第160話 伝令
【1】
私はどうすれば良いのか判らず、お母様の横に座って話しかけた。
「早く聖女様が着てくれれば良いのだけれど」
「さすがにいくら急いでももう叔父様はあまり長く持ちません。ジャンヌ様は東部高原をそろそろ抜けると連絡が入っていますが、最短で着くにはリール州を抜けなければいけません。それではライオル伯爵家やシェブリ伯爵家の邪魔が入りたどり着けません。それに勘違いしないで、貴女は力はあるけれどその方法を知らない。何か出来るわけではありません」
さすがはお母様だ。現状の認識はしっかり出来ている。
私が自分の属性を知ろうが知るまいが現状は何も変わらないのだ。
でもお母様の胸の痞えが下りた事だけでも今は嬉しい。憔悴したお母様を見るのはつらかった。
「お母様、続きは私が替わりますからしばらく休んでいてください」
「そうさせていただくわ。本当は未だ休みたくありませんが、わたくし迄倒れる訳には行きません。朝食の準備が出来れば起こしてちょうだいね」
お母様は仮眠をとるためにオスカルの隣のベットに入った。
「お母様、きっと聖女様は間に合います。男爵様は助かります。そう信じましょう」
私はそう言って部屋を出て男爵様のもとに向かった。
うがいをする。手を洗う。そしてアルコール消毒。最後にマスクをかける。
渡り廊下を進み男爵の部屋へと向かいながらちらりと表を見た時、南からやって来る三騎の騎馬が見えた。
こんな朝早くに何者だろうと目を凝らしていると、騎馬の軽装鎧がどうも聖堂騎士団のようだ。
そして二人乗りの二騎の騎馬の前の鞍には女性と思しき人が乗っている。
聖女ジャンヌが到着した!?
私は廊下を駆け下りて階段を下ると表に向かって走った。
朝食の支度で忙しくたち歩いているメイドが驚いて声を掛けてくる。
「聖堂騎士団が誰かを連れてきています。大急ぎでルーク様たちを起こしてちょうだい」
私は館の玄関を飛び出すと車寄せの前に出て跪いていた。私の後ろからルーク様とルシオさんが慌てて飛び出してくる。
既に門衛が領主館の大門を開いて騎馬を向かい入れていた。三騎の騎馬は玄関の車寄せに近づいてくる。
騎馬騎士の鎧は間違いなくクオーネ大聖堂の聖堂騎士団の物。そして二人乗りの鞍の前には乗馬服の女性が二人。
生真面目そうで悲壮な顔をした若い女性と獣人属の見覚えのある少女が…。
「セイラお嬢様! 大変で御座います」
少女が鞍から身を乗り出して私に向かって叫んだ。
「…貴女はフィ…フィディス修道女」
【2】
聖堂騎士団の三騎は月明かりの街道を走り続けた。
夜である。
灯りの無い道をそうそうと疾駆出来る訳でも無い。馬だけなら駆け抜けられるだろうが人間の視覚はではついて行けない。
二人乗りでアナたちを落とさない様に気を付けながらとなると余計である。並足で夜道を進んで行く。
お陰で少しは眠る事が出来たが、カマンベール男爵領に入り領主館が見えた頃には空が白み始めていた。
「もう誰か気付いたものが居るようですな」
日の出直前のほの暗い光の中で館の玄関が開いて人影が現れたのだ。
「大門が開くようですね」
「このまま進みますぞ。シャキッとなされよ」
「このまま並足で進むのですか? 玄関に出て来て跪いておられるのは男爵様のご家族様でしょうか? 使用人ではないようですね」
馬が大門に達する頃には東から射す朝日に照らされて跪いているのが少女だと分かった。
そして館内からは二人の男性が現れ少女の後ろに立った。
馬が玄関の車寄せに近づいた時に、鞍から身を乗り出したフィディス修道女興奮して叫ぶ声がアナの耳に入った。
「お嬢さま…。セイラお嬢様! 大変で御座います」
それではあの跪いている少女がセイラ・ライトスミス!
「気の毒な事をしたかもしれんな。彼女はきっとジャンヌ様が見えられたと思っておるのではないか」
騎士のその言葉にアナは冷や水を浴びた様に血の気が引くのが分かった。
「あの方がセイラ・ライトスミスでしたのね。私はあの人たちの希望を打ち砕きに行く事になるのですね。ああ、何と罪深い事をしてしまったのか」
カマンベール男爵の前で、いやセイラ・ライトスミス本人の前で全てを告白して懺悔する心づもりは出来ていた。
罵声を浴びせられても罵られても絶えるつもりで居た。
しかしわずかな希望に縋って跪く少女の心を踏みにじる覚悟は出来ていなかった。
アナは鞍から転げるように降りるとセイラ・ライトスミスの前に平伏し地に頭を擦り付けながら謝罪の言葉を発した。
「お許しください、セイラ・ライトスミス様。私の浅はかな行動で何もかも無駄にしてしまいました。その上無様にもこうしてセイラ様におすがりする為にまかり越した次第で御座います」
アナはそう言ってブルブルと震えながら涙を流し続けた。
「お願いで御座います、お願で御座います。どうか…どうかジャンヌ様をお救い下さい!」
【3】
跪く私の前に転げるように平伏する女性はどうもジャンヌ・スティルトンではないらしい。
年齢も私より少し上…そう二十歳前の様でそれから考えてもジャンヌではない事が判る。
少し芽生えかけた希望も彼女の様子で潰えた事が伺えた。
判ってはいた筈だ。そう容易く男爵様を助ける事など出来ないと言う事を。
それでもショックが大きかったのだろう足の力が抜けて両手を床に付けたへたり込んでしまった。
予期せず涙が頬をつたうのが分かった。
私は暫く泣いていたのだろう。周りの人々も時間が止まってように動かなくなってしまった。
泣いた事で少し頭がすっきりしたので平伏する女性に向かって口を開いた。
「何が有ったのか詳しくご説明願えませんか」
そのアナと言う聖導女は泣きながらも簡潔に整然と状況を説明し始めた。途中で度々謝罪と懺悔と自己否定の言葉が挟まれるのを除けばであるが。
結局アヴァロン州のすぐ近くまで来て異端の罪を着せられたジャンヌは教導騎士団に拉致されてしまった。
その手引きをしたのがこのアナと言う聖導女で、その罪悪感からかジャンヌを救い出して欲しいと懇願している。
私も混乱して正しい判断が出来るかどうかわからない。ミシェルに言ってお母様を起こしに行って貰った。
その上で簡単な経緯を説明するようにお願いしておいた。彼女ならお母様の気持ちを汲んだ説明をしてくれるだろう。
ルーク様は朝食の席で細かい経緯を聞き対策を検討するつもりのようだ。
夜駆けをしてやって来た人たちを、なによりフィディスちゃんをこのまま放置する訳にも行かない。
食堂に招き入れられた騎士たち五人は、私たち男爵家一同と同じ朝餉のテーブルに付いた。
「セイラ、気を落としてはいけません。今朝も話したでしょうジャンヌ様でもこればかりは無理だと」
「ええ、それは判っています。それでも…」
「およしなさい。それ以上は何も言ってはいけません。もうこれ以上誰かを失う事は耐えられないのですわ」
お母様は私の属性を明かすなと遠回しに言っているのだろう。
「何よりも連れ去られた六人を全て無事に取り戻す事を第一に考えましょう。ジャンヌ様達が戻ればまだまだ助けられる命が有るのだから」
口ではそう言った物のジャンヌは大丈夫だろう。
未だゲームは始まっていない。ジャンヌは間違いなく助ける事が出来るだろうが、ジャックたち裏通り組の三人や修道女たちはその限りじゃない。
薄情なようだが私にとってはジャンヌより裏通り組の三人の方が大切なのだ。
アナ聖導女は私が気落ちしていると思い辛そうに涙を流すが、起こってしまった事は仕方がない。
泣かれるくらいなら何か手掛かりを教えて欲しい。
「騎士様、クオーネの大聖堂の意図はどうなのでしょう。それによって私たちのするべきことが何か精査して行きましょう。少しでも早くジャンヌ様をお助けする事が出来れば男爵様の命を繋ぐ事が出来るかも知れないわ。希望は持っておきたいの」
「わかりました。そこまで考えが有るならもう止めないわ。騎士様、聖導女様どうかご説明をお願い致します。
そうしてお母様の主導で話が始まった。
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