第124話 ポワトー枢機卿
【1】
昨日のセイラの治癒治療は少々きついものがあったが、今日は簡単な治療で術後の体調も良好だ。
春のジャンヌの辛い治療を乗り切って、ここ最近は体調も良い。
闇の聖魔法の治癒の際にジャンヌが体調が戻れば食べられるようにと考案してくれた蒸しプリンを、届けてくれるデルフィーナと一緒に食べるのが最近の午後の楽しみだ。
明るく陽気なデルフィーナが話してくれつ痛快な、孫娘のカロリーヌやセイラやジャンヌの噂話を聞くのは楽しくて仕方がない。
北海の海賊船の事件やギリア王国の戦争の話など、シャピの商船団が関わって大活躍をしているようではないか。
今日はどんな話をしようと考えているとそのデルフィーナの叫び声が響き渡った。
それと同時に処置室の扉が閉じられて治癒術士たちが全員枢機卿の前に並んで盾になる。
デルフィーナの叫び声は枢機卿に対して避難を告げる言葉であったことは耳に残っている。
デルフィーナが危険に晒されている。
慌てて立ち上がろうとした枢機卿を数人の治癒術士が押さえて何かされたようでそのまま意識が遠くなってしまった。
【2】
あれからどれくらい眠っていたのだろう。
ポワトー枢機卿が目を覚ました時には未だ処置室の中であった。
開かれた病室に続くドアの向こうには幾人かの州兵がバルコニーや廊下のドアの前に立ち、メイド達が床の掃除をしていた。
バルコニーに向かうガラスドアは壊れた様で木の板で補修がしてある。
処置室の中を見回すとアドルフィーネとか言うメイドがソファーに座り州兵たちになにやら指示を出している。
疲れた顔で目の下にはクマが出来ているが気丈にもローテーブルで手紙を書いては州兵に持たせて送り出して行く。
そして反対側のベッドのまわりには多くの治癒術士が周りを囲んで何やら治療に余念が無いようだ。
…そうだ! デルフィーナだ。
ポワトー枢機卿は慌てて体を起こす。
「枢機卿猊下が目を覚まされたぞ!」
「すぐに食事をお持ちしろ!」
「猊下、まだ起きては体に障ります。いましばらく横になっておいてくださいまし」
「それどころでは無い! デルフィーナは? デルフィーナはどうなっておるのだ」
「落ち着いてくだされ。デルフィーナは…デルフィーナの命は無事です…」
「本当か? 偽りは申しておるぬだろうな」
「ええ、今治癒士の総力を挙げて治癒に専念しております」
治癒に専念…という事は。
「それで! デルフィーナは助かるのだろうな!」
「猊下、あまり興奮なさらずに」
「しかし…。結局何が起こったのだ? デルフィーナは?」
「先ずデルフィーナですが、命は必ず助けます。セイラ様が全力で聖魔法で癒して下さいました。それが無ければあのまま…。デルフィーナが命を懸けて枢機卿猊下を守り抜こうとしたのですから、ですからここからは私ども治癒術士が命を懸けてでもデルフィーナの命を繋ぎます」
「分かった。それでセイラ殿に礼を述べたいのだがどこにおられるのだ」
「それが…実は」
そこから治癒術士たちが枢機卿の容態を見ながら、事の成り行きを枢機卿に説明し始めた。
ポワトー枢機卿は思ったよりも淡々と落ち着いて聞いている様だが、枢機卿本人の心はどんどん冷えて怒りがつのって行くのを感じていた。
「すまぬが、デルフィーナの様子を見せてくれまいか。もう心を乱す事は無い。あの娘の覚悟を無駄にするような事はせん」
「わかりました」
周りを囲んでいた治癒術士たちがデルフィーナのベッドを離れた。
風属性の術士に呼吸の補助をされながら眠るデルフィーナは、全身に包帯が巻かれその上から白い薄物の衣服を着せられていた。
それよりもベッドの横に積まれた切り裂かれた衣服が大量の血にまみれている。
「血が、血が足りぬのではないのか?」
「意識が戻りませんので食事をとらせる事が出来ないのです。でも水分も栄養も私たちの水魔法で補充する事が出来ます。デルフィーナの若い体力が有ればきっと耐えきります。ですから枢機卿様も」
「ああ、分かっておる。この仇は必ず打ってやる」
「枢機卿様、怒りも又生きる力になります。でもデルフィーナと共に生きる努力こそお願い致します」
治癒術士たちはそう告げるとデルフィーナのベッドを別室に移動すべくストレッチャーを準備し始めた。
「待て、待ってくれ。出来ればその娘をここに、儂の横に寝かせて治療できぬものだろうか。ここなら設備も整い安全も保障される。何より儂がデルフィーナの回復を見守ってやりたい」
「わかりました。でも若い娘ですから衝立は立てますがご容赦ください」
「あっ、ああ、そうじゃな。これは無礼であったな。デルフィーナが目を覚ましたら謝っておいておくれ」
それから暫くして夕刻にセイラカフェから沢山のメイドたちが彼女の両親を伴なってやって来た。
恐縮して中に入れないメイド達と両親に枢機卿が声をかける。
「さあ、遠慮なくデルフィーナを見舞ってやってくれ。まだ目が覚めぬが皆の声を聞けば目を覚ますやもしれん。デルフィーナが来なければ儂は今頃骸であった。ただこんな事に巻き込んでしまった事はデルフィーナに伏して謝罪しても謝罪しきれんのだ」
「枢機卿様、もったいのう御座います。この娘も守るべき人を守った事に後悔はないはずです。私たち夫婦の誇りの娘です」
「ええ、わたしどもセイラカフェの鑑です」
「違うぞ、其方らの信条は知っておる。命は金で買えん。そのなのだろう。その信条を守るためにセイラ殿はアジアーゴに向われた。我がポワトー伯爵家は必ずやセイラ殿とデルフィーナの命を繋ぎ止めて見せる」
「デルフィーナ、聞こえているかしら、ポワトー枢機卿様の声が。あなたの守りたかった枢機卿様は無事ですよ。だからあなたも枢機卿様にお声がけを」
ポワトー枢機卿は車椅子でデルフィーナの側によると手を握り締めた。
日が暮れてセイラカフェのメイドが一人残り彼女の両親たちも帰って行ったが、暇を見ては枢機卿はデルフィーナの手を握り続けた。
「すっすうき…けい…さま」
「デルフィーナが、デルフィーナが目を開けました」
「おお、おお、デルフィーナ」
ポワトー枢機卿はそれを聞くとベッドを降りてヨロヨロとデルフィーナのベッドに向かって行く。
慌ててセイラカフェメイド達が駆け寄り両脇を支える。
衝立がのけられて治癒術士に肩ををかかえられてながら枢機卿はデルフィーナのもとに向かった。
「ああ…すうきけいさま…良かった」
「それは儂の方だ。よくぞ目を覚ましてくれた」
デルフィーナの手を握るポワトー枢機卿は目の前が涙で霞むのがわかった。頬を涙が伝う。
【3】
その後デルフィーナは肉や野菜をたっぷり煮込んで採ったコンソメスープを飲んで眠りについた。
治癒術士によればこうしてスープが飲めるようなら、少しずつ食事量を増やして行く事が可能だという。
時間がかかるかも知れないが失った血を少しづつ食事で増やして行き回復できると太鼓判を押した。
ポワトー枢機卿もデルフィーナの横で夕食をとった。
いつもより空腹感が増してスープをお代わりした。そしてセイラカフェから差し入れられた蒸しプリンも我が儘を言って二個も食べた。
その夜はこんな状態なのにとても安らかに眠る事が出来た。
これまで治療やポワトー伯爵家の為の延命や孫たちの行く末に心を奪われてき過ぎたようだ。
デルフィーナが無事であったという安心感が今日だけは心を安らかにしてくれたようだ。
明日からはこの報いを受けさせるために又気を張り詰める日々を送る事になるのだから。
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