第125話 カロライナ別邸
【1】
随分と熟睡できたようで久しぶりに頭がすっきりとしている。
デルフィーナはまだ眠っている様だが、治癒術士によると夜中に一度目を覚まして柔らかく煮込んだ肉のスープを少し食べたそうだ。
ポワトー枢機卿は静かに隣の病室に移るとそこで朝食をとりながら、早速シャピに向かって書簡を書き始めた。
ポワトー枢機卿は翌朝目を覚ますと直ぐに報復の手段を検討し始めていたのだ。
「誰か、聖堂騎士を三人ほど呼んできておくれ。いや、州兵より聖堂騎士が良いのだ。早馬を、いや伝馬船の方が早いな。港に伝令を飛ばして準備をさせてくれんか。それから…アドルフィーネが司令塔だろう。すぐに呼んできてくれ」
給仕のメイドに告げて直ぐに連絡に走らせると、時間を置かずにアドルフィーネがやって来た。
少しは休んだ様で昨日よりはやつれがマシになっている。
「このようなお見苦しい姿で申し訳御座いません。髪を整える暇も御座いませんでしたので」
「いや、其方の心労は理解しておるつもりだ。ソファーに横になって聞いてくれても良い」
「その様な訳にはまいりません」
「ならせめてソファーに座れ。少し打ち合わせがしたが、その後は鐘二つ分の時間は儂が指揮を執る。其方は眠れ、これは其方の上司に替わっての命令じゃ。これでも奸計を巡らせてきてここまで上り詰めたのだ。教導派の汚い部分は其方より良く理解しておる」
「わかりました。その様にさせて頂きます」
「なら良い。それでじゃ、今聖堂騎士を呼んでおる。すぐにシャピに発たせて息子のマルテル・ポワトー大司祭をここまで引き摺って来させる。ついたなら直ぐに枢機卿として見解を発表する。そこで頼みなのだが声を大きくして送る方法が有ると聞いたのだ。儂の声明文をマルテルに代読させるのだが、カロライナの港全体で聞こえるようにできるであろうか」
「ええそれならばシャピの大聖堂に設置されておりますし、追加部品もオーブラック商会で直ぐにでも調達できますでしょう。大司祭様と一緒に風属性の術師と共にこちらに運ばせましょう」
「うむ、有難い。それで声明の草案なのだが、襲撃者については今のところはオーブラック州からの刺客として扱おうと思う」
「…何故? アジアーゴの聖堂騎士の関与は明確では御座いませんか」
「アドルフィーネよ、疲れておるぞ。切れ味が鈍っておるな。その事実は我らの切り札になる。余計な情報は与えるな。今のところはオーブラック州とポワチエ州のルーション砦を巡る争いじゃ。北部教皇派に参戦の口実を与える必要はない。…今はな」
「そうでした。やはり疲れているようで御座いますね」
「すまぬが休んだ後で良いから草案に目を通して修正が有れば手を加えてくれ。どうせ声明の発表は午後になるのだからな。それと懸念事項が有るので何か手が有れば意見が欲しい。ここ最近の情勢は噂話程度しかわからぬのでな」
「何でございましょうか。リオニーからも報告が入ってきておりますのでそれも併せて出来る事ならば」
「アドルフィーネよ、アルハズ州とオーブラック州の州境を封鎖するよい方法はないものか」
「さすがにどちらも敵地ですから難しゅうございますね」
「アントワネット・シェブリはまだアリゴにおるのであろう。どうしてもあの女をオーブラック州内に釘付けにしたい。アジアーゴに合流されれば面倒じゃからな」
「それは理解致しております。それではリオニーに宛てて早馬を走らせて対策を考えさせましょう」
そう言って早速ソファーの上で手紙を書き始め、すぐにサーヴァントを呼んで早馬の指示を出した。
「なら治癒術士よ、アドルフィーネを拘束して処置室のベッドで睡眠につかせなさい。この娘は部屋を出てしまえばろくに休まずに動き回るに決まっておるからな」
「なっ…枢機卿様、それは」
「命令と申したぞ。デルフィーナの横についてやってくれ」
そうしてアドルフィーネは無理矢理に鐘二つ分の睡眠をとらされることとなった。
【2】
カロライナの港ではあちこちに大きなラッパのような装置が取り付けられ始めた。
午後の一の鐘が鳴る頃にはポワトー枢機卿猊下からの声明が読み上げられるという先ぶれが街中を走っていた。
昨日の午後にポワトー伯爵家の別邸で大きな戦闘が有った事は街中の殆んどの者が知っていた。
ただ詳細が分からぬまま憶測が飛び交っていたのだ。
街の住民の間には、三年前まで幅をきかせていた教導派の生き残りが反乱を起こしたのではという憶測が飛び交っている。
領内はもとより州全体も清貧派のカロリーヌ・ポワトー
午後の二の鐘が鳴る前にスピーカーから街中に声が響いた。
『皆聞いて欲しい。昨日オーブラック州の反獣人属の教導派の刺客が別邸を襲い儂の命を狙ってきた。儂の命を守って獣人属のセイラカフェメイドであるデルフィーナは瀕死の重傷を負っておる。儂も病ゆえ長く話せんので後はマルテル・ポワトー大司祭が声明を代読する』
『代わって父…枢機卿猊下の書をだい…代読する。あっ、マルテル・ポワトーである。…ああ、ええ…』
どうにか顔面蒼白のポワトー大司祭は詰まりながらも声明文を読み上げ始めた。
『しっ、市民諸氏よ!今、我々の平和な日々を打ち砕き、我が街を血で染めた者たちがいる! オーブラック州からの刺客どもである! 彼奴は、我が別邸を襲撃し、武器も持たぬまま別邸を守ろうとしたメイドやサーヴァントたちを惨殺した。その中には、デルフィーナのような信義に熱き勇敢な獣人属の娘まで含まれておった! デルフィーナは我がちち…ちち…枢機卿様を守る為命を懸けた我が街の誇りである』
大司祭は要らぬことを口走りながらもどうにか読み上げている。
『なぜ、このような惨事が起きたのであろうか? それは、オーブラック州が、罪のない獣人属を迫害し、彼らの財産を奪い、命を奪っているからである! 彼奴は、教義を曲解し、獣人属を悪魔と呼び、人として生きる権利を否定しておる。州の領主から一般市民に至るまで、この残虐行為に加担しているのである!』
そろそろ大司祭の口上にも熱が入ってきた。
『市民諸氏よ、隣人に獣人属はいるであろう。また自身の家族、友人、そして愛する者を思い出して欲しい。もし、彼らが獣人属と同じ立場であったなら、今、オーブラック州で起きていることと同じような悲劇に見舞われていたかもしれん。このような残虐行為を許すことは、我らの良心と正義を裏切る行為である!』
義憤に満ちて聞いていた市民たちから怒りの声が上がり始めた。
『今、オーブラック州の海軍基地には、多くの獣人属の水兵や、ポワチエ州から来た出稼ぎの市民たちがいる。その中には諸君らの隣人もいるであろう。彼らは清貧派であるという理由だけで、作業員の町は襲撃を受け、家を焼かれたのだ。カロライナの、そしてポワチエ州の市民諸氏よ! この怒りを胸に、立ち上がるのだ! オーブラック州の蛮行を許さぬために! そして、我が街の、我が州の平和を取り戻すために!』
作業員の街が焼かれた事が告げられると港の市民たちの怒りは頂点に達した。
『今回の枢機卿暗殺未遂事件は、オーブラック州が我が州へ侵攻しようとしている明確な証拠である。彼らに立ち向かうため、我々は団結し、力を合わせなければならぬ。共に立ち上がり、正義のために戦うのだ!』
この州で一番の権威を持つ枢機卿を狙ったこの事件の概要と声明の内容は瞬く間に州内に伝えられ、水運業者や荷受業者の口を介して周辺の清貧派や清貧派シンパの中立諸州に広がって行った。
【3】
アルハズ州とオーブラック州の州境の封鎖はアルハズ州の州都騎士団の協力を得て封鎖できる算段がたったとリオニーから連絡が来た。
なにやらオーブラック州の州境周辺では急に反領主派の脱走農民が増え始めて、州境を越えようとする隊商や荷駄を襲い始め完全に西からの流通が停まってしまっているという。
州兵や州都騎士団もその脱走農民を追って州境に大量に展開しているらしい。
こうしてオーブラック州は完全に孤立し始めているが州都アリゴではまだポワチエ州の状況の全体像はおろかポワトー枢機卿襲撃の成否すら把握できていな状態が続いているだろう。
そして事件より三日たった早朝にポワトー枢機卿に面会を求める者がやって来た。
先に応対に出たアドルフィーネは思わぬ来客に少々驚いたがポワトー枢機卿に取り次ぐことにした。
「枢機卿様、王都よりいらしたお客様です。枢機卿様は御存じないと思いますが、ハウザー王国の人属の方で、留学生の王子殿下、王女殿下の
「ハウザー王国の? 何かあちらの情報を持って来られたのかのう。お通ししてくれ。内密の事ならば不味いので一旦治癒術士は退かせよう。アドルフィーネよ、其方だけ同席してくれるか」
そう言われてポワトー枢機卿の病室は枢機卿一人となった。
アドルフィーネに誘われて入って来た黒衣の中年夫人は部屋に入りドアが閉まるとポワトー枢機卿の前で深々とお辞儀をして言った。
「お久しぶりで御座います、ポワトー枢機卿様」
「そっ…其方は!」
ポワトー枢機卿は頭をあげたド・ヌール夫人の顔を見るなり絶句してしまった。
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