第58話 ノース連合王国(1)

【1】

 シーラ・エダム男爵家令嬢は銀シャチ号の船室で吐き気を堪えてベッドに転がっていた。

 行きの二日間でも酷い船酔いだったが、帰りでもそれは変わらなかった。

 ロロネー船長は乗っていれば慣れると言ったが、慣れる前に死ぬのではないかと思う程船酔いがキツイ。


 国務省の駆け出し官僚としての初仕事が、こんな酷い事になると誰が予想しえただろうか。

 初の大仕事が海外出張なんて大抜擢だと思っていたが、もう船旅はコリゴリだ。

 祖父や父が国務官僚として異国に赴いていた時の話を聞き、エキゾチックな他国の街並や風習、そして料理や美術品そういったものを期待していた。


 南の国はそうなんだろう。

 北でも春や夏や秋ならば素晴らしかっただろう。

 血反吐を吐く思いで船に揺られてたどり着いたノース連合王国の首都ガレの街は、日中でもべた雪やみぞれが降り続き、夜間に降った雪も日中のみぞれで凍結して泥混じりの氷の壁になる。


 なにより食事が不味い。

 セイラカフェの料理を食べ慣れており、学生時代はセイラカフェ出身のメイドが軽食やお茶菓子を作ってくれていたので口が肥えてしまったのだろう。

 官僚となって王都の官舎で暮らすようになって、ラスカル王都の食事の不味さに辟易していたのだが、ここガレの食事は更に不味い。


 ハッキリ言って食べられたものでは無い。庶民料理がでは無くて、王宮の宮廷料理がである。

 ステーキはともかく、羊の胃袋に臓物を詰め込んだ煮物やぶつ切りにしたウナギの煮凝り、デザートにひき肉とドライフルーツと香辛料を大量に混ぜ込んだパイ。

 そしてやたらと出てくるインゲン豆の塩ゆでとビールの搾りかすを塗り付けたライ麦パン。

 移動したギリアの港町の白身魚のフライにどれだけ救われる思いだったか。


 一週間以上の事実確認と関係する役所や港湾関係者からの事情聴取。

 どうにか海事犯罪審問会の受け入れを取り付けて、このままギリアの港から関係者やノース連合王国の官僚らと共にシャピに帰港する事になった。


 シャピに戻ればあそこのセイラカフェでカキフライやサバの甘酢漬けが食べられる。ギリアと同じ食材を使うのにまるで違う御馳走が。

 そう思うと唾が溢れ出すが、帰りの船旅でそれが全て嘔吐に変わってしまった。

 やっとシャピの港についた時は滂沱の涙を止める事が出来なかった。


【2】

 シャピの港にノース連合王国の代表団が入港したとの連絡が入った。

 入港したノース連合王国の使節団を受け入れる準備は早くから整えてある。

 ポワトー伯爵家は昔から貿易港を持つ外洋貿易と外交の窓口として発展してきた領地なので、施設やノウハウは持っているそうだ。

 ただ古参の家臣の多くが収賄などの汚職に手を染めていた為放逐されており手が足りない。


 オーブラック商会とアヴァロン商事が全面バックアップして人員を搔き集め、ライトスミス商会からもコルデー氏を招聘して滞在して貰っている。

 海事関連はともかく法律の専門家でラスカル⇔ハウザーの相互貿易の担い手なので実力は充分にある。


 あとはラスカル王国側の法務官僚や内務官僚の招集とアジアーゴの関係者の召喚を待つだけだ。

 その間にシャピに所属する船主たちの結束を図るとともに、ノース連合王国からの使節団と被害者たちに好印象を持ってもらうための根回しも行っておく。


 と言っても賄賂の実弾を飛ばすのではなく、海事事務関連の公正さと誠実さをアピールしする事を主眼に置いての活動だ。

 早くから実弾をバラまけば足元を見られるうえ、金で転ぶと思われると侮られるだけで信頼関係は築けないと言うのが私の持論だ。


 これまでの間でポワチエ州全域でアジアーゴとペスカトーレ侯爵家に対するネガティブキャンペーンを展開している。

 シャピの港の水夫の間ではペスカトーレ侯爵家が帆船協会を抱き込んで海賊行為をしていると言う噂が決定事項のように独り歩きしている。

 その噂は出入りする商船の船員たちによって周辺国にも広がりつつある。


 ペスカトーレ侯爵家は宮廷工作に躍起になっているようで、官僚を抱き込んで審問を有利に進めようと考えているようだが、直接の危険に晒されるのは船員たちだ。

 法的にどう決着が付こうと船員が出航を拒否すれば船主はどうする事も出来ない。


 搦手からの対策は宮廷工作に遅れは取っているものの、世論誘導はこちらに分がある。

 後はアジアーゴに逃げ込んで籠っている帆船協会の船主を、どうやって引っ張り出すかだ。


【3】

 オークションハウスでの二度目のオークションに再度出品された絹の絨毯には金貨千二百枚の高値が付いた。

 バルバロス船長は白磁と絹のオークションでの利益を新造船の建造にすべて回してしまった。おかげでシャピの三つのドックと隣の領のドックの四カ所がフル稼働で動いている。

 新造船で船団を組んでさらに西を目指すと言う。


 今は沿岸商船の若手の船長を雇って既存の船でサンダーランド帝国との航路に就航させている。

 この先中型選手態だった沿岸商船の船主を、大型帆船航路に引っ張り込む目論見のようだ。


 一次はシャピの通商から弾かれかけてハスラー聖公国との通商も赤字になりかけていた外洋商船組合と商船連合も、モース公国や沿岸の小国との通商で活路を見出し始めた。

 バルバロス船長の呼びかけでサンダーランド帝国への進出にも、船主はともかく所属する船長や船員たちが意欲を燃やし始めている。

 保守的だった船主も彼らの要望には抗えないようで西部航路進出に動き始めた。


 内陸通商はロロネー船長の活躍でノース連合王国のギリアの港では評判が上がって英雄扱いだそうだ。

 おかげで北部商船のバルバロス船長から帆船を二隻融通してもらい三隻の商船団でノース連合王国を回っている。


 今やシャピの港は好景気と新航路の期待で沸き立っている。

 それに一気に水を差す事になりかねないのが、ノース連合王国での海賊事件なのだ。

 その結果次第で通商路の閉鎖やアジアーゴとの戦争にまで発展しかねないのだから、シャピにもそこに所属する船員や船主にとっても死活問題につながる。


 内密ではあるが王妃殿下と私たちが画策する航路開拓と鑑札制度の導入にも支障をきたし、実施が数年遅れる事になりかねない。

 悪くすればこの計画自体が水泡に帰す可能性だってあるのだから。


「セイラ様、シャピに…シャピには来ていただけないのでしょうか?」

 カロリーヌが泣きそうな顔で私に懇願してくる。

 ノース連合王国の使節団はカロリーヌの母君が取り仕切って対応をしているそうなのだが、この先教皇派のペスカトーレ侯爵家の関係者やその息のかかった、陪臣や商船主、官僚などがやってくると手に負えなくなってくる。

 さすがのカロリーヌも不安のようだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――

この物語はフィクションで、実在の人物・団体とは一切関係ありません

特に某国の某料理に対して何ら悪意は有りませんし、モデルでもありません

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