼女達も騎士や貴族の子女であると言う事だ。

 多分中には上級貴族の縁者たちもいるだろう。それを味方に付けられた事は大きな意味が有る。

 当然シェブリ伯爵もギボン司祭も無言で苦虫を噛み潰したような顔になっている。


「私は仰る通り平民で聖職者でもありません。だから聖女の認証など受けておりません。ですが私は一言も自分が聖女だともジャンヌ様だとも申しておりませんよ」

「…そっその通りですわ。ジャンヌ様とも聖女様とも仰っていませんでした」

 修道女たちが賛同する。

「きっ詭弁ではないか! ワシが命じた時に何一つ名乗らなかったではないか」

 シェブリ伯爵が言い募る。

「ポワトー大司祭様が聖女と仰った時、私には関係ないと申し上げました。そもそも理由も解らず連れて来られて名も名乗らぬ相手に、こちらから名乗るなど不用心では無いですか」

「次から次へと減らず口を叩きおって…」

 商家の娘として渡り歩いてきた私が、命令する事にしかなれていない貴族などに口で後れを取る物ですか!

 プルプルと怒りに震えるシェブリ伯爵を無視して、交渉相手を御しやすそうなポワトー大司祭に変えて語りかける。


「大司祭様、お約束通り治療は致しました。その返礼として多くを望むわけでも御座いません。ここより退散するご許可をいただければそれだけで結構です。その約束さえ守って頂ければこれ以上は申しません」

「そっ…それは、其の方の申す通りだ。約束は守る。ただ…」

 ポワトー大司祭は煮え切らない。

 煮え切らない理由、危惧している事の想像は付く。枢機卿の容態の急変を恐れているのだろう。

「お願い申し上げます。一旦カマンベール男爵領に戻らねばなりません。もしもジャンヌ様を伴って戻る事が出来れば、直ぐにその足でこちらに戻ってまいります。三日のご猶予を下さい。必ず戻ってまいります」

「ああ…それならば。その代わり必ず戻ってまいれよ」


「いけません! ポワトー大司祭様。騙されてはいけませんぞ。ここを出てしまえばこ奴らは姿を消してしまうかもしれん。平民の成す事など…」

 シェブリ伯爵は冷静さを欠いているのか? それとも何か企みが有るのか? 彼の思惑に対して釘だけは刺しておこう。

「シェブリ伯爵様。あなたはそれをお望みでは無いのですか? 申し上げますが今の枢機卿のご容態であれば少なくとも三日程度で急変する事は有りませんよ。その間に何かあれば誰かの作為が有ったと言う事です」

「何を言う。そんな保証が何処に」

「私より病人の介護に長けている修道女様たちにお聞きください。否定はされないと思います」

 私が振り向いて枢機卿の方を見ると修道女たちが自信ありげに頷いて見せる。


「それで聖女ジャンヌ様は今どこにいらっしゃいますか? ギボン司祭はご存じでしょう」

 ギボン司祭は忌々しそうにソッポを向いて、それでも絞り出すように答えた。

「西の領境を越えてここに向かっているはずだ。予定では明日にはここに着く」


「パブロ大変でしょうが夜駆けで聖女様と合流するわよ。それでは必ず三日後にジャンヌ様を伴ってここに戻ってまいりましょう。それまでの間に異端審問の取り下げのご判断を検討しておいて下さい」

 私はそう告げると奥の枢機卿とポワトー大司祭に一礼して踵を返そうと頭を上げた。


「いや、それは良い。異端審問は取り下げよう」

 かすれた声が部屋に響いた。

 ポワトー枢機卿がこちらを見て口を開いたのだ。

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