第126話 卒業舞踏会(1)
【1】
カブレラス公爵令嬢のエスコートはその父君であるカブレラス公爵であった。
リチャード王子がエスコートするのではと噂されていたのだが、昨年の舞踏会でダンスを拒否された上公爵家から正式に辞退の連絡があったそうだ。
昨年の舞踏会のエントランスでの出来事はかなり尾ひれがついて喧伝されており、女子生徒からのリチャード王子の評判はすこぶる悪い。
そう言う事からも有力高位貴族との縁組が難しいという事は、リチャード王子殿下に非常に不利に傾いている。
そしてこの夜に話題となった出来事は二つ。
アントワネット・シェブリ伯爵令嬢の繻子織り、すなわちサテンの絹生地を使った豪華なドレスが注目を引いた。
そしてエスコートにやって来たジョバンニ・ペスカトーレの教導騎士団風の騎士服にアントワネットと揃いの長い絹地のシュールコーといういで立ちであった。
初夏のオークションで鯉をデザインした繻子織りの生地をペスカトーレ侯爵家が競り落としたいう事は聞いていた。
ゴッダードの絹糸市場では殆どがハスラー聖公国に入札されており、未だ満足ゆくような絹生地はハスラー聖公国産でも出回っていないのだ。
どうも大きな滝登りの鯉のデザインは目新しさと色合いで目を引いているようだが、ジョバンニの背中やアントワネットの裾から胸にかけての鯉の滝登りの図柄は、私てきには反社の紋々の様にしか思えない。
二人並んでエントランスの階段を降りる姿は極妻とチンピラの様で、私一人がツボにハマってしまって笑いを堪えるのにとても苦労した。
ジャンヌはエントランスの向こうで多分口惜しくてだろう、口元を抑えて涙を流しているというのに。
そして卒業生の女子生徒の入場が終わると、エントランスに在校生の男子たちが入ってくる。
当然その先頭に立つのは王族だ。
王位継承権一位のジョン王子と並んで談笑しながらエヴァン王子が入ってくる。
その後ろにイヴァンたちAクラスの近衛騎士団員とハウザー王国騎士団の正装をしたエライジャ・クレイグとエズラ・ブルックスの二人の留学生が入ってくる。
近衛騎士団第七中隊のマルコ・モンドールだけは少し離れて後ろからついて来ている。
彼らは同級生というよりも王族の護衛兵である。
その後にイアン・フラミンゴやヨハン・シュトレーゼたち上級貴族が続く。
それを見たエントランスに集う上級貴族父兄達からザワザワと声が上がった。
特に事情をよく知らない上級貴族夫人たちが眉をひそめて何やらコソコソと囁いているのが判る。
エヴァン殿下たちは聞こえぬふりをしているようだが、人属よりも耳の良いエヴァン王子に聞こえていないはずは無いだろう。
ジョン王子はエントランス内に入るや否やエヴァン王子の腕を引っ張ってずんずんと屋内に入って行った。
そして真っ直ぐにペスカトーレ枢機卿の下へと進んでゆく。
「おお、ペスカトーレ枢機卿殿、御無沙汰しております。御身が招聘されたエヴァン王子殿下をお連れ致しましたぞ。王子といってもラスカル王国より出た事も無いこの身にとって、他国の王族との交流はまたとない見識を開く場でありました。この得難き機会を与えて下された枢機卿殿には感謝の言葉も御座いません」
エントランス中に響き渡る声で謝辞を述べるジョン王子に会場に居る貴族父兄たちは水を打ったように静まり返った。
「いえ、殿下にそう仰って頂けると骨を負った買いが有ったと言う者で御座います」
ペスカトーレ枢機卿は引きつった笑顔を浮かべてそう答えた。
「余からもお礼を申し上げる。宗派や教義の
ジョン王子とエヴァン王子の気勢を制した行動によって、二人が完全に場の流れを握ってしまった。
「他の方々にもご挨拶を行いたいが先ずは枢機卿殿に御挨拶をとジョン王子殿下にお願い致しました。ご無礼をお許し願いたい」
大人しいエヴァン王子が言葉とは裏腹に鋭い目つきで枢機卿の瞳を覗き込みながら挨拶を述べる。
「いえ、ご評価いただけて幸いでありました…」
勢いにのまれた枢機卿が口籠りながら挨拶を返す。
「後は主賓の淑女たちに場を譲って、俺達は引き上げよう。他の方々にもご挨拶を行いたいがそれは後程。ご容赦くだされ」
それだけ言うと二人は踵を返して学生たちの集団に帰って行った。
【2】
「いやー、骨を折っただけの事は御座いましたな、ペスカトーレ枢機卿殿。しかしジョン王子殿下もさすがは第一王位継承者だけの事はある。あの度量の大きさが有ればラスカル王家も安泰と言うものですな」
沈黙を破って第一声を上げたのはロックフォール侯爵であった。
「ハウザー王国との友好を図る為ペスカトーレ枢機卿もアラビアータ枢機卿もご息女をハウザー王国の神学校に送られたとか。両国の平和のためにと言うその思い感服いたしましたぞ」
ロックフォール侯爵はその言動で、ペスカトーレ侯爵家が教義よりも国交を優先して動いている事を印象付けてしまった。
昨年の卒業舞踏会にも参加した上級貴族家の父兄たちにとっては、リチャード王子とジョン王子の差も強く印象づける事になり、国王派にとっては更に不利な状況を作ってしまっている。
下級貴族の女子は派閥や州の代表の上級貴族の部屋で待機して上級貴族入場後に階段を下りて行く。
平民在校生女子は上級貴族の在校生が入場する迄エントランスや一階の廊下で待機しているのだが、今年は私は平民に交じって様子を窺っていた。
特に今年からエヴェレット王女が参加するので抑止力として目を光らせていろと、あちこちでヨアンナやファナやジョン王子やついでにメアリー・エポワスも含めてそう言われたのだ。
エントランスでの上級貴族間のマウントと取り合いとは別に、夫人や令嬢たちはまた大階段の近くに集まってきた。
やはりこれから下りて来る高位貴族令嬢たちの衣装は注目の的なのだ。
「先ほどのシェブリ伯爵令嬢の絹サテンのドレスは見事で御座いましたわ」
「さすがにあそこまでの絹を落札されたのは王家以外ではペスカトーレ侯爵家とモン・ドール侯爵家だけだそうでございますわよ。王族と言ってもハウザー王国の姫君でしょう。それが高価な絹など…」
「それはお間違いですわ。そもそも絹はハウザー王国から輸入品なのを御存じないのですか」
「ええ?! それでは…」
「国王陛下と王妃殿下に初めて絹を献上したのはエヴェレット王女殿下ですわ」
「それでは、もしや今日のドレスも…」
「生地はともかくデザインがハウザー王国風ではセンスは如何なん物でしょうか」
「何でもバックにはあのシュナイダー商店やポートノイ服飾商会がついているようですから」
「わたくしは南部風のファッションはあまり好きでは有りませんわ」
「それでも王都では流行の先端などと持てはやす者もおりましてよ」
「私はハッスル神聖国産の優雅なリネンのドレスが好きですわ。教皇猊下もギリア王国と力を合わせて野蛮人のダプラ王国を成敗なされるとか。この秋からは鹿革も安く手に入るかも知れませんわ」
「あらご存じないのですか。ギリア王国はダプラ王国に敗れて国王陛下も退位なされたそうですわ。これは夫が国務官僚の兄君からうかがった事で間違い御座いませんわ」
「そう言えばうちの主人もあちらでその様な事を聞いたと申しておりましたが、ギリア王国がダプラ王国に負けるなど与太話だと思っていたのですが」
「ガレ王国がダプラ王国の支援をしてハスラー聖公国も我がラスカル王国もダプラの支援に回ったとか。いったい何が有ったのでしょう」
やはり一般の貴族婦人や令嬢たちは絹市場の情報など知らないものが多いようだ。
どうも男性貴族間でも同じのようで、今頃になってダプラ王国の敗戦が大ニュースのように語られているのを聞くと北海の戦乱の事も正確には伝わっていないようだ。
一般庶民が王都や北部や周辺諸国の物流や商品動向の情報をやり取りする様な土地はゴッダードが当たり前じゃ無くて特別なのだろう。
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