第155話 王太后の病室(2)
【4】
お茶の時間が終わると小柄な修道女が修道士を伴なって入って来た。それに伴い幾人かのメイドが二人を取り囲むように付いて来る。
一体何がおころうとしているのか。
訝しんでいると修道女が声をかけてきた。
「王太后殿下御気分は如何で御座いましょう」
どうも治癒術士のようだ。
「どうもこうも無いわ。最悪の気分じゃわい。家畜の餌の様な食事に茶も無い甘味も無い酒も無い何より量も足りぬ!」
「でもそこまで健啖であらせられるのなら安心いたしました」
「黙れ! わらわは不快じゃと申しておるのじゃ!」
修道女はその言葉を聞き流して手を伸ばしながら言う。
「お脈をとらせてくださいまし」
それを聞いた随員たちが一斉に怒鳴り声をあげた。
「不敬であろうケダモノの分際で」
「ケダモノが玉体に触れるなど以ての外!」
「人属がおるならその後ろの修道士にさせよ!」
「フィディス修道女様に何を言うか!」
後ろに立つ修道士が怒鳴り返した。
「あの日何が有ったのか覚えておられないのですか!」
「あの夜のことよもや忘れたとは言いますまい」
「あの時王太后殿下をお救いしたのは誰だと思っておられるのです」
メイド達も口々に反論を始める。
「なんじゃ! こ奴はケダモノの修道女か。ケダモノの分際で治癒士や修道女を名乗るなど…そうか思い出したぞ。ヨハネスが連れてきたケダモノの修道女であろう。わらわに指一本たりとも触れるではないわ」
「判りました。診療を代わって下さい、お願い致します」
「宜しいのですか? フィディス様、あの様な事を言わせておいて」
「こういう扱は慣れております」
治癒修道士は不服そうにしながらも脈拍をとり始めた。フィディス修道女は修道士の横に立ち次々と治癒施術の指導をしながら診療結果をカルテに書き留めて行く。
「それではメイドの皆さん、王太后殿下のお身体を清潔にしてお着替えもお手伝いして下さい」
メイド達が王太后の身体を拭い、着替えをさせる。
「後はシーツの交換をお願い致します」
王太后はメイド達によってベッドから降ろされて大きな椅子に座らされた。
「イブリンさんは部屋のお掃除をお願い致します」
「は~い、解りました~。少し臭いますが御辛抱くださいね~♬」
何かを霧吹きで撒いているのだろう。
イブリンというメイドが口に何か咥えて部屋のなかを行ったり来たりし始めた。
「イブリンさん、さすがに消毒迄なさらなくても大丈夫ですよ」
「は~い、分かりました~♬」
そのやりとりを椅子に座ってボンヤリと見ていた王太后の鼻孔をくすぐる臭いが薄っすらと漂ってくる。
これは…酒の匂いだ。
【5】
もう夕刻からは酒の事が頭から離れなかった。
一度スイッチが入ってしますともう我慢が出来ない。
「なあ給仕、夕飯は聖餐であろうが。ならば葡萄酒は出ぬのか。夕餉にワインなど当然であろうぞ」
メイド達はそれには答えず口を噤んだままモクモクと夕餉の準備を進める。
「王太后殿下、悪いのですが酒類は止められておるのですよ。酒毒による害はお判りでしょう」
メイドの代わりに衝立の向こうからヨハネス卿の声がする。
この男どこまで聞き耳を立てておるのだろう。
「何が酒毒じゃ。ワインなど子供でも飲むぞ。浴びるほどに飲むというならまだしも、夕餉にたった一杯のワインを饗するのも酒毒とは恐れ入る」
「さすがに子供が飲むのは水で割ったもの。そのままで飲めば子供には害で御座ろう。それに清浄な水が有ればワインやエールなど飲まずとも良いのです。汚れた水の害が酒毒より大きいので仕方なく水で割ったワインを飲ませておるのですぞ」
「そんな建前は良い。たった一杯で良いのだ。ワインを所望じゃ!」
「それはお受けできません。かわりに午後に饗した
「その様な物は…、それも所望じゃがワインを持てワインを!」
ヨハネス卿はその声を無視して部屋を出て行った。
【6】
さすがにその夜は悶々としてよく眠れなかった。
どうもヨハネス卿は頑として酒は出さぬようだ。それが薄いエールであっても。
言われる通りここで出される水は良く冷えて美味いが、温くて不味いエールでもそちらの方が良い時もある。
以前は朝食や昼食で供されるエールの不味さに切れて怒鳴り散らしたものだが、この様に飲めぬと思えばそれもまた恋しい。
そうやって無為に一日が過ぎ、五日目の朝を迎えて朝食の時間がそして昼食の時間が過ぎて行った。
午後のお茶が終わりしばらくすると一昨日と同じ様にフィディスとか言う小柄な獣人属の修道女が今日は修道女を連れてやって来た。
「今日も昨日と同じ様に体調のチェックと治癒治療を行います。さあ昨日と同じようにこちらの修道女様にお脈を診て貰ってください」
「フィディス様…修道女様だなんて、教えを乞う身に過ぎた申され様です」
そう言いながら王太后の身体を診療して行きフィディスの指示を受けながら魔力を流して行く。
「何かえ、ケダモノに教えを請わねば成らぬ程の未熟者にわらわを治療させておるのかえ!」
一瞬ムッとして何か口を開きかけて修道女をお推し留めたフィディス修道女が穏やかに言う。
「未熟では御座いません。ただ王立学校では王太后殿下の様な御病例は御座いませんので、その修行の一環で御座います」
「なんと、学生相手の治癒術士とは侮られたものよ」
王太后はそう吐き捨てると口を噤んだ。
一連の診療が終わると昨日と同じ様にメイド達が体を拭きにやって来て、着替えをさせられる。
「それではイブリンさん、後は宜しくお願い致します」
「は~い、フィディス修道女様、分かりました~♪ 王太后殿下シーツの交換とお掃除を致します~♬」
昨日の賑やかなメイドが他のメイドを引き連れてやって来て、シーツの交換と部屋の掃除を始めた。
見ているとイブリンと言うメイドは昨日と同じ様に大きな霧吹きを右手に持っている。
「ああそうだ~、フィディス様は消毒はいらないと仰ってました~。失敗、失敗~♬」
そう言うとカタリと音を立ててベッドテーブルの隅に霧吹きを置いた。
「そうじゃ! 水を持て! わらわは喉が渇いた! 早急に持ってまいれ! ゴブレットと水差しを!」
その言葉を聞いてメイドの一人が速足で衝立の向こうに駆け抜けて行く。
直ぐに銀の水差しと蓋付きのゴブレットを持って戻って来たが、椅子に座る王太后に差し出すべきか逡巡している。
「水差しなど持てるわけが無かろう! ベッドテーブルに置け。それからわらわを早うベッドに戻してたもれ」
メイドはベッドテーブルに水差しとゴブレットを置くと、他のメイドと共に王太后を抱え上げてベッドに戻した。
直ぐにメイドが水差しの水をゴブレットに注ぐ。
「ああ、喉が潤うのう。部屋が埃ぽくいかん。念入りに掃除をしてたもれ。…よい! もう自分で淹れて飲む」
王太后はゴブレットに更に水を注いでグッと飲みほした。
「気の利かん、其方らも窓でも開けて少しでも掃除を手伝ったらどうじゃ。鬱陶しくてかなわん」
その言葉にメイド達は急いで周りに散って行く。
メイド達が背を向けて掃除を始めた様なので王太后は銀の大きなゴブレットを霧吹きに近づけた。
掃除が終わってイブリンが霧吹きを回収しに来た時には、銀の水差しの隣りになみなみと水が汲まれたゴブレットが置いてあった。
イブリンはそれを一瞥すると霧吹きを持って、メイドを率いて部屋を出て行った。
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