第68話 ケインとテレーズ(テレーズ)
【1】
テレーズが王都に赴任してからもう二か月が過ぎようとしている。
ゴルゴンゾーラ公爵家の敷地内の小さな聖教会と聞いていたのだが、なかなかどうして立派な聖教会だ。
地方の村の聖教会程度の規模がある。
聖職者は事務も書類仕事も居住もゴルゴンゾーラ公爵王都別邸の中に部屋を貰っているので、聖堂は教会と教室のみに使われているので、聖職者の宿舎や事務室も兼ねる村の聖教会より聖堂の中は広い。
公爵家の邸内なので工房が無いのは残念だが、王都の教導派聖教会に行けない獣人属の、主にライトスミス商会やセイラカフェの使用人やメイドを受け入れているので邸外からも礼拝にやって来るものが多数いる。
その目的もあって聖堂は公爵邸の塀を背にして外に向かって突き出した形で作られている。
テレーズは聖教会教室でも上級生徒にリベラルアーツの初級三学と聖霊歌を教えている。
使用人の中でも優秀な者は公爵家の後押しで王立学校に入学させる。その為の教育でもあるが、獣人属の子弟でも平民寮のメイドやフットマンとして王立学校に入れて人脈や教育の一端に触れさせる意図もあると言う。
テレーズは獣人属の子弟で音楽の才の有る子供たちを集めて聖霊歌隊を作りセイラカフェで唄わせて貰えるようにした。
もちろんタダではない。出演ごとに賃金が貰える。聖教会工房の代わりである。
これでスラムに住む獣人属の子供の一部でも助ける事が出来る様になったと思う。
先週からはライトスミス商会のメイド服を着た家宰に交渉してアバカスの組み立て工房でも面倒を見て貰えるようになった。
ライトスミス商会はハウザー王国との貿易も有って獣人属には好意的だ。特に教導派が幅を利かせる王都では獣人属の庇護者の様な立ち位置で、セイラカフェのメイドにも獣人属がかなり雇われている。
こうして今までの反獣人属と言うフィルターを取り除いてみるとライトスミス商会の印象はまるで違ったものに見える。
テレーズは一年近く南部の農村を回り聖教会での指導を進める中で、ハウザー王国からの逃亡農奴の窮状を嫌というほど知る事になった。
南部の領主はそれほどでもないが、農村には保守的な考えを持つ村も多くそのたびに村長や村の顔役を説得して聖教会教室や工房を設置しハウザーからの逃亡農奴の子弟達を受け入れてどうにか生活が出来るように尽力してきた。
気付くと清貧派修道女として多くの獣人属信徒から慕われるようになっていた。
それはこれまでの自分の考えや行いの贖罪であり懺悔である為讃えられる事ではないとも思うが子供たちに慕われると嬉しくて涙も出て来る。
こうして王都でも同じように活動し始めると自分の活動のレールを引いてくれていた者がライトスミス商会だと痛感した。自分の視野の狭さと復讐心に囚われた浅はかさを反省もした。
そうした頃教導派聖教会の孤児院に引き取られた妹が死んだとの訃報耳にした。
聖教会の年始の祭儀の夜だった。ライトスミス商会の家宰で今は代表を務めているグリンダさんが現われて顔繫ぎが出来色々と支援の約束も貰った。
そしてその時にライトスミス商会の招きでウィキンズ・ヴァクーラとケイン・シェーブルもやって来たのだ。
その時ケインが教えてくれた。
ポワトー枢機卿の毒殺に失敗して自死したステラ・シャトランと言う名に心当たりはないかと。
ステラは生き別れた妹で両親が死んだ後は、引き取り手も無く教導派の孤児院に半強制的に引き取られてしまった。
年若いテレーズにはどうする事も出来ずそのまま音信不通になっていたのだ。
ケインは詳しい経緯は知らなかったようだが、ステラの自死の現場に居合わせたと言うアナ聖導女を紹介してくれた。
何度か書簡を送り先々週、王都の清貧派大貴族に関わる聖職者の集まりで治癒魔法指導に来てくれたアナ聖導女にやっと会う事が出来た。
この人もテレーズと同じで教導派貴族に騙されてジャンヌ様を窮地に晒してしまった人で、ライトスミス商会を誤解していた人だった。
お互いの身の上話を通じて心が通じ合い、救われた思いがした。
その人の口からステラの話が告げられた。
ギボン女司祭の名はテレーズにとって憎んで余りある名前である。
父の遺体を部屋に放り込んで血まみれのナイフをかざし母を糾弾したあの蛇のような無表情な顔は今でも忘れる事が出来ない。
そのギボン司祭に騙されて暗殺者の汚名を着せられて死んでいった妹を思うと悔しくて堪らなかった。
そのギボン司祭もセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢の糾弾で服毒自殺を図ったと言われ怒りの行き場所も無く号泣してしまった。
やり場のない怒りに苛まれてはいけないとアナ聖導女に諭され、その怒りは教導派に付け込まれる原因になるとも言われた。
事実、その思いに付け込まれて王立学校を中退する羽目になったのだから。
それでもこうして修道女としてジャンヌの下で働く事が出来ている。
ゴルゴンゾーラ公爵家は獣人属の就学や雇い入れにも熱心で、ロックフォール侯爵家の聖堂と併せてスラムの獣人属の心のよりどころとなりつつある。
ライトスミス商会と協力してこの聖堂を拠点に獣人属の子供たちを救って行く事を自分の務めにしようと決心した矢先にその事件が起こった。
【2】
その日は朝から何か街に落ち着かない空気が流れている様な気がした。
聖霊歌隊の子供たちを連れてセイラカフェに赴いた時も歌を披露している間も何か人の流れに緊張感が漂っているように感じたのだ。
歌い終わって子供たちがセイラカフェからお菓子を御馳走になっている時メイドの一人に聞いてみた。
「なんでもマルカム・ライオルと言う悪人が王立学校の令嬢を狙っているそうで近衛騎士団の方々が捜索に当たっているそうですよ」
ライオル家が爵位剥奪の上領地も召し上がれれた事は知っていたがそんな事になっているとは知らなかった。
狙われている令嬢もクロエ・カマンベールだと言う。
カマンベール子爵家はセイラ・ライトスミスと縁の深い領地なのでセイラカフェのメイドも積極的に情報収集に動いていると教えてくれた。
どうもこの事件も自分が起こしてしまったあの事件と根っこが同じ気がして不安が募った。
クロエがターゲットならばケインやウィキンズが巻き込まれることは目に見えている。
せめてクロエやカミユ達友人の身に危険が及ばぬよう、ケインとウィキンズがレオナルドとウォーレンが無事であるように祈りつつ午後を迎えた。
その厄災がやって来たのは午後の始まりを告げる六の鐘が鳴ってからしばらくした頃だった。
あまり目つきの良くない洗礼式前後くらいの子供がケインの手紙を持ってきたのだ。
手紙には”盗みを働く浮浪児ではあるが出来れば更生させて欲しい、本人には食事と仕事がもらえると言っているのでせめて聖教会教室で面倒を見られないか考えて欲しい”としたためられていた。
ケインの手紙を読みながらその子供の顔をちらりと見る。
盗める物を物色しているのかキョロキョロとあたりを見回している。
テレーズにはこの子供の顔に心当たりがあった。彼女が犯したクロエのお茶会事件の時にブレア・サヴァラン男爵令嬢のメイドだったミアの下に何度か尋ねて来ていた事を思い出した。
「あなたは名前は何ておっしゃるの?」
「リカルド」
「洗礼式は受けたのかしら?」
「知んねぇ。年がわからねえから」
「どこに住んでいるの? 家族は居るの?」
「お袋は知らねえ。クソ親父は三年前に喧嘩で刺されて死んだ。その時から住んでるスラムの掘立小屋で暮らしてる」
「もしも…もしもあなたがこの手紙をくれた人にやった事を話してくれたなら住む場所もお仕事も面倒を見てあげましょう。洗礼式も受けられるようにしてあげます。誰かに頼まれてこの騎士さんに何かしたわね」
「あんた…なんでそんな事が判るんだ」
リカルドは驚愕と恐れが混じった声で聴き返した。悪ぶっているけれど子供だ。テレーズがカマをかけると直ぐに底が割れた。
「私は聖職者よ。神に仕える者。あなたの悪事は全部見逃さないわ。神の裁きは必ずあなたに降りかかってくるの。だから全て懺悔なさい。神に懺悔すれば許されますよ。さあ、私に懺悔なさい」
テレーズの迫力にリカルドは自分が命じられた事を話し出した。
フープ亭の近所でウロウロしていると時折ヤバいが割の良い仕事をくれるヴィザードの女がいる。その女の紹介でカーニヴァルマスクの男から仕事を請け負った。
やり方もカーニヴァルマスクの男からの指示に従った。
ウィキンズとケインの側で盗みを働いて、突き出されそうになったらフープ亭の名前を出してヴァイザーの女の所に誘き出せたなら銅貨が二十枚貰える。
事実ケイン達をフープ亭に行かせたのでカーニヴァルマスクの男から銅貨二十枚を貰えた。
それにケインが手紙を持って行けば飯を食わせてもらえると聞いてここに遣った来たと。
フープ亭に来る客でいつもヴィザードを付けた女は簡単な仕事でも多めの金を払ってくれる割の良い仕事をくれる上客だと答えた。
何が起こるのかは見当もつかないが良くない事が起こる事は間違いない。
テレーズはリカルドを聖教会教室の子供たちに任せてゴルゴンゾーラ公爵家の騎士団長達に護衛を頼んでフープ亭に走った。
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