第152話 治癒の喜捨

【1】

 チーズとザワークラウトとソーセージを挟んで辛子をたっぷりかけた全粒粉パンのホットドックにホットミルク。この世界にはトマトケチャップが未だ無いのが悔しい。

 王太后に出しているライ麦と燕麦の入った全粒粉パンだって聞いたけど、メッチャ美味いんですけど。

 これじゃあ嫌がらせに成らないじゃん。

 栄養補給が終わった頃には表に第一陣の馬車が入り、かなり顔色の悪い貴婦人が運び込まれる。


 こういう患者を歩かせるのも気の毒だ。取り敢えず担架で運ばせたが、私は給仕用のワゴンに板を張って可動式の手摺とクッションを並べた簡易のストレッチャーを作らせることにした。

 やはり運び込まれる患者たちはかなり重度の者もいるが生活習慣病の患者が多い。


 高血圧や動脈硬化そして糖尿病に肝硬変。

 貴族たちはなまじ治癒魔術があるばかりにこういう病気を舐めているふしがある。

 対処療法的に治癒魔法で病状の緩和を図る為、根本原因は解決されず悪化して行く悪循環だ。


「平民や清貧派の貴族はあまり贅沢を好まないからここまで病状が酷い人は余り治療したことが無いわ。知っているのは王太后とポワトー枢機卿くらいだわ」

「もう、どちらも教導派のトップでは有りませんか」

「やはりジャンヌさんの食事療法や生活習慣の改善の周知が必要ね」


 症状に応じて各治癒術士がそれぞれの判断で的確に治癒に入って行く。この手際の良さや治癒の適切さは私など遠く及ばない。

 私は各治癒治療の場に入って彼女らの指示に従って言われたところに光魔法をあてたり回復を行ったりするだけだ。

 しかし今日の治療も根本的な治癒ではない。いくら今の病巣を削除しても又復活するから対処療法だ。


 私たちがいなくなれば又この病状が悪化して行くのだろう。

 治癒術士が足りない。

 なにより教導派の治癒術士は教皇庁で修行した者しか出世できない。そして教皇庁に行くけのは貴族だけ。


 それ以外は聖導師止まりで殆んどは修道士で一生を終える。

 治癒術士は聖教会の聖職者に属する。だからその生活は喜捨で賄われ治療費はとらない。だから貴族や聖職者の庶子や下級貴族の末子が成る事が多いのだ。


 しかし本来は出世しない事に理由があった。

 治癒治療に専念するためだ。司祭職になると地域の教会の管理や祭事をこなす必要も出てくる。

 そんな中で治癒治療に割くための時間が無くなるからなのだが、いつの間にか出世できない閑職扱いを受ける様になり、専門の治癒術士を目指す者が少なくなった。

 結局ジャンヌが聖女認定される前までは、清貧派でも字の書ける平民や貧民が聖教会で職を得る手段になっていた。


 今でも教導派はその傾向が顕著で一般の聖教会では治癒術士は冷遇されている。だからカタリナ修道女の様に清貧派に鞍替えする者が増えているのである。


 しかし王宮治癒術士は違う。

 教皇庁で学んだという権威を笠に貴族や金持ちから高額の喜捨を要求しているのだ。

 多額の喜捨が無ければ治癒に赴かない。

 ジャンヌのお母さんの聖女ジョアンナはそう言った教導派聖教会の仕組みの犠牲になったのだ。

 なら教導派治癒術士不在の間にこの仕組みを逆手にとって、治癒術士に風穴を開けてやろうかしら。

 とにかく今日の治癒は一息つけた。明日は朝からまた患者が詰めかけてきそうだ。


【2】

 取り敢えず明日からできる事の相談だ。

 王妃殿下にお願いして夕食は王妃殿下の私室の応接に設えて貰った。

 テーブルには五人分の椅子とカトラリー。

 そこに料理を持ったメイドが入って来る。

「ハーイ、お料理お持ち致しました~。オードブルはキュウリとラディッシュのサラダと~カッテージチーズです~♬」

 賑やかなメイドが入って来たと思えば知った顔である。


「それからスープはセロリと玉ねぎと大豆と小エビのコンソメスープです~♪」

「あなたイブリンって言ったかしら、どうしてここに? 確かカロリーヌ様の所のメイドよね」

「は~い、カロリーヌ様がセイラ様がお困りだろうから給仕にと仰って~♩ 派遣されてきました~♩」

「姉のナデテが給仕やメイドの差配には打って付けの才能が有ると評しておりました。ナデテと気が合うのなら多分腹黒いのでしょう。給仕長不在の穴埋めにと給仕係の管理を手伝わせております」

「え~、ナデタさ~ん。ひどいですよ~♬」

 ナデテが太鼓判を押すなら問題ないだろう。


「しかし夕食にしては少し変わったメニューではあるなあ。そのパンも何やらライ麦が混じっておるのか? 何か意図が有るのかや」

「は~い、ファナ様が提唱する健康になる美味しいメニュ~だそうで~す」

「レイチェル修道女様のご意見を参考に王太后殿下には更に脂や糖分を控えたお食事を饗させて頂いております。王太后殿下の場合は滋養を採り過ぎておられたのです」

 フィディス修道女がイブリンの言葉を補足する。


「ホウ、滋養を採り過ぎても駄目なのか?」

 王妃殿下は興味深げに聞いてきた。

「王太后殿下のあのお身体は健康とは言い難く、ここにおられる間だけでも少しは体調を戻されるべきかと存じますので」

「まああの体型に問題が有るのは理解できる。お婆様の目や足もそれが原因なのか?」


「ええ、間違いなく。このままではまた同じような発作が出る可能性が高いので」

「急に~、お酒なんかを飲むと~発作を起こすから駄目だって~♪、レイチェル様が仰ってました~♬」


「脂に砂糖に酒かえ。…いくらフィディス修道女が心を砕いてもあのお方には届かぬと思うぞよ。ただの嫌がらせにしか思わぬだろう」

 王妃殿下はそう言ってため息をついた。


【3】

 二人が順番に食事を給仕して行く。

 王妃殿下、ジョン王子、そしてヨハネス・ゴルゴンゾーラ卿、そして五人目のファン・ロックフォール侯爵令息が座っている席に。

 最後の給仕を受ける私に向かってファン卿が言う。

「ファナでは無く俺を呼びつけるというのは一体どう言う企みだ? セイラ・カンボゾーラ」


「企みだなんて、今王宮での治癒施術が滞って難儀している病気の方々を救済したいだけですわ」

「心にもない殊勝なことを。どうせ教導派貴族連中の喜捨を掠め取ろうとの魂胆だろう」

「その喜捨ですが、教導派聖教会は如何ほどの金額を要求しているのですか?」

「まあそれは地位と財産によるな。取れる所からはより多く、取れなければ手を抜く。そう言うものだ」


「今、清貧派の治癒術士たちは聖職者として無償で働いています。彼らがそうしているのは治癒術士としての使命感からですが、その為なり手が少ないのです」

「ヨハネス殿の所もだが我がロックフォール侯爵家は治癒術士には手厚い待遇をしておるぞ。グレンフォードをはじめ南部や北西部は違う。それはお前が一番よく知っているだろう」


「もちろん治癒術士を養成しているのですから心得ていますが、それでも他の職業と比べれば非常に少ないのですよ。男性の治癒術士候補は特に」

「それは解らぬでもないが、聖職者自体が成り手が少ないものだ。仕方あるまい」

「それを変えたいと思いまして…。技術の高い治癒術士を還俗させて治療費の取れる職業にしたいのですよ。現に教導派の王宮治癒術士団は多額の喜捨を貰っている。なら王宮治癒術士不在の間に此処に風穴を開けてやりたい」


「成るほど、妻も夫も持てず子も成す事が出来ない。それなりの覚悟がいる職務ではあるな。それに頑張りに対して報いられる事も少ない。喜捨は聖教会に送られるものであるからな」

 ヨハネス卿が納得して首肯する。


「それで今回宮廷貴族から毟り取ろうという事なのか? それは安直ではないかな。お前が全て着服するつもりでもあるまい。かと言って治癒術士に渡しても使い方を知らぬぞ」

 ファン卿が核心を突く。ゴルゴンゾーラ公爵家もロックフォール侯爵家も治癒術士に給金を払っているのだが、彼らは大半を貧民街の炊き出しや救済に使ってしまうのだ。


「先ずは王都に有料の治癒施術所を開こうと思っています。その為の資金を積み立てておきたい。それに喜捨と併せて料金体系の改革も行います。それで王妃殿下とヨハネス卿、ファン卿にご協力いただきたいのです」


「相分かったが、もそっと具体的に申してみよ」

「とても簡単な事です。身分では無く病状や治療内容に合わせて御料金を頂くのです」

「「「「あっ」」」」

 あまりに単純すぎて四人とも気付いていなかった。いや部屋に居る者のほとんど全員が気付いていなかったようだ。

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