三年春休み

閑話12 福音派の画策(1)

 ★

 神学校でビショップ卿と名乗っていた男の馬車は郊外の邸宅に向かった。

その邸宅の応接室で初老の人属男性とその邸宅の主人が相対していた。

「なかなか一筋縄では行きませんな。オーバーホルト公爵も表立って動かれる訳にも参らぬのでこうやって骨折りを申し出たのですが」

「まあそう仰られるなヘブンヒル侯爵殿。こう申しては悪いが、相手は教導派教皇の孫娘じゃ。財力も地位も有る上に教導派枢機卿の娘として育ったのですから。獣人属に遠慮はせんでしょう」


「それはそうで御座ろうが。改めてそう言われると些か業腹では有りますな。たかだか十三の子娘ごときに」

「ここは搦め手から行く方が宜しいでしょうな。我が姪がペスカトーレ枢機卿とパイプを持っておるのでその伝手を頼ってみるのも一考ですぞ」

 こんな些細な農奴売買にヘブンヒル侯爵が出てきたのはその意図が透けて見える。


 シエラノルテ子爵家にあの農奴の母親を売ったのは多分先代のヘブンヒル侯爵だったのだろう。

 先代が手を付けた農奴に産ませた娘をシエラノルテ子爵家に売ったところが、その娘の腹の中にはこの侯爵の息子がいた。

 おまけにシエラノルテ子爵まで手を出して娘迄生ませた。

 調べさせたところ確たる証拠は無いがそんな構図がそれとなく見えて来たのでバトリー子爵はこの話に口を挟んでみたのだ。


「お頼み申せるか? バトリー子爵殿」

「他ならぬヘブンヒル侯爵殿のお頼みを断れる訳も有りますまい。ましてやお世話になっておるオーバーホルト公爵閣下の御用向きと有れば尚更でしょう」

「かたじけない、バトリー子爵殿」

 ペスカトーレ枢機卿とのパイプをこんな事に使いたくないがヘブンヒル侯爵家に恩を売れるこのタイミングは捨てがたい。


「ただうまく事が運ぶかどうかは別で御座いますぞ。なにしろあの娘はかなり頑なになっておるように見受けられますのでな」

「それは仕方無いでしょう。あの年ごろの娘は世のことわりの理解がまだまだ薄い上についておる護衛や治癒修道女も何やら甘やかしておるようですからな」

「その辺りは王族や教皇の関係者なので媚びておるのでしょう。本当に困ったものですな」


 ルクレッツアに交渉を持ちかけた貴族はどうも南部の農奴を使った奴隷制領地の貴族が集まる第三王子派の様だ。

 オーバーホルト公爵令嬢の父が率いる奴隷制推進派で、この人属は元隣国であった大公国の大公の子息、メリージャ大聖堂の大司祭であるダリア・バトリーの伯父のようだ。

 農奴の虐殺で国を潰した大公の一族である。

 彼らのおぞましい思惑がなんとなく想像できそうではないか。


 ★★

 その頃福音派総主教の家系であるテンプルトン子爵家も忙しく動いていた。

 留学先のラスカル王国で着実に地歩を固めつつあるエヴァン第二王子に対する焦りがあるのだ。


 エヴァン王子は頭は切れるが線が細く力強さに欠けるが、妹のエヴェレット王女がそれを補って余りある。

 何より人望が厚く留学先について行ったエズラ・ブルックスやエライジャ・クレイグだけに留まらず、国内の若い貴族たちに信奉者が非常に多い。

 その上後ろ楯のサンペドロ辺境伯を始めとする北部武闘派の貴族たち清貧派聖教会の勢力を追い風にして、ラスカル王国やハスラー聖公国との交易で巨大な財力も有している。


 それに対してテンプルトン子爵家を筆頭に福音派聖教会が後押しをするジョージ・ディッケルク・ハウザー第一王子は短慮で粗暴と言う評判通りで、貴族の間でもあまり評判は良くない。

 ハウザー王国西部の重鎮でやはり武闘派であるプラットヴァレー公爵の強力な支持があってこそ今の第一王子としての立場を保っているが悩ましい存在である。


 かといって清貧派ベッタリのエヴァン王子一派を福音派総主教として支持するわけにはゆかないのだ。

 ハウザー王国出身の清貧派の聖導女がラスカル王国で清貧派領地の筆頭司祭になっている。

 それを皮切りにラスカル王国では清貧派の獣人族司祭が続々と誕生しているのだ。


 これを座視していれば今の福音派聖教会の秩序が崩壊してしまう。

 本来種族平等を謳う福音派聖教会にとって農奴制もさることながら、この聖教会内での階級差こそが一番のウィークポイントなのだ。

 国民の三分の二以上が獣人族でその混血も多いハウザー王国内で人属の貴族が権力を維持するためには福音派聖教会の上位職を独占し続けるほかに方法は無い。


 そうなるとジェイムズ・ペッパー・ハウザー第三王子の派閥は幼い王子を南部の貴族たちが牛耳り、さらに南方の獣人族の小国からの支持も取り付けている。

 この派閥に与すれば獣人族貴族からの圧力に抗することができない。


 福音派聖教会にとってここは暗愚であろうが粗暴であろうがジョージ第一王子一択しかない。

 なまじ暗愚ならば使いようもある。

 王として即位してしまえば金と女をあてがっておけばどうにかなりそうな本当に暗愚な男である。

 そう考えればエヴァン王子よりもずっと御しやすい傀儡になりそうにも思える。


 ★★★

 福音派総主教であるグレゴリウス・テンプルトン三世から留学生たちに聖餐会の招待が来た。

 ローティーンの女子神学生にまさかとは思ったが、よくよく考えれば王族や枢機卿の一族の留学生である。

 今までそういった招待のなかったことの方が不自然なのかもしれない。


 名代として書簡を受け取ったテレーズはそう考えて納得した。

 納得したが、だからと言ってそうすんなりと受け入れられるものでもない。

 そもそもこの留学の発端はサンペドロ辺境伯家とロックフォール侯爵家の利害が一致した事と、メリージャのダリア・バトリー大司祭の思惑がペスカトーレ枢機卿の企みに合致したためである。


 この留学は福音派聖教会の頭越しに進められて、総主教は蚊帳の外に置かれていたのだ。

 留学が決定した時点で福音派は寝耳に水の状態であったらしい。

 そう考えれば四人の留学生に良い感情を抱いて居ようはずがない。何よりも教導派ベッタリの現ラスカル国王の娘と教導派枢機卿や大司祭の娘、それも一人は教導派教皇の孫娘なのだ。


 招待を断る訳にはゆかないがかなり不快な事になるのは覚悟しておかねばならないだろう。

 留学生の随員は総出で向かう必要があるのだが、とは言うもののそうするとルイージとカンナの保護が手薄になる。


 テレーズとケインは同伴するとして、メイドの同伴も必要だろう。

 マルケル・マリナーラ聖堂騎士一人では荷が重いし、カンナが怯えるのでルクレッアが納得しないだろう。

 カンナが懐いているのはシャルロットとベルナルダだが、シャルロットはハウザー王宮に関する知識も豊富なので外すわけにはゆかない。

 ルクレッアのメイドのベルナルダはルイージとカンナのために残しておくことにする。

 後は情報収集を行うだけだ。

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