第67話 ケインとテレーズ(ケイン)
【1】
ケインはヴァイザーの女の後を付けていた。
女はこれと言って当てもないようにウロウロと通りを歩いて行く。
屋台を覗いて食い物を買ったり露天商を冷やかしたり、どうも時間つぶしをしている様にしか思えない行動をとっている。
そうこうするうちに街中に午後の一の鐘が鳴り響いた。
王立学校では授業が終了した頃合いだろうか。
ケインがそんな事を考えていると露天商相手に雑貨を見ていた女が顔を上げた。
そして立ち上がるとキョロキョロと周りを見回した後急に人ごみの中に割って入って行った。
慌ててケインが追いかけると、人込みを掻き分けて早足で歩いて行く女の後姿が見えた。
少し距離を置いて後を追いかける。女は周りの人間に構う事無く人混みをかき分けて行くのであたりから怒鳴り声や罵声が飛ぶ。
少々離れていてもその喧騒を追いかければ追いつくので手間がいらない。
しかし女の癖に大したものだと思いながら後を付ける。荒くれ者や傭兵、チンピラを掻き分けて平然としているのだから。
事実腹を立てて殴りかかって来たチンピラを片手で引き倒してしまったいる。
女はその内に大通りを外れて裏町の路地に入り込んでいった。
路地の入口から奥を窺うと突き当りを右に曲がる姿が見えた。
ここからが正念場だ。
気取られる事無くどこまで尾行できるかが問われる。
急ぎ足で路地奥の角まで歩み寄るとその先を覗いた。
女は奥の突き当りにある建物に入って行こうとしている。表通りの店舗の倉庫のように思える。
女が入って扉を閉めた事を確認して、急いで扉の前まで走る。やはり店舗か屋敷の裏の食料蔵のようだ。
表通りに戻って確かめようと振り返った時、路地の向こうから歩いてくる人影に気付いた。
逃げようと周りを見渡して正面の路地以外に抜け道が無い事に気付いた。三方が蔵と隣の他店のに挟まれ、正面も住宅や店舗の合間の正面の路地以外に隠れる場所すらなかった。
路地の向こうから来る人影が増えている。一人…二人…三人。
路地を塞ぐように三人のフードを被った男たちが並んだ。
ケインは蔵の壁を背にして構えると、ウィキンズに借りたファルシオンの柄に手をかけていつでも抜ける体勢を整えた。
「済まないが通してくれないか? 道を間違えたようでこれから帰るんだ」
ケインの言葉が聞こえているのか聞こえていないのか三人は微動だにしない。
「あー、帰してくれそうにねえな。どうすりゃ良い?」
ケインの軽口に合わせるように蔵の扉が開き例の女がロングソードを持って切りかかってきた。
同時に路地から来た三人もロングソードを抜いた。
女のロングソードをファルシオンで薙ぎ払う。
「てめえ、女じゃねえな。その筋力、太刀筋、その体躯、いったい何もんだ!」
ケインが怒鳴る。
仮面の女?が、仮面を引きはがして睨み返す。
「話が違うじゃないねえか! 薬が効いてるんじゃなかったのかよぉ」
仮面の下は痩せた貧相な顔の男だった。ただ眼光が異様に鋭く狂気を帯びているように見える。
ロングソードを真横に構えて腰を落とした態勢で構える女装の男は先ず間違えなく
フードを被った三人の男達もロングソードを使うにしては構えが変則だ。
正規の騎士上がりではない傭兵か冒険者崩れだろう。
ロングソードを使い慣れていない手合いのようだが実力は充分だ。何より実践慣れしているのでケインには分が悪い。
「いくら騎士様と言っても人を切った事すらねえ見習いのガキだ。ましてや近衛騎士なんて実践も知らんお坊ちゃまが行く騎士団だぜ。軽く畳んじまえ」
「偉そうに言って薬に期待してたんじゃねえのか、
そう言ってファルシオンを構えて蔵の壁を背に次の攻撃に備える。
「お前ウィキンズとか言うファルシオン使いだろう。接近戦にはめっぽう強いと聞いているがプロを舐めて貰っちゃあ困る。年季が違うんだよ」
ケインの腕ではこの
「大人しく薬を食らってぶっ倒されておけば、命は取らなかったのによう」
「どう言うこった! 誰なら
「ケイン・シェーブルとか言う野郎なら殺してしまえってよ!」
それはさらに悪い状況である。自分がケインとバレれば命は無いという事だ。
ロングソードやハルバートならともかくファルシオンを使った接近戦に置いて近衛騎士団でウィキンズに勝てる者はいない。
それはもちろんケインもである。
そのウィキンズを想定しての布陣では剣技でねじ伏せる事はまず無理だろう。
さらにはウィキンズが間違えられて殺されてしまうという状況も考えられる。どうにかここを切り抜けてウィキンズを助けに行かねばならない。
「ああ、年増の良い女かと思えば貧相なおっさんが出てきやがった。とんだ貧乏くじだぜ。これからでもあの姐さんと代わってくれねえかなあ」
「そんな軽口がいつまで叩けるのか見てやろう」
「あの一の鐘が鳴った時に入れ替わりやがったな。しくじったぜ。違和感は有ったんだがな。女の割に強すぎると思ったんだ」
「まあその反省は次に生かせよ。次が有ったらな」
フードの三人が一斉に斬りかかって来る。
慣れないロングソードは使いにくいのだろう。うまく連携が取れずちぐはぐになる攻撃でどうにかファルシオンで打ち払えた。
しかし一太刀、一太刀が重い。
「おい、ロングソードでなきゃあいけねえのか? ダガーじゃあダメなのか?」
「ああ依頼主からの要望だ。太刀傷がロングソードで無けりゃあいけねえ。あの騎士様のお手柄にするんだとよ」
ウィキンズを殺してマルカムの手柄に? どういう意味だ。
「おいおい、俺はマルカム・ライオルの手柄になるつもりは無いぜ」
「安心しな。その騎士様はお前が討ち取って手柄に出来る。相打ちでウィンウィンじゃねえか」
一番大柄なフードの男が振り被ったロングソードを振り下ろしてくる。
この男が一番ロングソードの扱いに成れていない様だ。避けたケインの横をロングソードが落ちて行く。
その右腕を目がけてファルシオンを振り下ろす。
「ギャァー!」
悲鳴が上がり大男の右腕が飛んだ。
他の三人の気が一瞬とんだ腕に移った瞬間にケインは蔵の壁に沿って走る。
慌てたフードの一人が逃げるケインに一太刀入れる。背中に激痛が走るが、まだ浅い。
駆け寄って来た
ぐっ! 口の中に血がこみあげてくるのが分るが構わずに
「てめえ! この、待ちやがれ!」
体重をかけて扉を閉めると閂を落とす。
ドアを叩く音がするが、樫の板を組んだ上に鉄枠で止めてある扉も閂も人の力でどうにかなる物でもない。
ケインは血まみれのファルシオンを片手に鞍の奥へとヨロヨロと歩き始める。
こんな事なら革鎧くらい来て来ればよかった。
背中の傷はともかく脇腹の傷は深手のようだ。手で押さえてもダラダラと血が噴出してくる。
蔵は食糧庫とワイン蔵の様で黴た臭いがする。入って来たのとは反対の壁に扉が見え光が差し込んでいる。
トボトボとその扉まで歩き体重を預けるとその扉を肩の力で押し開いた。
扉の向こうでは大勢の人の気配がする。何やら口論のをしている様な女性の声と男の怒鳴り声が響いている。
もしも敵のアジトならこれでもうお終いだろうがこのままでも助かる見込みはない。
扉を開いて中に押し入るとそこは例の仮面の女がいたフープ亭の厨房だった。
「キャー!」
あの女店員の悲鳴が響いた。
気にも留めずそのままカウンターに向かって歩き続ける。
「ケインさん!」
ギョッとした顔でこちらを見るマスターの向こうで修道女テレーズが引き連れたゴルゴンゾーラ家の家紋を付けた騎士達とこちらに駆け寄る姿が見えた。
それを最後にケインの意識は暗闇に沈んだ。
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