第153話 治癒術士の未来

【1】

 四日目の朝。

 王妃殿下の離宮の玄関から入って、南翼のエントランスホールに待合用のソファーが並べられた。

 饗宴室はあんな事件が有ったので縁起が悪いと言って閉鎖されていたが、片付けられてソファーを改造した医療用ベッドが南の窓に向かって十台並べられた。

 それらは各々衝立とカーテンで区切られて簡易の処置室が十室出来上がった。


 隣接するお茶会用のメイド控室 ―と言っても下級貴族寮の私の部屋より大きいのだが― を集中治療室代わりに改装した。

 応援の治癒術士も倍に増やし四人ずつに王立学校から治癒修道女と治癒修道士も参加する事になった。


 トリアージタグは改めて大きめの紙でカルテとして作成する事にした。この結果によって料金が決まるのである。

 取り敢えずは五段階の評価にして、重篤者は治癒施術ごとに料金を設定し直す事にする。


 離宮の前庭には人が集まりだしていた。

「みなさ~ん♪ 昨日は王妃殿下のご厚意で治癒術士へご喜捨をしていただきました~。でも今日も王妃殿下に甘えるおつもりですか~♬」

「そんなつもりは毛頭ないが、司祭殿や大司祭殿がおらぬのではおいくらご喜捨せねばならぬのかが分からぬのだ」

「当然ご喜捨するつもりで金も用意してある。よしなにお取次ぎ願いたい」


「は~い、そこで皆様にご提案で~す。初めに受けられたトリアージの五段階でご喜捨の金額がこの表のようになりま~す。でも~、さらに突っ込んだ治療をお望みならば、そこで受けるトリアージのレベルをご確認ください~♬」

 イブリンが指し示した大きな黒板にはトリアージ五段階の喜捨の金額と追加治療での更に五段階の金額が記載されている。


「なんと、こんなに安いご喜捨で…」

「わたくし、いつも聖教会にこの三倍のご喜捨をしておりましたのよ」

「何を我が家など五倍のご喜捨をしておったわ」

 いや、ぼられた額でマウントを取り合っても仕方ないだろう。


「あせもや虫刺されで~金貨を払うなんて馬鹿げてると思いませんか~♪」

「それもそうだ。治癒内容によってご喜捨の額が決まるのは全うな事だ。今からそのトリアージをお願い致そう」

「わたくしもお願い致します」

「この御喜捨なら納得できる」

 集まった患者たちが次々に離宮の中に入って行く。滑り出しは順調のようだ。


【2】

「昨日はレスターク伯爵夫人が神子様のお陰で立てる様になって帰って行かれたそうだ」

「ガーランド子爵も胃の痛みが治まって、食事が喉を通るようになったと喜んでおったぞ。さすがは光の神子じゃ」

 待合のエントランスでも昨日の治癒の話題で持ちきりのようだ。

 ただその話題が私一人の手柄の様に語られているのが非常に業腹だ。

 そこのところはキッチリと正してやらねばと、読んでいた患者のカルテを置いて立ち上がると同じ処置室の前に居たファン卿が立ちはだかった。


「おいおい、こらこら、どこへ行こうというのだ? お前の居場所はこの部屋の中だろう」

「外で勝手なことをほざいている奴らに説教に行くのよ。私は補助に徹しただけで実際に治癒施術を行ったのはフィディスちゃんやレイチェルさんたち修道女なんだから」

「だからそれを表で叫んで何がどうなる。メイドのウルヴァがお前ならきっとそんな事を言って揉め事を起こすから止めて欲しいと俺とヨハネス卿に頼みに来たからな」


「なんでウルヴァが…」

「昨日の話を聞いておったからだろう。今ここで起きているのは光の神子の奇跡、お前の名前で治癒魔法の施術に対して対価を払う正当性と獣人属が治癒施術に関わる忌避感を払拭する事だろう」

 ファン卿の言う事はもっともなのだがそれでも筋が通らないと心が訴える。


「本来であれば治癒施術の金銭など要求できる事では無いのだ。まして清貧派の獣人属治癒術士が施した治癒に喜捨を渋る者がいても咎め立てする事は出来ん。いくら建前上の事であってもな」

「…だから! だから料金表を」

「あの料金もお前が治癒をするからだろうが。目的を履き違えるな。ロックフォール侯爵家にしたところで、この後王都の館の聖堂にまで教導派の愚かな貴族共に押しかけられては迷惑この上ない!」


「ならば喜捨を…」

「奴らがまともに払うと思うか? 何より清貧派の聖堂だぞ、こちらから金を要求する訳に行かん。今のお前は神子の噂と、聖職者では無い一介の子爵令嬢の身であるから金を要求する事も払わないものの治癒を拒む事も有る程度納得されているだけだ。お前が治癒の場に出なければその喜捨を王妃殿下が着服していると思われてしまうだろうが。少しは考えろ!」


「分かったわよ。口は噤むわ。私は全ての治癒に補助で少しづつ入れば良いのよね」

「ああ、そういう事だ。この現状もそう長くは続かせん。レイチェル修道女が適齢期を迎える頃には還俗して治癒術士としてやって行ける事が可能になるだろうさ。グレンフォードの治癒院卒業という肩書が教皇庁の治癒院の名前を凌ぐようになっているだろう」


「そこにフィリポの治癒院も入れて頂きたいわね。出来てから日は浅いけれど生徒は優秀よ」

「ああ、軌道に乗れば治癒院は大きくなるぞ。王立学校に行けぬ優秀な獣人属の受け皿になる。聖教会教室が充実している南部ではそれ以上の教育の場を求める獣人属が増えておるのだが、お前の言う通り生涯不犯の戒律はハードルが高いのだ」


「光の神子の肩書は嫌だけれど、暫くは我慢するわ」

「ああそうしてくれ、その喜捨が治癒士の育成の基盤になる」

「そうね。…でもみんなはその喜捨は全部私が独り占めしてるって思わない? そうよね! 絶対そうだわ。なに、私ものすごい金の亡者みたいじゃないの!」


「違わんだろう。事実世間は…王立学校生はお前の事をそう思っているのではないのか? そんな事今更であろうが」

「何か余計に釈然としないわよ」

「まあ安心しろ。光の神子の肩書など一時の事だ。お前のデカい悪評の前では光の神子の肩書など直ぐに霞んで地に落ちる。秋には元に戻っているさ」

「…それはそれで何か嫌なんですけれど」


【3】

「みなさ~ん、燕麦なんて人の食べ物じゃないって思ってませんか~♪」

 エントランスで治癒を終わった患者を集めて賑やかな声が聞こえる。


「これはロックフォール侯爵家の厨房スタッフが~病み上がりの方の為に開発した~、とても体に優しい滋養たっぷりの粥なんですよ~♬」

 そう言いながら大きめのカップにスプーンをさした物をイブリンが配っている。


「お嫌で無ければ一口味わってください~い♪」

 ロックフォール侯爵家の提唱する料理と聞いて興味を引かれた人たちが手に取り食べ始めた。

「美味しいわ。体もあったまってすんなりと喉を通るわ」

「燕麦ってもっと硬くて不味い物だと思っていたが、味が染みている」

「スープがとても旨いのだが一体何のスープなのだ?」

「玉ねぎもキャベツもとても柔らかく煮てあるから歯が無くても食べられるわ」

「燕麦以外は高級食材が使われおるのだろうな。少なくともこのミンチ肉はとても良い部位のようだ」

「やはり食通のロックフォール侯爵家のだけの事は有る」


 さすがはロックフォール侯爵家のネームバリューだ。オートミールが高級美食の評価を受けている。

 まあ庶民では手の出ない高級オートミールである事には変わりない。


「粥用に特別加工した燕麦に~基本レシピを付けて病人食としてロックフォール侯爵家の直販店でお売りしています~♩ あのハバリー亭でもお味が認められて~販売が始まりました~♪ 入れる具材やスープの種類でお味も変わりますからお勧めです~♬」

 ロックフォール侯爵家は健康食品事業にも参入を考えている様だ。

 でも何故イブリンが?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る