第123話 アジアーゴ大聖堂の狂犬(2)
【3】
薄暗い廊下を進んでゆくと、奥まった先に向かい合わせの四つの部屋のドアが見えた。
その部屋の前は鉄格子の扉で区切られて、中に男が一人扉の向こうに立っていた。
鉄格子の扉が開かれて私たち五人が招き入れられる。
奥の二部屋の扉が開いている。
「ルイーズ、右側の部屋にしましょう。南東に向いているから少しは日も照らすでしょうから」
「おい! 一人はこちらの部屋…」
「あーん? なんて言ったの? もう一度言ってみて」
「いや、もう良い。さっさと入れ」
私たちが入ると分厚い樫の木のドアが閉まり、鍵がかけられる音がした。
思ったように部屋の中は木製のベッドと椅子、そしてテーブル。天井は高く、その天辺に小さな細長い明り採りの窓がついている。
当然のごとく燭台やロウソクはないが、水瓶もコップもないのは嫌がらせだろう。
夏至前の日は長いので明かりはあまり不自由しないだろうが、水は手で受けて飲まねばならないので面倒だ。
まあ、しばらくの辛抱だし水はドアの端で受けて入口を水浸しにしてやればいい。
「セイラ様、朝食は供されるでしょうか?」
「どうかしら? 上からは指示が出るでしょうけれど教導騎士の奴らは私への怨みが骨髄に達しているから無視するかもね」
「そうでしょうね。持ってきても食べられないような物しか出されないような気がします。汚物を持ってこられるくらいなら何も持ってこない方がマシですよね」
そんな話をしつつ私は樫の扉に探りをいれる。
樫の木の板に鉄の錠前が付いた扉。これなら周りを焼き切れば錠前ごと外れてしまうだろう。
「念の為細工だけはしておきましょうか」
錠前の上下の樫の板を細く焼き切って筋目を入れてゆく。あとは縦に一本筋目をいれると終わりだ。
「どうかしらルイーズ?」
「多分私が力いっぱい蹴れば壊れると思います」
「じゃあ後をお願い。高温度の火魔法は結構消耗するの。少し眠るから」
この調子じゃあ呼び出しは午後になるだろうか。それまで英気を養っておこう。
【4】
聖堂の鐘楼から午前の五の鐘の音が聞こえた。
結局朝食は来なかったようで、ルイーズはベーコンとチーズで食事を済ませていた。
私はルイーズに手のひらに水を注いでもらい一飲みするとソーセージとチーズを取り出して腹ごしらえをする。
その間にルイーズはベッドで休ませておいた。
寝てばかりのようだが、この二日間馬車で揺られてかなり消耗しているのだ。ベッドで眠れるのは体力回復にもってこいなのだから。
午前の六の鐘がなったとき部屋ののぞき扉の蓋が開いて騎士らしい男が顔をのぞかせた。
「飯だぞ!」
除き扉の板の上に載せられたトレイには水の入ったジョッキが二つと皿に乗せられた腐臭のする肉塊が二つ。
薄ら笑いを浮かべてこちらを覗き込む男めがけて、私はジョッキの水を沸騰温度近くまで上げて注ぎかけた。
「ギャーー!」
悲鳴が響きしゃがみ込んだ男の頭あたりにもう一つのジョッキの水を熱湯にして更に注ぐ。
その上から腐肉を皿ごと落として言い放った。
「肉はお返しするわ。あなた方でいただいて頂戴」
食事を持って来た騎士の気配で目を覚ましていたルイーズが私の横で不思議そうに言う。
「教皇はセイラ様の力を望んでいるでしょうにいったい何を考えているのでしょう」
「教導騎士団が暴走しているのよ。教皇は手厚くもてなせとでも命じているのではないかしら。私は教導騎士団の怨嗟の的だもの」
事実、襲撃に行って死んだ三人や馬車で帰って来た七人にも友人や縁者がいるだろう。当然、今朝私が首を折った騎士にもだ。
彼らの立場では私を許せないだろう。
何よりもアジアーゴ教導騎士団の体面をここまで傷つけられて許せるはずがない。
「セイラ様、又怨嗟の対象を増やしましたね」
「当然でしょう。商人の立場として売られたモノはケンカでも…」
「買うのが当然ですよね。それも出来るだけ安値で」
そういう事だ。
さすがはセイラカフェメイドのトップクラスにする為に鍛えただけの事はある。
どうせここの治癒術士どもは治癒力を高める方法しか出来ないのだ。
あの馬車の七人は今更治癒力を高める治療を行っても合併症を治す事は出来ず苦痛を長引かせるだけだ。
リオニーの毒にやられた二人に至っては解毒方法も解らないし、馬車を降りた時には意識不明の瀕死だった。
今朝の騎士など教導派の治癒術士には骨を繋ぐことすらできないだろう。
今の騎士だって熱傷度数は二度以上、頭から肩にかけての重度熱傷。二度で体表面積十五パーセント以上なら放っておくとまず長くはもたない。
外ではバタバタと人が走る音が聞こえて怪我人を引き摺って行く音がする。
「セイラ様、ベッドのマットは降ろしてこちらに運びましょう。次に何かするならあの天窓が怪しいと思うのですよ」
ルイーズの言う通りだろう。
天窓から熱湯でも流し込まれては、すぐ下にあるベッドに寝ているとさっきの騎士のようになってしまう。
午後の三の鐘が鳴るがまだ呼び出しも何もない。
部屋の扉の隅にマットを移して二人で並んで座りまたチーズとベーコンとソーセージを食べる。
夕食も無くこのまま朝を迎えるとなるとさすがに食糧が心細くなる。
「日が沈んで動きが無ければここを出ましょう。鉄格子の内側の見張りが鍵を持っている筈だから、出て直ぐに制圧すれば抜け出せるわ」
「なら午後の五の鐘を合図に動きましょう。セイラ様が鍵を蹴破って下さい。私がすぐに飛び出して門番を制圧します」
そんな話をふたりでしていると、いきなり天窓から何かが大量に何かが注ぎ込まれた。
吐き気をもよおす鼻を突く異臭、あいつら汚物をぶちまけやがった。
もう怒った!
「ルイーズ! やるわよ」
私は樫の扉に飛び蹴りをかます。
樫の扉は驚くほどあっさりと破壊音を響かせて開いた。
樫の扉の前で中を伺っていたらしき門番はその勢いで吹き飛んで反対の部屋の扉にぶち当たった。
横に一緒に立っていた騎士めがけてルイーズが飛び掛かると大内刈りをかける。
運悪く態勢が不安定だった騎士はそのまま顔面から床に叩き付けられて、顔面と首をやったようだ。
「ねっ、ルイーズ。受け身が出来ないという事は恐ろしいでしょう」
「ええ、勉強になります」
私はそう言いながら門番を片羽絞で絞め落としながら指導する。
鍵を奪い鉄格子扉の前に来ると廊下の向こうから騎士が一人突っ込んで来て、棍棒のようなものでいきなり鉄格子を叩いた。
棍棒の端は格子を抜けてこちらに突き出されている。
私はその先を掴みながら言った。
「ヤバいわね。針金か何かあればあいつの首にかけられるのに」
「ちょっと待って下さいセイラ様!」
そう言うとルイーズはメイド服の襟のリボンを解くと胸に手を突っ込んでゴソゴソと動かすと長い針金を取り出した」
私が棍棒を力一杯引っ張ると騎士はそのまま鉄格子に体ごとぶち当たる。
ルイーズが間髪入れずに鉄格子に針金を突っ込むと、反対側の端を鉄格子から手を伸ばして掴み、騎士の首に巻きつけて鉄格子の内側で締め上げた。
これで騎士は鉄格子からすぐには動けない。
「ルイーズ一体その針金は?」
「えっ、これは胸当ての…ほら胸が落ちないように固定するワイヤーを引き抜いただけで…」
私はポシェットの革紐を外して騎士の首に幾重にも巻き付けながら絶句する。
「なんで? なんでルイーズがそんなものを…私は…私はつけてないわよ」
ルイーズは悲しそうな気の毒そうな目で私を見ながら交代して革紐を鉄格子の内側で堅結びに結んでいる。
「ルイーズそいつの首の革紐に水を掛けて」
私はそう言いながら鉄格子のカギを開いて外に出た。
二人で廊下を歩いて車寄せの有った裏庭にまで出ると慌てた数人の騎士がこちらを見ている。
こいつ等の誰かが汚物をぶちまけやがったんだろう。
すぐ横の厩舎には鞍を乗せた馬が何頭か繋がれている。
「これ以上ふざけた事をするならこのまま帰っても良いのよ。どうするつもり? あなたたちのお仲間は三人とも下で虫の息よ。どうするの? もし教皇に取り次ぐ気が有るならジョバンニにでも迎えに来させなさい。今すぐよ! そうで無ければ私たちは帰らせて頂くわ」
私の啖呵を聞いて騎士の一人が慌てて聖堂の中に駆け込んでいった。
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