第61話 王都大聖堂の攻勢

【1】

「白パンを寄越せとは、愚民どもが増長しおって。少し甘やかすとつけあがる貧民どもめが」

「しかし枢機卿猊下、これで当面の王都の安寧を買えたと思えば安いもので御座いましょう。なによりジョバンニ様の名声はいやおうなく高まっております」

 王都中のすべての教導派聖堂を統括する王都大聖堂は実質的にはペスカトーレ枢機卿の支配の下にある。

 アントワネット・シェブリ伯爵令嬢は以前と同じように枢機卿執務室に呼び出されていた。


「まあお前の思惑どうりではあるがな。おかげでわしは泥をかぶっておるぞ」

「何を仰るやら。枢機卿猊下も教皇猊下の間違いを正されて英断を行われた聖職者として讃える者も多くおられるのですよ」

「ハハハそして教皇猊下は耄碌ジジイ扱いだがな」


 ペスカトーレ枢機卿は悪態をつきながらも上機嫌である。アントワネットからこの策略を持ち掛けられた時はかなり懐疑的だった。

 発想は面白いしかなりのインパクトは望めるだろうと思ったが、どこまで効果があるのはは推し量れなかったのだ。


 それが序盤の段階でここまで効果が出るとは。アントワネットの指示した発表のタイミングも絶妙であった。

 あの愚か者の大司祭が暴走してくれたのも大きな助けになった。

 ジョン王子の婚礼決定のお披露目で騒然としていた王都の民衆相手にジャンヌが批判声明を出した時はかなり問題が長引いてしまうのを覚悟していた。

 あの大司祭の暴発の為場合によって暴動になればその責任は王都大聖堂に降りかかる可能性が高かったから尚更だ。


 ジャンヌの言い分に対してアントワネットの用意した回答は上手く論点をはぐらかし、何一つ譲歩する事無く聖女ジョアンナを貴族として印象付ける事が出来た。

 それだけでも上出来だったが、ジョバンニに教皇を糾弾させる風を装って何一つ実の無い言葉だけの名誉聖女という称号で愚民どもの人気取りまでしてしまったのだ。

 その人気でジョバンニを大司祭に推す声が王都大聖堂の司祭からも上がって来た。


 これまでの失態の積み重ねも有り大司祭を罷免するつもりではあったが、あちらから自爆して司祭連中にも愛想をつかされて護送馬車で帰還という恥をされしてくれた。

 そのお陰で枢機卿自ら大司祭を罷免して息子のジョバンニを推挙すると言う身内贔屓ともとれる人事をする必要も無くなった。

 その上で司祭からの推挙である。


 そのお陰でペスカトーレ枢機卿自身も教皇との板挟みになりつつ正義を貫いた息子を支えた聖職者としての評判が高まってきている。

 今の時期騒乱を嫌うのは教導派も清貧派も同じことだ。

 あれ以来グレンフォードの大聖堂が名誉聖女の称号を拒否してきたこと以外大きな動きは無い。

 夏が終わるまで、ジョンとヨアンナの婚儀が終わるまでは清貧派も安寧を求めているのだ。


「なあアントワネット・シェブリ。ラ・マーキス女侯爵と呼ばれるつもりは無いか? カウンテス女伯爵ではあのカロリーヌ・ポワトーより下に見られるぞ」

ラ・マーキス女侯爵。それもよろしいかも知れませんね」


 元来保守的なペスカトーレ枢機卿にしても、昨今のヨアンナ・ゴルゴンゾーラやカロリーヌ・ポワトー、そしてパーセル枢機卿と言った者たちの表立った活躍を思えば、実力のある者なら女性でも場を与えるべきなのだろうと思える。


 シェブリ大司祭は伯爵家をアントワネットに継がせても良いと言っていたが、それならばジョバンニの妻としてペスカトーレ侯爵家の養女に迎え入れて爵位を継がすという事も考えても良い。

 たんなるジョバンニの妻(愛人)の一人として飼殺すのはあまりにもったいないのではないか。


「お前にそのつもりが有るならば、ペスカトーレ侯爵家の次期当主として養女に向かえても良い。少なくともその名目でしばらくの間はペスカトーレ侯爵領の有るダッレーヴォ州を拠点に好きに動いて見よ。特に以前申しておった治癒術師と贖罪符の件については教皇庁と軋轢が起きてもわしの方で対処してやる」

「ジョバンニ様に諮らずにお決めになってもよろしいのですか? 枢機卿猊下の御一存で決しても構わないと仰るならその様にさせていただきますが」

 アントワネットの問いにペスカトーレ枢機卿は表情も変えずに答えた。


「かまわぬ。あ奴は祀り上げておけ。ことが失敗すれば切ればいいだけだ。たかだか大司祭だ。前にお前も申したが大司祭の変わりはそれこそいくらでもおる。わしの血を継ぐ飾りなら尚更だ。祀り上げるだけならそれこそ誰でも良いではないか」

「ならば枢機卿猊下のお心のままに」


【2】

 三月も後半に近づくと王都大聖堂の周辺が慌ただしくなってきた。

 教導派聖教会周辺がジョバンニの大司祭就任に対してプチ祝賀の雰囲気を醸し出し始めたからだ。

 私たちが広めた白パンの噂に抗えず本当に白パンの配布をするようだ。

 配布個所なんてせいぜい聖教会だけだと言ううわさを流し、これもみよがしに清貧派教区と教導派教区の境目近くで度々粥の炊き出しを行っている。


 自分でやらせておいてつくづく思うが本当に程度の低い嫌がらせである。

 教義における論争を正面から挑まれればへし折ってやる自信はあるのだが、そもそも感情に訴えかける戦略を始めたのもこちらだ。

 住民を煽って足を掬われた格好になってしまった。


 いま声高に教導派の日を訴えても、世間的には歩み寄ろうとしている相手に無理難題を掲げているとしか映らないだろう。

 和解できる内容とは程遠いがそれを頑なに言いつのるのも世間の印象を悪くするだけだ。


 清貧派としては今は頭を低くしてやり過ごす以外に無いだろう。

 ジャンヌはもとより清貧派聖教会の面々は憤っているが、今回はジャンヌが前面に出るべき時期ではない。

 聖女ジョアンナの教導派による名誉聖女認定はジャンヌも正式に拒否した。


 ”教導派が栄誉を送るなら農村や貧民に対する治癒活動を行った騎士爵の妻であるジョアンナ・スティルトンとしての栄誉をたたえる以外の栄養は受けない”との声明と共に。

 この声明は市民階級や農村では好意的に受け入れられたが、わずかではあるが一部清貧派貴族の中からジャンヌは潔癖すぎるのではないか、伯爵令嬢としてのジョアンナの功績はそれはそれで受け入れたはどうかと言う意見が出ているのだ。


 ジャンヌの下に一枚岩だと思っていた清貧派の中で暗い影が落ちたような気分がする。

 清濁併せのめと言われてもこの話に関してはジャンヌの気持ちが最優先だ。私だって飲める話では無いのだ。

 ジャンヌの父君のスティルトン騎士団長もジャックの父親のディエゴさんも討ち死にしているのだ。

 それを無かった事にするようなこの話は絶対受けられない。


 そしてとうとう四月一日、ジョバンニの就任式の日がやって来た。そしてその場で新たな爆弾発言が火を噴いたのである。

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