第154話 王太后の病室(1)
【1】
王太后はしばらく腑抜けたような状態だった。
不快でも腹は減る。
味だけはまあまともなので胃に入れる。
刺客が晒されたと聞いた後は随員に確認に行かせたが、その回答は期待した物では無かった。
夏の夕刻の日差しを浴びて干からびかかりハエがたかっているがその顔は間違いなく昨夜、王太后にドルチェを饗した例の刺客の顔であった言われた。
その夜は恐怖で夕食も何を食べたのか良く覚えていない。
衝立の向こうには常に多くの人の気配がする。
多分扉は取り払われて、応接の広間には監視の為の人員が多く配置されているのだろう。
その日の夜中に随員が慌てて連絡に来た。
内務省の衛兵隊が大量にやって来て警備長以下王妃の離宮の幹部達と多くの使用人を連行して行ったという。
「あ奴らは皆高位貴族の縁者ぞ! 下級貴族や準貴族とは身分が違うのじゃぞ! それを下賤の者を取りしまる衛兵隊に引き渡すなど有って良いはずが無かろう」
「されど事実で御座います。晒されておった遺体も併せて衛兵隊が引き取って行きました」
「まずい、あの者の素性が知れると。死んだのは幸いであったがなんと無様な。どうにか外と連絡を取る手立ては無いものか」
「もうこの離宮内に息のかかった者は残っておりません。なによりこの機会に事件とは関係ない不正経理や隠匿などの行為に手を染めたものも全て衛兵隊に引き渡された様で、皆怯えてこちらの部屋に近づく者はおりません」
「其方らもここの使用人に接触できぬのか?」
「常に移動の際にはケダモノの使用人が三人付き従っておりますので…」
「なあ、あちらの応接の広間に御せるような者はおらんのか?」
「あちらは全てゴルゴンゾーラの手の者で固められて信用が置ける者はいないのです。なによりケダモノのメイドやサーヴァントでは裏切る事は必定と思われます」
「くっ、何故じゃ…なぜわらわがこの様な目に合わねば成らぬ。わらわは国母ぞ、王太后ぞ…この国で一番高貴なもの成るぞ」
悔しさの涙が頬をつたう。
「ヨハネス! ヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ! 其方そこにおるのじゃろう。姿を見せい! わらわをいつまでこの様な場に留め置くのじゃ!」
王太后の叫び声を聞いてしばらくすると衝立の向こうから人影が現れた。
「王太后殿下に置かれては健啖の事で結構で御座いますな」
「ふざけるな、あれっぽっちの食事ではまるで足りぬわ! 粗末な貧民食である事は辛抱してやろう。しかし量が足りぬわ! それに貴人に対して午後のお茶も饗しないのか。公爵家が聞いて呆れるわ」
そもそも歩く事が出来ず極度の弱視である王太后にとって、本を読む事も運動をする事も出来ない。
美食と…云うよりも飽食と薔薇の薫りを愛でること以外になかった。
鈍った味覚に大量の砂糖と脂を頬張り酒を浴びて、鼻孔一杯に色も形もハッキリしない薔薇の薫りだけを押し込んできたのだ。
「それは気付きませんで申し訳なく存じ上げる。午後のお茶は明日から用意いたしましょう」
「それになんじゃこの部屋はケダモノ臭くてたまらん。どうにか致せ。薔薇の薫りがせんこの様な場所は我慢ならん」
「判り申した、善処致しましょう」
【2】
北大隊長は王妃の離宮に向かった患者に紛れ込ませた調査官より報告を受けていた。
「間違いなのかあの男の死骸で間違い無いのだろうな」
「あの顔、あの風体は間違い御座いません。血の固まり具合や硬直の状態から見て昨夜の内には屠られていたものかと存じます」
「しかし、にわかには信じられぬな。毒の投与をしくじった上屠られるなど」
「自分も我が目を疑いましたが事実であります」
「なによりも屠られた状況が見えて来ん。多勢に無勢ではあたのだろうが使用人や近衛護衛騎士すら気付かなかったのも解せぬ」
「王妃殿下の襲撃に失敗したのでしょうが、王妃殿下の側近にそこまで剛の者がおったとは聞いた事が御座いません」
「三本のショートソード、という事は相手は三人か。その刀は誰の物じゃか気付いた事は無いか?」
「それが三本とも数打ちの近衛護衛騎士への支給品で、多分離宮の予備品であったかと思われます」
「あ奴を屠るほどの騎士が専用の剣も持たず数打ちの予備品を? 尚更解せん」
「それに伏兵がもう一人いたのではと、右眼に刺さったナイフでありますがもしや毒が塗られていたとか」
「それは有りうるな。まず間違いなく毒で動きを鈍らされた後に刺されたのであろう。後は見せしめのために黒檀の机に磔られたという事か。しかしあ奴が一矢も報いずにみすみす屠られるであろうか」
「しかし王妃殿下は午後に集まった患者たちの前に姿を現しました。足取りもシッカリしており、言動も顔色も変調は見られませんでした。それに他に死者やケガ人が出たという話は今のところ聞いておりません。まあ、隠匿している可能性は無いとは言い切れませぬが」
「しかしそれでも釈然とせん。あの十二中隊の中隊長がこうもあっさりと
「自分が考えるに内通者がいたのではと…」
「多分そうなのだろうが、かと言ってそれを特定する方法も無い。あ奴は顔や素性は小隊長クラスでも知る者は殆んどいない。隠密部隊だからな。その小隊長や末端の騎士についても細かな素性が明かされておる者は少ない上、ついている任務もあ奴以外知らぬ事が多い。今回も一体段取りに誰を使ったのか把握できぬ」
「気を付けるべきは大隊長閣下や王太后殿下の所に手が伸びぬようにすることですな。早々に司法卿には手を回しておきましょう。宰相閣下や内務卿に付け入られるその前に」
「ああそうしてくれ。軍務卿も信用ならん。軍務省は財務はエポワス伯爵が握ったが肝心の実働部隊はストロガノフ如きに握られてしまった。タイミングの悪い事だ。国務卿は先の北海の騒動以降教皇庁派閥に懐疑的じゃし、財務卿は税収を見込める王妃派閥にベッタリだしな」
【3】
王太后が四日目の朝目を覚ますと部屋は咽かえるような薔薇の香薫に包まれていた。
少し前に王妃に送った薔薇の鉢植えが、夜の間にコッソリと全て部屋に持ち込まれたそうだ。
王太后はもとより随員の三人も気付かぬうちにである。
王太后の生殺与奪の権利はこちらに有ると告げられているのだろうか?。
「甚だしく不遜じゃ」
王太后はそう吐き捨てるがそれを聴く者は随員以外には居ない。
それでもお気に入りの薔薇の薫りに包まれて少しは気分はマシになった。
とはいう物の朝食も昼食も変りばえのしないメニューであった。
量も増えた兆しが無い、仕方が無いので水で腹を満たす。
そして午後の二の鐘が鳴った後にメイドがワゴンを押して入って来た。
ベッドテーブルには甘いにおいを漂わせた皿と水で無い飲み物が置かれた。
「セイラカフェと申す王都で評判の店のレシピを模しました。ふすまのホットケーキとホエーのお飲み物です」
「ふすま? ホエー? 聞いた事が無いがまあ良いわ。いただこう」
そう言うと甘い匂いのする暖かいホットケーキに齧りついた。抑えた甘さだが久しぶりの甘味は胃に染み渡る。
「美味い」
言いたくは無かったが感嘆の言葉が口をついてしまった。
続いて飲み物のグラスを取り上げてその手が止まった。
「この臭いは…」
王太后は顔を上げて口を開く。
「ヨハネス!…」
もう既に近くにヨハネス卿が立っていた。
「如何致しました? もしや毒殺をお疑いか?」
「やはりそうなのか? そうなのであろう」
「ご心配ならば俺が一口でも二口でも毒見いたしますが。まあ香りが似ております故お間違い成されるかたも稀に居りますが、これは南方産のアーモンドと申すナッツの香りで御座います。蜂蜜も入っておりますから毒見に量を割くのももったいのう御座いますぞ」
「フン」
王太后は鼻を鳴らすと
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