第159話 アナ聖導女

【1】

 アナはその日の夕刻にクオーネの大聖堂にたどり着いていた。

 ジャンヌが連れ去られてすぐに馬を調達し、一心にアヴァロン州目指して駆け続けたのである。

 そして今シシーリア・パーセル大司祭の前に平伏している。

「すべては私めの愚かなる心がもたらした罪で御座います。ただ懺悔の時間は御座いません。一刻も早くジャンヌ様をお救いするべくお願い致します」

 アナ聖導女はパーセル大司祭に司祭長や司祭たちから修道士見習い迄が居並ぶ聖堂の礼拝堂で全ての告白を行った。


 シェブリ大司祭の意を受けたギボン司祭からライトスミス商会の害悪を説かれた事。

 ライトスミス商会とカマンベール男爵家の繋がりを説明され、ライトスミス家の財力でこの疫病禍は大事に至らないと言われた事。

 ジャンヌを無駄に感染の危険に晒す事になると言う口車に乗ってカマンベール男爵領に入れぬよう考えた事。

 その挙句いらぬ情報を流してジャンヌを連れ去られてしまった事。

 それらを居並ぶアヴァロン州の聖職者の怒りと侮蔑の視線を一身に受けながらすべて話した。


 今はジャンヌを救うこと以外考えられない。聖導女として今この世からジャンヌを失う事だけが恐ろしかった。

 救う事が出来るなら我が身が滅びようが構わない、ましてや侮蔑や叱責など蚊ほどにも思わない。

 アナのジャンヌへの忠義心は何一つ変わらない。修道女の頃から三年彼女に付き従って無私無欲に貧しい人々に救いの手を差し出し続ける彼女をずっと見てきた。

 彼女の貧者への献身を疑う物など微塵も無い。


 だからそのジャンヌが無条件で信頼しているセイラ・ライトスミスに不信が募っていたのだ。

 手紙のやり取りだけで会った事も無い。その人となりは見えないが、アナにとってジャンヌの無欲に付け込んで利益を貪る姿は教導派の聖職者と同じとしか思えなかった。

 自ら清貧に甘んじて私財を分け与え庶民の献身に徹すると教えられてきた身としては、聖教会教室や工房で育んできた子供たちを使い利益を吸い上げているライトスミス商会が醜悪な物のように見えてしまっていた。

 だからこそセイラ・ライトスミスと距離を置くべきだとの結論に至った結果がこの有様だ。


「今更では御座いますが、この身が如何様に成っても構いません。命もおささげ致します。ですから何卒ジャンヌ様をお救い下さい」

 そう締めくくったアナの言葉に対して居並ぶ聖職者たちから次々と叱責と非難の言葉が降り注いだ。

 その言葉を遮るようにパーセル大司祭の錫杖が床を打った。


「お静まりなさい! 今すべきことは聖女様をお救いすることだけ。それ以外の事で時間を費やす事は許しません。アナ聖導女、貴方が命を捧げると言うのならそれをその身で示しなさい。準備が出来次第夜駆けしてでも一刻も早くカマンベール領のセイラ様の許に赴きなさい。彼女なら即断即決で何としてでもジャンヌ様を救うべく直ぐに動いて頂けるでしょう」

 アナは一瞬自体が飲み込めず呆然とした。

 何故カマンベール男爵領にセイラ・ライトスミスが居るのか? 一介の商人の娘がどうやって聖女を救うのか?


「誰か、今すぐにゴルゴンゾーラ卿に使いを出して状況をご報告に上がりなさい。そして北西部諸州各教区の教区長を招集してください。ラスカル王国内の清貧派聖教会の全てにこの事実を記した書簡を早馬で通達し出来うる事を成せと申し送りなさい。今すぐ早馬を立ててリール州のロワール大聖堂に向かい公開審問会を要請致しましょう。私もロワール大聖堂に赴きます。公開審問の為の準備をしてください。何を持って異端と糾弾するのかわかりませんから全ての事柄に対応する様に準備してください。アナには聖堂騎士をつけて出立の準備を。そしてアナ、貴女はこれからカマンベール男爵領に赴いてセイラさまの為人をよく見ていらっしゃい」


 聖堂騎士に促され立ち上がったアナは個室に連れて行かれ食事と乗馬服を提供された。贅沢では無いが羊乳のチーズと羊肉のベーコンがたっぷり入ったスープ全身に染み渡る。

 朝から修道服で駆け続け、途中の聖教会で二度馬を変えて食事も馬上で済ませ走り続けてきた。更にこれからカマンベール男爵領まで夜を徹して走る事に成る。

 途中で倒れぬためにもしっかりと栄養を補充しなければいけない。


 食事を終えて乗馬服に着替えて部屋を出ると三人の騎士が待っていた。

 薄めたビールの入った革袋とチーズやベーコンを入れて焼いたビスケットを渡された。

 騎乗しようと馬を見上げると騎士が乗る馬の鞍が二人用に変えられており、前の鞍に乗せられた。

 四人で向かうのかと思っていたがもう一人乗馬服姿の修道女が現れアナと同じように隣の騎馬に乗せられた。

「ゴッダードよりクーオネに参っております。修道女のフィデスと申します」

 彼女はそう言ってアナに頭を下げた。

 そうして三騎の馬は月明かりの夜の道をカマンベール男爵領目指して進み始めた。


「其方には我らと共に夜を徹して街道を駆け抜けていただく。早朝から休みなく駆けて参られたそうだが、辛くともこれが使命であると心得よ」

 アナを乗せた騎士は静かにそう告げる。

「手綱は儂が取る。落ちぬように捕まっておれ。眠っていても振り落とすようなへまな手綱捌きは致さん」

 それは遠回しに馬上で眠っても大丈夫だと伝えてくれているのだろう。

 騎士の恩情に甘えるつもりはないが少し気持ちが楽になった。


「いったいどうしてセイラ・ライトスミスがカマンベール男爵領に居るのですか?」

「ああ、二週間ほど前に綿布や毛織物の買い付けに来てそのまま残っておるようだ。買い付け品をすべて放出して麻疹患者の看病にあたっていると聞いておるぞ」

 儲けを投げ出してそんな事をしているだなんて、聞いていた話と違うセイラ・ライトスミスの印象にアナは戸惑いを隠せなかった。


「騎士様、セイラ・ライトスミスと言うお方はどの様な方なのかご存じでしょうか」

「直接に見たのは数えるほどだが、クオーネの特に貧しい者たちからはとても慕われておるぞ。農村での貧民やハスラー王国からの移民に仕事を与えてくれる雇い主だからな。まあ知りたくば儂よりもそちらの修道女殿に聞く事だ。幼い時から近くで見てきたそうだからな」

 振り向くと横を並走する馬の背に獣人属特有の尖った耳が見えた。フィデス修道女は、ラスカル王国では珍しい獣人属の修道女だった。


「アナ様はセイラ様の事を誤解しておられます。私はセイラ様の事もジャンヌ様の事も良く存じ上げているつもりです。お二人の目的は同じ貧しい者を救う事。ただその方法が違うだけです。ジャンヌ様は聖職者として出来る方法で、セイラ様は市井の商人として出来る方法で無そうとしているだけなのです」

「それでも貴女はジャンヌ様の事を私ほどは知らないではありませんか」

「ジャンヌ様と知り合ってからは一年だけですけれど、セイラ様の事はずっと前から知っています。七年前、六つの時から子供教室で文字と数字を教えていただいて、皆と卵の殻を集めたり工房でチョークを作ったりしてお金を貰って…初めはお菓子だったけど直ぐに銅貨を貰えるようになって。その上獣人属でも聖教会に通えるようにしていただいたので十歳になって直ぐに修道女見習いになれました」


 彼女の言っている事が良く判らない。

 七年も前に聖教会教室も工房も無かった。初めて出来たのは五年前のゴッタードの聖堂だと聞いている。

 その後すぐにグレンフォードの大聖堂や周辺の南部教区聖教会に波及して行ったのはよく覚えているが。

 結局騎上でフィデス修道女から聞かされた話は、今まで言われていたセイラ・ライトスミスの話しとまるで違っていた。


 ここ一年余りの間で特に北部から移ってきた清貧派の聖職者から聞くセイラ・ライトスミスの話しとはまるで違う。

 ハウザー王国の手先だとか他領の人々を南部の利益の為に食い物にしているとか、やっかみや嫉妬も有るのだろうが酷いうわさが聞こえてくるのだ。

「まあ東部商人やハスラー商人を食い物にしておるのは間違いないからなあ」

 手綱を握る騎士がしみじみと言う。

 アナが驚いて聞き返すと、この二年ほどでクオーネの街がライトスミス商会の力で大きく変わったのだそうだ。


「考えて見よ。ハスラー商人が払っている賃金よりも多くの賃金を払って、ハスラー商人より良い品物をハスラー商人より安く供給している。ならばそれ迄ハスラー商人に払っていた金は何処に行っていたのか。教導派の貴族や聖職者が掠め取っていたのだろう。北部貴族がライトスミス商会を憎むのも致し方あるまい」

 アナは唇をかんだ。

 裏で画策したのはシェブリ伯爵家に違いない。セイラ・ライトスミスへの誹謗中傷の種を蒔いたのもシェブリ大司祭たち一派に違いない。

 邪魔な清貧派を追い払う時に毒迄仕込んでいたという事なのだろう。

 そう考えると今回の真の標的はライトスミス商会とカマンベール男爵家であろうが、セイラ・ライトスミスが潰されるという事はジャンヌの半身を削ぐに等しい。

「騎士様、急いでください。きっとシェブリ大司祭の狙いはセイラ・ライトスミス様です。私の浅はかな行動の償いの為にもジャンヌ様とセイラ様、お二人を必ず守らねば」

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