第69話 ケインとテレーズ(二人)

【1】

 とてものどが渇いた。水がほしい。

 何より全身が焼けるように熱い。

 起き上がろうとして両手を付き出そうとするがうまく腕が上がらない。頭がボーッとしてうまく考えがまとまらない。


「まだ動いてはいけません。また傷口が開いてしまいます」

 静かな声がして顔を冷たい何かでせ拭われた。

 その冷たさが心地よく頭が少しずつ冷えて冷静になってくる気がした。

 うつむいた状態で寝かされているようだ。横を向いている首が少し痛い。


「みっ水が欲しい」

 横になった状態でポットの口が当てられた。

 湯さましの温かい水が喉に入ってくる。

「ゆっくりとお飲みなさい。ジャンヌ様が考案された生理食塩水というものです。人肌で使用すれば体に負担もかからないそうですし、傷口を洗っても滲みることがないのですよ」

 言われてみると少し塩味のする白湯だ。


 白湯を飲み終えると右手が握られてそこからなにか力が流れるような熱の暑さとは違う暖かさが体に流れ込んでくる。

 熱で朦朧とした頭が少しスッキリした。

 手を握る相手の顔に視線を合わせて初めてそれが誰か気づいた。

「テレーズ修道女…」


「喋らなくてもいいから。今は私の話を聞いてください。あなたは脇腹を刺されて大怪我を負っています。今は私の治癒魔術であなたの傷口に魔力を流してどうにか血を止める程度にまで傷口を塞げましたが動くとまた傷口が開きます。それに背中の傷はまだ治療ができていません。だから…だから今は大人しく休んでいてください」

「そっそれは、あれからどれくらい経った? ウィキンズも…ウィキンズが危ない。俺はウィキンズに間違えられたんだ。あいつが…」

「それ以上口を開いてはいけません! あなたは自分の命が助かることに集中して…お願いですから死なないで」


 最後は涙声になったテレーズの両手に力が入り右手がギュッと握られた。

「あなたをここに運び込んだのが午後の二の鐘の鳴る頃、もうすぐ三の鐘がなる頃でしょう。先程セイラカフェやライトスミス商会にも応援の依頼を出しました。もっと早くに動きたかったのですが聖堂の周りに怪しいものがウロウロしているようで使いの者や聖教会教室の子どもたちに危険が及ぶかもしれないので今日は皆ここに泊まるように準備をしてもらっています」


 俺は切られてから鐘一つ分以上意識がなかったということかとケインは考えた。

 その間にウィキンズやクロエ達にも危険が及んでいないだろうかと不安に苛まれる。

「聞いてくれ。ウィキンズが俺と間違えられて殺されているかもしれない。だから助けてやってくれ…」

「あなたには気の毒ですが王立学校でも何やら事件があったようです。詳しいことはわかりませんが街中で騒ぎになています。使いは出しましたが後はどうする事も出来ません」


 やはりクロエになにかあったのだ。王立学校内ならまだ騎士団の生徒も警備の衛士も大勢いるからなんとかなるかもしれないが、ウィキンズも命を狙われることになっていなければ良いが。

「このような状況ですので来ていただけるかどうかは判りませんが、ジャンヌ様に使いを出しています。公爵邸とこの聖堂はゴルゴンゾーラ公爵家の騎士たちで警備していただいています。だから療養に専念してください」


「すまないシスターテレーズ。あんたが俺を助けてくれなかったなら死んでいたところだ。でも何であそこに…」

「喋らないで。あなたが寄越したリカルド…ああ、あの子供の名前よ。あの子が教えてくれたの。あなたたちをフープ亭に誘い出したと聞いたのです」

「あの野郎…」

「黙って、あの子も反省しているわ。あなたの姿を見てそれはもう心底怯えている。洗礼式前の子供ですもの、難しい事も解らずにお金につられてやっただけなのです。それも銅貨二十枚の仕事ですよ」

「銅貨二十枚とは安く見られた…ゴホッゴホッ」


「ほら静かにしていて下さい。さっきから何度も言っているでしょう」

「ああ、すまん。‥‥‥あんた…疲れていないか? 顔色が良くないぞ」

「あなたは自分の顔色をお判りになっていない。そんな土色の顔をして何を仰っているのです。人の事を気遣う前に自分の事をお考え為さい」

 テレーズに叱られてしまった。


「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「なあ、あんた俺の…いやあんたの親父を殺したシェーブルのおじさんを恨んでいるんじゃなかったのか?」

「…あなたはそのおじさんを殺した私の父を恨んでいなかったの」

「あんたの親父さんも騎士の義務だったんだろう。俺が恨むのは原因を作ったポワトー大司祭とお袋殺しを命じたシェブリ大司祭達だ」

「私も…考えを変えたわ。憎いのはギボン司祭とシェブリ伯爵家一族。でもね、それも今は何か違うと思っているの。いくら恨んだところで父も母も妹ももう戻ってこない。あいつらの非道をこれ以上許す事は出来ないけれど私がするべきことは…多分違うわ」


「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「それで、あんたは何をしようと思ってるんだ」

「…私は今は王都のスラムの子供たちを救うのが使命だと思っているの。ジャンヌ様が行って来たように、そしてセイラ・ライトスミスが行って来たように」

「あんた変わったんだな」

「ええ、南部の村々を回ってハウザー王国の脱走農奴たちの窮状を知ったわ。そしてハウザー王国の農民の貧しさも。獣人属に対する嫌悪って言う色眼鏡を外すとライトスミス商会のやって来た事の真意がわかったのよ。明日も生きる為の魂の糧を与える事。ゴッダードの誓いの言葉の真実が何かを」

 そう言ってテレーズは微笑んだ。


 ケインはその笑顔を見て微笑み返す。

「偉いな、俺は未だそこ迄にはなれねえ。シェブリ伯爵家の人間もポワトー伯爵家の人間にも憎しみが湧いて仕方ねえ。この三年間上級生にカール・ポワトーが、一つ下にはアントワネット・シェブリが居やがる。おまけに今年は一年にカロリーヌ・ポワトーが入学してきた。あの一族だと思うだけで腹が立って仕方ないんだ」


「カールとカロリーヌはあなたの甥と姪では無いのかしら。あの二人は知らないのでしょけれど」

「多分何も知らないだろう。俺が恨む相手でもないさ。それでも腹は立つさ」

「まあ今はそんなこと忘れて落ち着きなさい。少し栄養も取りましょう」

 テレーズはそう言うと握っていた手を放しうつむいているケインの身体の胸の中ほどあたりに手を入れて魔力を流し出した。

 胃に何か入って来るのがわかる。


「ジャンヌ様が考案された水魔法による栄養補給方法よ。糖分の豊富な水を胃に送って栄養を補給するの。私はこれでも水魔法での治癒はチョットしたものなのよ」

「ああなんだか腹が満たされた気分だ」

「今はレスター州のグレンフォードの大聖堂とリール州のカンボゾーラ子爵領で治癒魔法の新しい流れが出来つつあるの。ジャンヌ様とセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢のもとで治癒魔術士の交流が始まっているのよ。私もカンボゾーラ子爵領のアナ聖導女様に色々とご指導いただいたのよ」

 誇らしげに笑うテレーズの顔を見ながらケインは眠りに落ちた。

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