第26話 ダッレーヴォ州への旅(2)

【3】

 アントワネットは御者台に向かう鎧窓を叩いて声をかける。

「あれは、あそこの兵士は何をしているのかしら?」

「さあ? しかしお嬢様が気をお止めになる事では無いと存じますが」

「それは私が判断する事よ。御者如きの分際でその様な口はもう二度と叩かない事ね。分かれば馬車を停めて何事か聞いていらっしゃい」

「へっ、へい!」

 御者はアントワネットの言葉に恐れをなして馬車を停めた。


 御者としてもこの雪の積もる中、馬車を降りてぬかるんだ馬車道や積雪のある森の口まで歩くのは勘弁して欲しい事ではあるが、貴族令嬢のそれも高位貴族に連なる者の威光は恐ろしい。

 仕方なく御者台を降りて積雪の中森に向かって歩き出した。


 側迄行くと三人の領の衛士だと思われる男が三人、二人の子供を取り囲んでいた。

 どちらも小作人の子供のようで薄汚れたボロボロの服装で雪の中に跪いて枯れ枝を抱えて震えていた。

「いったい何が起こっておるのでごぜえますか衛士さん」

 御者に声をかけられた衛士が驚いた顔で振り返る。


 リーダーと思しき衛士が一人御者に向き直ると怪訝そうに眉を顰めて問い掛けた。

「そんな事を聞いてどうする? わざわざ御者台を降りてここまで来て聞くような事でも無いだろう」

 そう言いつつ豪華の二頭立ての馬車に目をやり、ああ貴族の我儘かと得心したような表情を見せた。


「お察しの通りご身分は明かせませんがあの馬車にはさる高貴なご令嬢がご乗車で。あっしに状況を聞いて参れと申されたもので」

「そいつはご苦労なこったな。見ての通り枯れ枝盗人だ。この辺り一帯は領主様の森でな。そこに勝手に入って盗んでいやがったんだ。常習犯だろう。今回も偶々脱走農民の警戒でこの辺りを巡回していて見つけたんだがな」

 そう言って手に持った剣の鞘で二人が被っている頭巾を払った。

 洗礼前後くらいの男の子が二人で、一人は毛に覆われた尖った耳が飛び出している。

 獣人属の小作人だろう。


「ケダモノのガキですかい。どちらも小作人のガキの様ですがこいつ等どうなるんですか」

「まあ小作人のガキだしな。見せしめで縊り殺されて村の入り口にぶら下げられるか、此処で手打ちにするかと言ったところか。連れて帰るのも面倒だからこのまま手打ちにしても良いがな」

「あのお嬢様がお目汚しになると言ってご勘気を被るのも嫌でごぜえますのでしばしご猶予をお願い致します。すぐに聞いて参りますので」

「ああそうしてくれ。お貴族様相手となると何に因縁を付けられるかわかったもんじゃないのでな」


 御者はトボトボと馬車に戻るとドアの前に立ちアントワネットに事の次第を報告した。

「そうなの、領主の森に入って盗みを働いていたと。枯れ枝など何にするの? まさか食べる訳でも無いと思うのだけれども」

「燃料にするのでしょう。領主の森は許可が無ければ薪や材木の切り出しは禁止されておりますのでな。森は領主の財産ですから」

「当然の事ですわね。領主の森に入って薪を盗むなど。村で吊るすのは勝手だけれどここで首を刎ねられるのを見るのは不快だわね…。でもこれは何かに使えないかしら…」


 しばらく思案してアントワネットはおもむろに御者に命じた。

「ケダモノの子だけを切り捨てさせなさい。そしてあなたは直ぐに切った衛士を押しとどめて私の下に駆けてきなさい。分かったわね!」

 御者は少し驚いたが直ぐに森に向かって歩き出した。


「衛士の旦那、お耳を貸しておくんなさい。お嬢様のご指示だ」

 そう言って衛士のリーダーの耳元でアントワネットの指示を囁いた。

 衛士のリーダーは少し眉をひそめたが小声で問い返してきた。

「そのお嬢様の点数稼ぎか? 慈悲に篤いところでも見せたいのか? ただ後で俺たちが咎められるのは御免だぜ」

「その点は大丈夫でしょう。あのお嬢様は頭の切れるお方ですから、その辺りの事も判っていらっしゃるようです。いう事を聞けば後程報酬を与えると仰っておられましたから」

「ならば問題ない。おい! お前、そのケダモノのガキを切り捨てろ!」


「ハッ!」

 命じられた衛士は躊躇なく刀を振り上げて獣人属の男の子の首に向かって振り下ろした。

 獣人属の子供は声すら発する事無く事切れてしまい、辺りの雪原は真っ赤な地で染め上げられた。


【4】

「お待ちなさい!」

 いつの間にかアントワネットが馬車から降りて街道と雪原の際迄歩いて来ていた。

 その様子を見て御者も刀を振るった衛士に向かい押しとどめるように手を広げて立ち塞がった。


 もう一人の人属の子供は切られた獣人属の子供を見て声も出せずに怯えながら泣いていた。

「衛士様、お役目である事は存じ上げております。されどこれ以上の殺生は私に免じてご寛恕くださいまし。一介の小娘がしゃしゃり出る事では無いのは重々承知しておりますが何卒お慈悲を賜りたくお願い申し上げます」

 そう言いながら雪の中を歩いて近づいて来たアントワネットは御者の耳元で小声で囁く。


「衛士には褒美を与えて事の次第を村のものに伝えるように指示致しなさい。それが終わればこの子を連れて領主館に向かいます」

 そう言い終わると悲しそうな表情を浮かべて衛士と子供の側にやって来た。

「衛士様方もお辛いとは思います。ご苦労は私よりご領主様に御伝え申し上げますので、この場はこの子を私に預けて頂けないでしょうか。これからご領主の館に赴いて事の次第を説明し私から嘆願いたします。後は何卒よしなにお願い申し上げます」

 そう告げると有無を言わせず怯えて泣く子供を立たせると馬車に連れて行って扉を開いた。


 そしてアントワネットが乗り込む頃には、慌てて帰って来た御者が御者台に駆けあがる。

 アントワネットは震える子供を馬車の隅に座らせると自分は反対側の窓際に座り、冷たい冷めた視線で一言も発せず窓の外の風景を見ている。


 しばらく進むとこの領を治める男爵家の領主館についた。

 門衛に御者が馬車到着とその身分を告げると、門衛は慌てて邸内に駆け込んで行く。

 しばらくすると車寄せに男爵を始めとする邸内の主だった面々が一列に並んだ。

 車寄せに入った馬車の扉が開かれると中から降り立ったアントワネットは男爵に会釈をするとその耳元で小声で命じた。


「中の子供に何か食べさせて村に送り届けなさい。それから汚れてしまった馬車の中の掃除を徹底的にお願い致しますわ」

 そう言ってハウスメイドに促されて邸内に入って行く。

 男爵はその後ろ姿に頭を下げると直ぐにサーヴァント達を呼び集めた。


「なにやらシェブリ伯爵様の御息女にはお考えがおありの様だ。中の貧民の子には何か食べさせて村に帰してやれ。薄汚い貧民の子だが雑に扱うなよ。それからそこ貧民の子が汚した馬車はシートも床も全てきれいに掃除させて置け」

 そう告げると男爵は駆け足でアントワネットの後を追った。


「シェブリ伯爵令嬢様、いえペスカトーレ司祭の奥方様とお呼びするべきでしょうか」

「今は名前で、アントワネットで結構よ。私はジョバンニ・ペスカトーレ司祭様の名代としてここに参っておりますので」

「さればアントワネット様、ご指示通り貧民の子供には食事を与えております。後は直ぐに村に帰しますが…」


「あの者は領主の森で窃盗を行いました。もう一人ケダモノの貧民の子が居りましたが切り捨てさせました。これは見せしめとして村に晒しなさい。もう一人の貧民の子は聖教会の、ペスカトーレ司祭様のご慈悲を持って救済されたと広めておきなさい。これで領主としての体面は守られるうえジョバンニ様の評判も上げられると言うものです」


「しかしこれから先も同じ事を求めるものが出ると…」

「領主貴族としての体面も、領地法の順守と管理も大切でしょう。聖教会の気まぐれに全て付き合う必要は有りませんよ。今回に関しても私が居て代金を払ったからと言えば宜しい。法の裁きは厳格にお願いします」

「それならば何ら問題は御座いません。聖教会が時折こういったご慈悲を示す分には我らも目をつぶりましょう」

「いえ、ちゃんと反論は試みてください。ジョバンニ様がご無理を申し上げておられるが、お人柄に感じてそれを飲んでくださっていると言う態で構いません。そうで無ければ貧民は増長いたしますから」

「ならば今後ともその様にさせて頂きます」

 冬至祭を前にしてダッレーヴォ州で不穏な企みが動き出した。

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