第113話 ポワトー枢機卿の治療
【1】
私が病室に赴くとポワトー枢機卿はセイラカフェのメイドを横において美味しそうにカスタードプリンを食べていた。
以前ジャンヌに茶碗蒸しが出来るならカスタードプリンもできるだろうと言われて、彼女がシャピのセイラカフェで広めた商品だ。
「今年の初めにジャンヌ殿が治療に来られた時に教えてもらってな。すぐに大好物になったのじゃ。ジャンヌ殿が食べたければ治療に耐えろと申されて、食い意地が張っておるからそれを目標にどうにか乗り切れた」
そんな事を言ってハハハと豪快に笑って見せた。
「このメイドがな、いつもセイラカフェから配達してくれておるのだ。のうデルフィーナ、来るたびにセイラカフェで起こった話を聞かせてくれたり親切にしてくれる」
デルフィーナと呼ばれたメイドははにかんで真っ赤になりながら頭を下げた。
聖年式を終えたくらいだろうか、好奇心旺盛な陽気で利発そうな娘だ。
「お姉さま方、お噂はかねがね伺っています。おっ…お姉さま方を目標に頑張りましゅ」
幹部メイド三人を前に緊張しているのだろう、カミカミだがそれも可愛らしい。
「枢機卿様、治療の経過とこれからの治療方針のご説明をいたします。了承いただければそのあと治療に入ります。そんなに長くはかかりませんし終われば午後のお茶も出来ますよ」
「そうか、ならデルフィーナよ。午後のお茶の時間までにまたお願い致そうかのう。また午後に頼むぞ」
「はい、枢機卿様」
そう言って一礼するとデルフィーナは部屋から出て行った。
「枢機卿様、今のご容体は非常に良好です。でもこの状態を維持できるかどうかは枢機卿様のお気持ち一つです。これからお耳に痛い事をお話いたしますがご容赦ください」
私がそう言って一礼するとポワトー枢機卿は何か察したようで少し表情を引き締めた。
「ワシの気持ち次第では長らえる事も可能だと言う事だな」
「ええ、しかしそれは苦痛と痛みが伴うかもしれません。眠ったまま逝ける方法も在りますが、それは私は致しません。耐えて少しでも生き延びていただきたいと思っております」
「それは承知しておる。眠ってしまえば死んでおるのと同じじゃ。三年前の事でそれはよく理解しておる。シェブリ伯爵家の好きにはさせん」
「ならば具体的なお話をいたします。肝臓に腫瘍が発生しております」
そのあとは淡々と状況を話し、私の考えや思いもすべて話した。
ポワトー枢機卿は全てを受け入れて生きる決意を新たにしたようだ。
そして最後にぽつりと言った。
「悔しいな、あのシェブリ一族の潰え去る時まで生きて行けぬのは」
処置室に入ったポワトー枢機卿は陽気そうに振舞っている。
沈みがちな治癒術師たちの気分を慮ってか、治癒施術後のプリンの事を楽しそうに話している。
「私たちが励ますべき患者に気を使わせてどうするの! こんな事では治癒術師失格ですよ」
私は治癒術師の幹部数人を部屋の隅に呼んで𠮟責した。
彼らも気づいていたようで施術後のお茶の話題をにこやかに話しながら、若い治癒術師たちに喝を入れてゆく。
処置室は和やかな雰囲気に包まれて、術後は隣の枢機卿の病室でみんなでお茶にすることになった。
部屋の外に待機しているはずのアドルフィーネたちに声をかけ準備をしておいてもらう。
今日の処置は肝臓を中心に免疫力を増進させること。
肝臓に至る白血球が活性化して癌細胞を攻撃してくれることに一縷の望みをかけるだけだ。
リンパ節に重点的に処置を施して白血球の活動を促進させる。
気をつけねばならないのは癌細胞に直接光魔法を当てないこと。
昨日の処置箇所も光の治癒魔法で一気に回復して行く。
消化器系臓器の内壁や静瘤脈の処置跡もだ。
ゆっくりと処置を施したので鐘一つほどの時間が過ぎ、もうすぐお茶の頃合いになりつつある。
さあ一息ついて病室に戻りましょうと皆に声をかけた矢先であった。
【2】
「賊です! 騎士の襲撃です!」
少女の声が廊下に響き渡った。
「黙れ! 殺されたいのか!」
捕まえようとしてその獣人属少女に手を伸ばした騎士は右腕にしがみつかれ、体勢を崩して倒れたと同時に鈍い音を立てて右腕があらぬ方向に曲がってしまった。
「このケダモノが! 殺すぞ!」
襲い掛かったチェインメイルを着込んだ男に少女は押さえつけられた。
「枢機卿様! お逃げ下さい! 人殺し…」
それ以上叫ばせまいと二人の騎士が抱え上げて口をふさぐ。
暴れるメイド姿の少女に一人が短剣を抜いて目の前にかざす。
「殺されたくなけりゃ黙って大人しくしろ!」
「アイテテテ! 子のガキ噛みやがった!」
「枢機卿様! ご避難を人殺しです!」
「もういい、さっさと黙らせろ!」
「教導騎士です! 他領の騎士の襲撃…グフッ」
少女の背にダガーが突きたてられて、襲撃者の腕の中でぐったりと力を無くした。
「でっ、枢機卿は? 病室はどこだ?」
「きょ…教導騎士団です! グフッ、逃げて!」
「このガキが!」
更にダガーが突きたてられる。
「みんな…逃げ…逃げて…」
「仕方ない、さっさと進むぞ」
教導騎士のリーダーらしき男に促され、襲撃者の一団は長い廊下の奥へと向かった。
その足元で少女の運んできたバスケットと中のプリンが踏み砕かれて、廊下は血の臭いであふれた。
【3】
『賊ですーう!!! 騎士の襲撃ですーう!!!』
別邸の三階に少女の声が響き渡った。
「あの声はデルフィーナじゃ! いったい?」
その声に一番初めに反応したのはポワトー枢機卿だった。
それと呼応するかのように別邸の外でも争う音と怒号が響き始めた。
そして廊下の向こうで男の粗野な怒鳴り声がしてまたデルフィーナの声がする。
『枢機卿さまーあ!!! ご避難をーお!!』
その声と同時に病室にメイドやサーヴァント達が雪崩れ込んできた。
「枢機卿様、すぐにご避難を! 私たちがお連れします!」
「待って! 屋敷も囲まれて今からでは逃げられないわ。助けが来るまで処置室に籠城します。みんなは枢機卿様と治癒術士たちを守って部屋の中を固めて」
「待て! セイラ殿、デルフィーナを、ワシが行けばデルフィーナは…」
『きょ…教導騎士団でーす!! グフッ、逃げて…』
「デルフィーナ!!」
「治癒術士の方々、枢機卿様を安静にさせて! 興奮はお命に係わります。どうか…」
治癒術士が数人でかかり魔力の流れを調整し、枢機卿を睡眠に導く。
「デ…デル…フィーナ…」
私は皆が立て籠もる処置室の扉を開くと表に歩き出す。
「行くわよ、アドルフィーネ、リオニー、ナデテ」
血が冷え切ったように頭は冷静だ。
怒りでは無い。
そんな物とうに通り越してしまっている。
後ろに続くメイド達も誰も私を止めない。私たち四人、今は同じ思いしかない。
ナデテが処置室の大きな重いドアを閉めた。
それと時を同じくして病室の扉が乱暴に蹴破られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます